第19話 現れた救いの神


 いよいよ運命の日が来てしまった。

 武神祭に際して一般開放された庭園は安都の住民でひしめいており、俺はその光景を宮廷正面の大階段の最上から見下ろしている。隣には一虎イーフ二朱リャウシャ三龍サウランも並ぶ。

 この位置が今日の俺の処刑台――もとい、演台となるわけである。


「――であるからして、我が国の栄えるは武の神の加護あらばこそ……!」


 ちなみに、皇帝はこんな半端な位置の大階段などではなく、宮廷の最上階に位置する展望台から物凄い声量で開祭の宣儀を行っている真っ最中だ。あの距離から庭園まで明瞭な声を届けられる人間はあの化物くらいである。


 皇帝の宣儀の内容には特に耳を傾けず、俺は自身の思考に耽る。


「どうするか……」


 結局、大した策は何も思い浮かばなかった。

 せいぜい思いついたのが、「できるだけ話を引き延ばすこと」くらいである。今も眼下を見下ろせば分かるように、ほとんどの住民は酒瓶や酒樽を手に、今か今かと祭りの開始を待っている。日頃は尊敬を集めている現皇帝の宣儀にしろ、今このときは「早く終われ」と思っている者が大多数のはずだ。


 ましてや皇帝に次いで演説を始める皇子たちの演説など、誰も期待などしていない。牛歩の如く遅々として迂遠な話を続ければ、顰蹙を買って人気を落とせるかもしれない。


 だが弱い。


 その程度のことは誰でも考え付く。他の兄弟たちもできるだけ長引かせて顰蹙を買おうと努めるはずだ。

 その中でさらに一歩前に出るためには、斬新な打開策が必要となる。


「くそ」


 苛立ちに爪を噛むが、何も浮かばない。

 昨晩、月天丸に世話をされているとき何か浮かびかけた気がするのだが、今朝起きたときには既に月天丸は帰っていた。

「よく噛んで食え」という書き置きとともに甘団子が残されていたのみだ。


 ――もう一度あいつの顔を見れば何か閃くかもしれないのに。


 月天丸もそれなりに祭りを楽しみにしていたようだから、きっとどこかに紛れているはずだ。しかし、群衆の中を探せど見当たらない。元が小柄で見つけにくい上に、もしかすると面倒事を避けるためにわざと身を隠しているのかもしれない。



「ああ畜生。もうオレの番か……ほら、お前らは下がってろ」



 そうこうしているうちに、皇帝の宣儀が終わって一虎の順番が巡ってきた。

 至極嫌そうな顔をしながらも、一虎は立ち上がって大階段の中央に向かう。その位置だけ赤い絹布が敷かれており、皇子たちの演台を示している。


 一虎を除く三人は、やや後方に下がってただ己が順を待つ。最後に回ってくるだけ俺が一番有利だが、そう悠長なことを言ってもいられない。


 ともかく今は一刻も早く月天丸を見つけなければ、と。

 一虎の演説の内容もロクに聞かず、焦りながら庭園を見回しているうちに――ふと気付いた。



 演台の一虎に向かって静かな殺気を滾らせる、不審な男の存在に。



 普段ならば一虎も他の兄弟もすぐに気付いただろう。だが今は、全員が自分のことで精いっぱいになっている。月天丸を探して庭園の観衆たちに集中していた俺だけが察知できた形だ。


「悪い姉上。少し厠に行ってくる。まだ俺の順番は後だしな」

「いちいち言わなくていいわよ。勝手に行けばいいでしょ」


 念のため二朱に言い訳をしてから、俺はそっと大階段から離れる。今の一虎はあの暗殺者らしき男に気付いていない。不意を打たれてもまさか死ぬことはあるまいが、襲撃されるという醜態を衆目にさらされては皇位争いから無事に『脱落』されてしまう。


 そんな抜け駆けは断じて許されない。

 あの暗殺者は、こちらが先回りして始末する。



 幸い、観衆たちは礼儀として一虎の演説に目と耳を傾けている(フリをしている)ので、俺が庭園に降りても騒ぎにはならなかった。まあ、どうせ元から顔もロクに覚えられていない第四皇子である。


 だが、さすがに当の暗殺者には勘付かれた。


 こちらに気付くや否や、暗殺者は素早い身のこなしで人混みの隙間をすり抜け始める。周りを騒がせぬように大袈裟過ぎず、しかし逃走速度は十分。月天丸を彷彿とさせるいい体捌きだった。


 しかし甘い。


 こちとら、こんな密集地で駆け比べをしようなどとは思っていない。最初から一撃必殺狙いだ。

 その狙いどおり、俺が投げた石ころは見事に暗殺者の後頭部に命中し、標的の意識を刈り取った。昏倒した暗殺者がばたりと地に伏せる。


「へっへ、すんませんね。この野郎、ちょっと先走って飲みすぎちまって。すぐ引っ張っていきますんで勘弁してくだせえ」


 貧民時代に培った下町鈍りの言葉ですかさず周囲に言い訳。酔っ払いの暴走など祭りではよくある光景だ。一瞥した者は数名いたが、誰も興味なさそうにまた目を逸らした。



 そのまま俺は暗殺者を引っ張って庭園から連れ出そうとして――ふと足を止めた。



 この暗殺者が見せた。月天丸を彷彿とさせる身のこなし。

 そして昨晩閃きかけた逆転の秘策。


 俺の頭の中でこんがらがっていた思考の糸が、突如として明瞭に結びついた。

 番兵への連行を中止し、俺は暗殺者を庭園隅の木陰へと引きずり込む。


「おい起きろ。おい」

「ん、んん……?」


 平手打ちで起こす。暗殺者の風体はどこにでもいる地味な男のようだが、その瞳には薄暗い闇が濁っている。間違いなく堅気ではない。


 男はこちらの顔を見ると、諦めたように瞑目した。


「貴様……第四皇子だな。なるほど、俺もここまでということか。任務に失敗した以上、覚悟はできている。殺せ」

「馬鹿言うな。貴重な人材をこんなところで殺せるか」


 ん? と唸って男は再び目を開いた。


「人材だと?」

「ああ。人並み外れた軽業ができる奴を、今ちょうど探してたんだ。一仕事引き受けてくれないか?」

「仕事だと? ふざけるな。俺はお前たち皇子を殺しに」


 職務熱心なのはいいことだが、今はそんな建前に付き合っている余裕はない。俺は反論を塞ぐように男の顔面を掌で鷲掴みにし、最大限に威圧しながら言った。


「時間がないんだ、反論は許さん。いいか、今からお前には月天丸っぽい黒装束を着てもらって――」


 くい、と俺は壇上の一虎を親指で示す。



「あいつの応援演説をしてもらう」

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