第25話 病床の四玄
意識不明のフリをしつつ、一虎と三龍に両脇を固められて連行された先は、宮廷の医務室である。俺が転がされた豪華な寝台は皇族専用のものだが、ここ数年以上誰も使っていないため、手入れされておらずどこか埃臭い。
「四玄殿が目を覚まさない?」
薄目を開けると、侍医と兄姉たちが俺の病状について話し合っていた。
「ええ、そうなのよ。いつもの笑える阿呆面が死人みたいになっちゃって……」
「オレのゲンコツ一発で雑魚みてえに簡単にのびちまってよ……」
「馬鹿の病をこじらせただけならよいのですが……」
勝手極まる発言が耳に入ってくる。人が反論できない隙にここまで言いたい放題言ってくれるとは。後で改めてこのケジメは付けたい。
ちなみに、この医務室に月天丸は来ていない。
侍医に素性を問いただされても厄介だし、何より本来が「もう帰らせろ」と言い張って聞かなかったのだ。何か用事でもあったのだろうか。
「それじゃあ少し看させていただきますよ」
そう言って侍医が寝台に近づいてくる。目を閉じて気絶中のフリに戻った俺は、全身を脱力して診察を受ける。主に殴られた(という設定になっている)頭部を侍医が確認している気配があった。
「特に外傷はないようですが……髪の毛が邪魔で見え辛いですな。剃ってもよろしいでしょうか?」
「ええそれはもうぜひお願いしますわ。可愛い弟の命がかかっていますもの」
「オレからも頼むぜ先生。心ゆくまでツルツルにしてやってくれ」
「神聖な医療行為ですからね。僕らには止めようもありません」
たまらず俺は目を開いた。気絶のフリだけでも譲歩の極致だというのに、挙句の果てに丸坊主というのは我慢できない。
しかし、俺が抗議に身を起こす前に、兄姉三人たちが飛び掛かって抑え込んできた。口も手で塞がれてしまう。
しかも侍医は戸棚から剃刀を探していて、こちらに背中を向けている。
「観念しなさい四玄。同志を探すためよ、坊主くらい我慢しなさい」
ふざけるな、と思う。
確かに犠牲なくして成果は得られないともいう。しかし、犠牲を払うのが俺一人というのが納得いかない。全員揃って丸坊主ならまだ耐えようもある。しかし俺一人が負担を背負って、他の兄姉たちが何も損をしないというのは正義に反する。
俺は右腕に渾身の力を込め、抑えを振り払って一虎の髪を掴んだ。
こちらの毛を剃るというなら、この場で反撃として全員の髪を毟り尽くす。死なばもろともの構えである。
「てめえ、上等じゃねえか……!」
一虎も獰猛に唸る。毟るか毟られるかの闘争が始まろうとしたとき――
「おお、あったあった。じゃあ剃るかね」
侍医が剃刀を見つけてこちらを振り返った。同時、三人が一斉に素早い連携を取り、俺を寝台に叩き伏せた。素早く手ぬぐいで猿轡まで噛まされてしまう。
「ありゃ? なんだか四玄殿、暴れてはいませんかな?」
「痙攣のようです。我々で抑え込みますのでご心配なく」
三龍がしれっと誤魔化した。
それならば、と俺は轡の下から抗議を叫ぶ。明確な言葉にはならないが、何かを叫んでいるというのは伝わるはずだ。
「叫んでいるようですが?」
「酷くうなされているようね。危険な症状だわ」
二朱がまたしても妨害してくる。
本当にこいつらは当初の目的のために行動しているのだろうか。俺を玩具にしたいだけではないのか。
「ふむ。しかし、なんだかこうして見ると非常に元気なように見えますな。四玄殿がこの程度でどうにかなる方とも思えませんし……もう少し様子を見てはいかがでしょうか?」
俺は(痙攣ということになっているが)しきりに頷く。
兄たちの軽い舌打ちが聞こえたが、さすがにこれ以上悪ふざけで剃髪を強行するつもりはなさそうだった。
「ありがとうございます。じゃあ、あたしたちはここで看病してていいかしら?」
「ああいいですとも」
「それじゃあ先生。悪いのですけど、少し薬の手配を――」
グダグダではあるが意識不明という体面を取ることは成功し、二朱は計画どおりに段取りを進めていく。
まず、侍医や宮中の小間使いに命じて、薬や湯や手ぬぐいといった看病道具を大量に準備させる。
もちろん本当に道具が必要なわけではない。
できるだけ大きく騒げば、自然と宮中に「第四皇子が意識不明」という情報が宮中に出回ることになる。それが本当の目的だ。
そうすれば――話を聞きつけた件の暗殺首謀者が、死にそうか否か「見舞い」で確認に来るはずであり、その際の表情の機微を見極めるという腹積もりだ。
皇帝がやってくればチャチな演技など一目で見破られるだろうが、その心配はいらない。今日の予定では、今ごろ皇帝は街はずれの練兵場に兵士たちの激励に赴いている。どんなに早く伝令が行っても、しばらくは戻るまい。
意識不明のフリを続け、餌に獲物がかかるのを待つこと十数分。
さっそく最初の見舞いが来た。額に汗を浮かべてドタドタと走ってきたのは、宮中行事を取り仕切る儀礼官の長である。二朱も「かなり怪しい一人」だと言っていた。
入室するなり、儀礼官長は兄弟たちの前に跪く。
「……大事と聞きまして駆けつけました。四玄殿の容体はどのようでしょうか?」
「分からないわ。今夜が山になるかも……」
深刻ぶって返すのは二朱である。一虎と三龍はもう明らかに笑いを堪えているのが薄目ごしにも見える。笑い声を出したら計画が台無しになりそうなので退場させて欲しい。
「見舞いに来てくれたのは嬉しいけど、今は騒がしくしたくないわ。帰って頂戴」
「は。申し訳ありませんでした」
ほんの数度だけ言葉を交わし、二朱は儀礼長官を下がらせた。彼が通路の向こうまで完全に去ったのを見届けてから、声を落として印象を報告してくる。
「かなり怪しいわね。内心かなり喜んでそうだったわよ、あれは」
同志候補筆頭というわけか。なるほど、これは最初から大当たりを引いたかもしれない。
しかし次の来客で、早くも旗向きが変わった。
「このたびは一大事と聞き、参らせていただきました……」
こちらも有力候補。法務を司る部署の第三位官。若年ながら高官の位置にあり、かなりの野心家と聞く。
この男もすぐに下がらせたが、その結果は。
「同じくらい怪しかったわね……。小躍りしそうなくらい喜んでたわよ」
まだ分からない。先二人の共犯という可能性もある。
そして完全に俺たちが困惑し始めたのは、三人目が来てからだった。
「いきなり申し訳ありません。大変なことになったとお聞きしたのですが、四玄様は無事でしょうか?」
税制関係の指南役である。外部の識者という扱いで遇されているので、中枢の権力争いとは無縁の人物である。
――だというのに。
「おかしいわね。今のもちょっと喜んでたわよ。『国の憂いが一つ減った』って感じに」
「おい、これじゃあ誰が来ても同じような結果じゃねえか。単にこいつの人望がなさすぎるんじゃねえの?」
「ここまで死を望まれるとは、我が弟ながら不憫でなりませんね……」
せっかくこちらが尊い自己犠牲を払って危篤役になってやったというのに、なんたる言い草だろうか。
もはや演技などしていられるか。俺は布団を払って寝台から立ち上がり、兄姉たちへの報復攻撃に出ようとしたが、
「意識不明のわりにはずいぶん元気そうだな、四玄」
低い声に俺を含めた兄弟全員が凍り付いた。
医務室の戸口をぎこちなく振り向けば、そこに立っているのは皇帝である。
「親父……? 今日は外に出てたんじゃなかったのか……?」
「優秀な伝令が親切にお前の危篤を教えに来てくれてな」
見れば、皇帝の背後にはむすくれた表情の月天丸が立っていた。確かに月天丸の早駆けならば、宮中の伝令よりも大幅に早く皇帝を呼びつけられる。
「チクるなんて卑怯だぞ月天丸! 裏切ったのか!」
「貴様らの性根ほど卑怯ではないわ。じゃあ、後は任せた。親としてちゃんとこいつらを躾けてやれ皇帝」
「うむ。貴殿の義行に応えよう」
立ち去る月天丸に笑顔で頷き、皇帝が両の拳を打ち合わせた。
「では貴様ら。何か言い訳はあるか?」
とりあえず駄目元で兄弟四人の総攻撃を仕掛けてはみたが、もちろん敗北した。
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