第20話 完璧な勝利

 簡単な話だったのだ。

 月天丸自身の登壇は皇帝が禁じた。応援演説とてもちろん許されないだろう。

 だが『それっぽい感じの人』が登ることは別に禁止されなかった。まさに俺の優秀な頭脳だからこそ見破れた盲点といえる。


「くれぐれも月天丸って名乗るなよ、違反になるからな。名乗りは『月の字』とかいう風にギリギリのところで誤魔化してくれ。んで、月天丸っぽい軽業で宙返りでもしながら一虎イーフの横に登壇してくれ。そうなれば観客は盛り上がってもう一虎が当選確実だ」

「ちょっと待て。いったい何の話をしているんだこれは?」

「詳しく話している時間はない」

「なら掻い摘んででも話せ。さもなくば殺せ」



 殺すのは本意でなかったので、俺はごく簡素な事情だけを説明した。『この演説において、なんとしても一虎の株が上がるように図りたい』と。


 暗殺者は眉根をつまんで顔を伏せた。


「そんなことに俺が付き合う道理はない。いいから殺せ。これ以上の恥辱を受けるつもりはない」

「そう言うなって。俺の頼みに従ってくれたら、暗殺対象の一虎のすぐ隣まで行けるんだぞ? 隙を見てあいつに毒針でも刺せる可能性は十分ある。こんなところで諦めていいのか?」

「なんだその異常な説得は。本当にそれでも兄弟か? というか早く殺せ」


 依然として強情な暗殺者に対し、俺はさらに譲歩の一手を打つ。


「分かったよ、さすがに即興で応援演説を練るのは難しいよな……。だったら、ただ一虎の近くに立っているだけでいい。月天丸が傍らに立っているってだけで、十分すぎるほど応援効果があるはずだ」

「俺の意志とまったく無関係な配慮をするな。さっさと殺せ」


 しつこく粘る男の両肩に、俺はぐっと手を乗せる。


「グダグダ言うな。さっきから聞いてりゃ殺せ殺せと……お前には暗殺者としての矜持がないのか? 一虎を殺れる絶好の機会なんだぞ? ここで挑まなきゃ男がすたるぞ」

「待て。俺の依頼主が誰だったか混乱してきた……お前ではなかったと思うが」

「そんなの誰でもいいから、さっさと準備するぞ。まず黒装束に着替えてもらう」

「……まるで理解できんが、本当にいいんだな? 遠慮はせんぞ?」

「存分にやってくれ」


 根気強い説得が功を奏し、ついに暗殺者と合意が結ばれた。

 一虎が予想どおりの引き伸ばし演説を続ける中で、俺は暗殺者とともに密かに宮廷へと侵入し、夜間密偵用の黒装束を兵装棚から確保した。

 その場ですぐに着替えさせ、再び一虎の立つ演台へと踵を返す。


「いい情報を教えてやる。俺たち皇子は祭りの雰囲気を破壊するようなことはできないから、一虎はお前に反撃できない。一方的に攻撃し放題だ」

「頼むからもう何も言わないでくれ。これ以上俺を混乱させるな」


 どこか捨て鉢になったように走る速度を上げる暗殺者。俺も負けじとそれに追随する。

 そしてついに、頼もしすぎる切り札とともに大階段へと舞い戻った。


「あら四玄、ずいぶん長い厠だったわね――って、誰それ」

「紹介しよう。こいつは『月の字』だ。どうしても一虎の応援がしたくてやって来たらしい」


 二朱リャウシャにはその一言ですべてが通じた。三龍サウランもおおよそは察したようである。


「なるほど、四玄スガン。あんたもなかなかいいこと考えるじゃない……」

「月の字殿。あなたがどこの誰かは知りませんが、ぜひ兄上の応援をよろしくお願いしますよ」


 すっ、と二人が掌で一虎の方向を示す。『行け』という合図だ。

 暗殺者はしばしの逡巡を見せて立ち止まっていたが、やがて何度も一人で頷いて一虎の方へと勇み歩き始めた。


「いやあ、いいもん見つけてきたわね四玄。お手柄よお手柄」

「はは、褒めないでくれ姉上」

「まったくです。兄上の狼狽する顔が目に浮かびますよ……」


 一虎を除く三人で和やかな雰囲気を作る中、ついにそのときは訪れた。

 意を決したように地を蹴った暗殺者――改め、偽・月天丸が宙で一回転しながら一虎に向かって飛び掛かったのだ。

 その握った拳の指の間には、一刺しが致命的となる毒針が何本も握られている。


 一虎の顔が驚愕に歪んだ。無双の武勇を誇る彼とて、こんな事態は予想もしなかったのだろう。

 演説中に、隣に月天丸っぽい黒装束が登場するなど。


「て、てめえらっ! 図りやがったな!」


 一虎の短慮が出た。ともすれば場を乱しかねない発言を放ちながら、狼狽とともにこちらを振り返ったのだ。もちろん俺たち知らぬ存ぜぬという表情で通す。


 一方、静まり返っていた庭園の観衆たちは一気に沸き上がった。

 皇子の登壇と聞いて少しは期待していた者もいたのかもしれない。そこに、月天丸の代名詞ともいうべき黒装束を纏った男の登場である。おまけに、本物さながらの軽業まで披露。


 これで騙されない者はいない。


「月天丸だ!」「本物!?」「やっぱり皇子なのか!」「すごいすごい!」「一虎殿下と親しいのか?」


 そう言った声が歓喜とともに次々とあちこちから上がる。この反応で俺はもう勝利を確信した。

そして何より、毒針だけを武器として残してやったのが図らずも吉と出た。


 毒針を完璧に指で挟み止めている一虎だったが、その様は遠目に見ればお互いが手を差し出しあって握手をしているように映るのだった。


「畜生が!」


 すぐに毒針を奪い取った一虎だったが、既に衆目の決定的な瞬間は晒された。もはやここからの逆転は不可能である。


「終わりだ、終わり! オレの演説はここまで!」


 投げやりに叫んで一虎が壇から離れる。俺たち三人はもはや互いに手でも打ち合わせんとする勢いだったが、そこで一虎が思わぬ行動に出た。


 呆然自失で佇む偽・月天丸(暗殺者)に近寄って、何事かを耳打ちしながら――毒針をすべて返却したのだ。


 そして次に登壇する二朱を見て、陰湿な笑みを見せた。


「へえ、あたしにも回そうってわけ……あの馬鹿白髪。よくも舐めた真似を……」


 観客は未だ偽・月天丸に向けて大歓声を上げている。当の本人は毒針を握り直してただ俯いているだけだが、とにかく月天丸が姿を現しただけで安都の民たちにとっては一大事なのだろう。


 その熱狂の間隙を突くようにして、二朱が堂々と歩み出た。

 暗殺者もすかさず針を刺しに――いけなかった。


 行こうとはしたのだ。だが、壇に向かう二朱がすれ違いざまに彼の肩と手首を手刀で二連し、関節を外したからである。

 独特の捻りを効かせた脱臼術は二朱の得意技であり、本人以外では容易に嵌め直すこともできない。


「はい皆さま。それじゃ手短にあたしも演説するわね」


 取り落とした針を拾うどころか、腕を上げることもできなくなった暗殺者は、二朱が適当な演説をする隣で人形のごとく立ち尽くすしかなかった。


 しかしこれほど哀れな状況でありながら、一向に観衆の熱は衰えなかった。むしろ登場したときよりも月天丸の名を叫ぶ声が大きくなってきているくらいかもしれない。



 二朱もこれには不満げだった。これほど人気の月天丸を隣に立たせて演説するのは、やはりいい気分がしなかったのだろう。


 そのためか。


 彼女もまた演説を終える際に、暗殺者の関節を嵌め直して毒針を握り直させてやっていた。そして明らかに『次の三龍を狙え』と耳打ちしている。


 だが、こうなってはもはや堂々巡りである。

 兄弟でもっとも回避に長けた三龍が毒針など食らう道理もなく、登壇した彼もまたのらりくらりと最小限の動きで攻撃を回避し続けた。


 これまた適当な演説を終えて、三龍も壇を降りる。彼もまた暗殺者に『四玄を狙ってください』と耳打ちしていたようだが、もはやそれを憂慮することはなかった。



 微笑みを浮かべながら壇上へ歩み出した俺は、小声で暗殺者に語り掛ける。


「分かってるよな?」

「ああ……お前には敵わないともう分かっている。これ以上、生き恥を晒したくはない」

「ご苦労だった。家に帰って休め。そして全部忘れろ」


 深く項垂れてから、偽・月天丸はその場から駆け出した。そして軽業を発揮して庭園の塀を飛び越え、誰に咎められることもなく去っていく。


 その背中を見送りながら、観衆たちは「ああ」とか「行ってしまった」といった残念そうな声を漏らしている。期待の月天丸がただの棒立ちだけで終わり、完全に興醒めしたという雰囲気である。


 ――勝った。


 俺はこの時点でそう確信した。

 兄弟の中で唯一月天丸の立合がなく、そしてこの白けた雰囲気の中で演説する。これ以上に完璧な構図は存在しえない。


 そのとき。

 演台に向かう俺の背中を、トントンと突く指があった



 振り向いた先にいたのは、庶民らしい麻服に身を包んだ少女――本物の月天丸だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る