第26話 忠臣であるがゆえに


 戦いという嵐が過ぎ去った医務室には、生々しい破壊の傷跡が残されている。

 壁には大穴が空き、天井の板はあちこちが張り裂け、寝台は粉々に砕け、薬棚は中身を散らして崩壊している。


 その惨状にあって、皇帝ただ一人が無傷で威風をなびかせている。

 俺たち四兄弟は傷らしい傷こそないものの、全員が頭に巨大なタンコブを作って皇帝の前に正座させられている。


「暗殺の首謀者を探そうとしていたらしいな。しかもまたロクでもない魂胆で」


 重々しく指摘された一言に、俺たちは不貞腐れた顔で視線を逸らす。

 いったい何がロクでもないというのか。俺たちはただ国に仇なす不届き者を捕らえようとしていただけである。このように責められる筋合いはどこにもない。


 と、半ば開き直りの言い訳を自分の中で展開していたら、皇帝が予想外の言葉を続けてきた。


「その人物については余の方で既に把握している。今は泳がせながら対応を検討しているところだ。お前たちは余計な真似をせずにおとなしくしていろ」


 馬鹿な。

 崇高な志を同じくする貴重な仲間が、既にこの皇帝の情報網に引っかかってしまったというのか。

 皇族への暗殺未遂などという大罪を犯した者とあらば、まず死罪は間違いない。だが、こんなところで仲間を失うわけにはいかない。


 ――なんとしてもこの場でこの皇帝を止めなければ。たとえ激戦に果てに、一虎あたりの命が失われようとも。


 静かに再び拳を握り直した俺だったが、制するように皇帝が掌を前に出した。


「やめておけ。こんなところで時間を無駄にするな。それに心配せずとも、即座に死刑にするつもりはない」

「何だって?」


 飛び出す頃合を窺っていた俺は、腰が折れてがくりと姿勢を崩す。

 死刑にしない? そんな大罪人を?


 そこで目を光らせたのは二朱だった。


「単なる武神祭の恩赦で済ませるには、罪が重すぎるわね。すぐに消えては困る重役か――お父様とよほど近しい仲の人物あたりかしら?」


 皇帝の表情が僅かに歪んだ。そこで勢いを取り戻した俺たちは、素早く正座を解いて反撃に動いた。


「姉上! 大至急そいつを特定して逃がしてやってくれ! この親父は俺たちで足止めする!」


 一虎と俺が皇帝の両足にしがみつき、その間に三龍が腰の剣を抜いて医務室の出口前に陣取る。時間稼ぎを何よりの得意とする三龍の持ち味を活かし、勝利は捨てつつも一分一秒を稼ぐ戦法である。

 まさにこれこそ美しい兄弟愛が生んだ至上の連携といえた。


 そこで皇帝が静かに呟く。


「こう手を組まれると面倒だな。誰か一人でもこの場で余に寝返ってくれたら、そいつだけは後継候補から外してやってもよいのだが」


 俺と一虎が同時に皇帝の足から手を離し、三龍はすっと出口前から身を引き、二朱が足をぴたりと止めた。


「気持ちいいほど行動が読みやすい馬鹿だな貴様らは」


 壊れた医務室の隅っこで、ずっと見物していた月天丸が呆れたように吐き捨てた。

 確かに冷静に考えたらこの程度で候補から外されるわけないのだが、つい反射的に反応してしまった。


 大きく息を吐いた皇帝が、冠の上からぐしゃぐしゃと頭を掻く。


「しかし余もしくじったな。迂闊なことを言って特定材料を与えてしまうとは」


 特定していながら刑を処さないというのは、確かに十分すぎる情報だったろう。

 皇族に刃を向けておいてなおしばしの生存を許される人間なぞ、五指にも満たぬ人数だろう。それだけ絞られれば、二朱でなくても特定は容易となる。


「ええそうよお父様。こうなったらどこの誰かもう白状してくれてもいいんじゃない?」

「……まあ、そうだな。いっそのこと、お前たちに直接行かせた方が手っ取り早いかもしれんな」


 そう言って皇帝は遠い目になった。そして告げる。


「都の警備を司る衛府省の長――錬副(レンフ)は知っているな?」

「ああ、錬爺。そりゃもちろん」


 長きに渡る皇帝の盟友にして、かつては将として用兵に名を馳せた武人である。だが、俺たち兄弟にとっては幼い頃からよく遊んで(稽古して)くれた気のいい爺さんという印象が強い。


「そういや最近顔合わせてないな……小遣いも長いこともらってないし……ん? 待ってくれ親父。この流れで名前が出るってことは」

「そうだ。お前たちの暗殺を手配したのは錬副だと調べがついている。だが……奴は私利私欲で国家転覆を謀るような男ではない。だからこそ処遇を決めかねていたのだ」


 俺たちの間に衝撃が走った。

 錬爺といえば、宮中でも一・二位を争う忠臣として有名である。作戦会議の際、二朱もまっさきに候補から除外していたくらいだ。


 しかし――


「錬爺か、そりゃよかったぜ。性根の腐った高官のオッサンだったら同志にするのはちょっと嫌な気もしたけど、錬爺となら気持ちよく手ぇ組んで後継阻止に動けるな」

「まったくですね。安心しましたよ」

「動機が気になるところだけど……」


 錬爺にどんな心変わりがあったのかは分からない。

 だが、これから俺たちの仲間として一緒にやっていくなら、あの経験豊富な好々爺は味方として頼もしいばかりだった。犯人捜しの予想は外れたが、結果的には期待以上の人物を同志に迎えられるかもしれない。


「なら親父。今から俺たちで錬爺に直接話しに行っていいんだな?」

「ああ、もう好きにしろ」


 皇帝の言質も取った。これでもはや俺たちの覇道を阻むものはない。

 だが、皇帝と月天丸が何やら会話をしているのが少しだけ耳に入ってきた。


「なあ皇帝」

「何だ」

「義に厚い忠臣が裏切った理由、なんとなく察しが付くのだが当ててやろうか?」

「うむ。正直余もわりと察しているが、とりあえず聞かせてくれ」


 月天丸が目を細めながら俺たち兄弟を一瞥する。


「真に国の未来を憂うからこそ――であろうな」


 意味深な月天丸の発言に、皇帝は深く頷いていた。

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