第21話 もはや後戻りできないかもしれない
月天丸はにこやかに笑っていた。
だが、明らかに微笑まれるべき状況でないのはさすがの俺も分かった。明らかな裏のある笑顔である。
「な、何しにきたんだ……? お前は登壇禁止だろ?」
「そうか? 偽物をさも本物のように扱うなどというトンデモが認められるなら、私がここにいることなど何の問題もないと思うぞ?」
はっとして兄弟たちの方を向くと、全員が「ざまあみろ」という顔で佇んでいた。どうやら俺だけが利を得ることを、あの屑な兄弟たちは良しとしなかったらしい。
怒れる月天丸が登壇できるように手引きしたのは、間違いなくあいつらの仕業だ。
「お前……この場で正体を明かすつもりか?」
「まさかそんな。私はただ心からお前のことを応援に来ただけだぞ。そう怯えるな」
よく見たら目は笑っていない。
俺が大量の冷や汗を流しながら月天丸の意図を推し量っているうちに、彼女は勝手にずけずけと演台に上がっていく。
そして、ごく普通の町娘という感じに、声を張って叫んだ。
「えー! みなさーん! 実はわたし、人攫いに遭ったところを第四皇子の四玄様に助けられたことがありまーす!」
俺は一気に詰め寄って月天丸の口を手で塞いだ。
「やめろ! 歪めた事実を喧伝するな! あれはただの家庭内の自作自演だ――いでっ!」
が、口止めの手は噛まれて振り払われる。
「照れ隠しで否定してますけど事実ですからねー! みなさーん! 四玄様はやるときはやる方ですから、ぜひご周知のほどよろしくお願いしまーす!」
「俺が悪かった! 悪かったからもうやめてくれ頼む!」
ほとんど土下座に近いくらい身を低くした俺を見て、「ぷっ」と嘲るように月天丸が笑った。
「相変わらず阿呆だな貴様。こんなもの、むしろ乗っかって自慢した方が『仕込みの役者臭い』と思われて噓っぽくなるだろうに。必死こいて否定したものだから、かえって本当の照れ隠しっぽく思われているぞ」
焦って庭園の観衆を見下ろす。
さきほどの偽・月天丸が登場したときほどの熱狂はない。だが、『人攫いから娘を助けた』という話を信じ始めている者もいるようで、まばらな拍手も多少聞こえてきた。
いや、よくよく耳を澄ませると拍手の一番大きい発生源は――
「お前ら!」
大階段の奥まったところで控えている兄姉たちだった。それぞれが豪腕を活かした凄まじい音量で、観衆の拍手を誘うように手を叩きまくっている。まるで愉快なものを見物している猿のようだ。
まずい。棒立ちのまま観衆の期待外れに終わった偽・月天丸の応援もどきよりも、もしかすると今の状況の方が分かりやすく好意的に捉えられてしまうかもしれない。
考えろ、この状況の打開策を。一発逆転の方策――など、もはやあるわけもない。
そこで脳内で何かが弾け、俺は下手な思考の無為を悟った。
ふらりと演台に立った俺は、ごく短い演説を放つ。
「俺の優れているところは、兄弟の中でもっとも強いというところです。今からそこにいる奴らを全員ぶちのめして、それを証明します」
俺は拳を握って、拍手を続ける兄弟たちの中に特攻を仕掛けた。策に溺れて負けたなら、せめて物理でやり返す。目に物を見せてくれる。
一虎たちがこちらに対応して構えたのと同時に、宮廷の方から祭の開催を告げる銅鑼が鳴り響く。
一瞬だけ展望台に視線をやると、皇帝が『馬鹿どもめ』という顔で銅鑼のそばに佇んでいるのが見えた。
――そうして俺たちの乱闘は、祭り騒ぎの小さな徒花となって埋もれていった。
……ちなみに最終的な勝者は「いい加減にしろ!」と乱入してきた皇帝だった。
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その頃。
乱闘と祭りの騒ぎに乗じて宮廷から抜け出した月天丸は、路地裏で座り込む一人の男の前に立っていた。
その男とは、偽・月天丸を演じていた名もなき暗殺者である。
「どこの誰だか知らんが、あの阿呆どもとは二度と関わらん方がいいぞ。それだけ言いにきた」
声をかけられてはっと視線を上げた男だったが、月天丸の目をしばし見据え、やがてまた俯いた。
「そうさせてもらう。田舎で畑でも耕すことにするよ……貴様はどうする気だ。本物」
月天丸は眉根に皺を寄せ、それからほんの少しだけ笑みを作った。
「私はもう引き際を見誤ってしまったのかもしれん」
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