第18話 未だ見えぬ光明
男に二言はない。
一切の収穫は得られなかったが、俺は約束どおりに月天丸の客舎から鈴の音の罠を取り払った。
「週に一度は顔出せよ。あと、義賊やるのはいいけど危険な相手に首突っ込むときはよく注意しろ。どうしても必要なときは手伝ってやるから呼べ」
「何度も言わんでも分かっている。言う通りにせねばまた攫いに来るのだろう? そんな面倒は御免だからな」
俺の独断で釈放することになるが、定期的な顔見せは確約したので問題はあるまい。兄たちには明日にでも説明しておけばいい。無精者揃いだから、わざわざ単独で引き戻しに向かうことはないだろう。
城下を歩いても不自然でない安物の麻服を纏い、月天丸は草鞋を足に馴染ませる。
兄弟たちの邪魔さえなければ、月天丸なら宮中の警備を抜けて城下に出るのは容易いだろう。
と、準備運動とばかりにその場で何度か跳ねた月天丸が、急にこちらを振り向いた。
「言い忘れていた。演説の件だが――」
「任せろ。厳しい戦いになるだろうが、俺は絶対に負けない」
「そんなことは誰も気にしておらん。確か皇帝が、演説は武神祭のときに行うと言っていただろう?」
「そういえばそうだな」
武神祭とは、年に一度この安都で行われる定例行事である。戦の勝利を祈願する祭りではあるが、武人たちの景気付けという側面も大きい。
そのため厳粛な神事というよりは、出店も見世物も何でもありの宴会騒ぎといった雰囲気である。
安都で年間に売られる酒の半分近くが、この祭りの期間中に呑み干されるという俗説すらある。
「街の者たちはこの祭りを楽しみにしているのだからな。貴様らが互いに潰し合うのは勝手だが、あまりつまらん問題を起こして祭りの空気に水を差してくれるなよ」
「ああ、それについては親父からも念押しされた」
「皇帝から?」
「おう。武神祭には『皇帝に武神の加護あり』って示す意図もあるから、絶対に面目を潰してくれるなよって」
父である現皇帝はこの祭りで臣民たちに娯楽を与えると同時に、自らの威信も巧みに示してきた。
たとえば宮中の庭園の解放などその策の一つだ。
普段なら警備上の理由で宮廷に部外者が出入りすることは許されない。しかし、この祭りの期間中はごく一部であれど庭園への一般立入が許可されるのだ。しかもそこで花見をするも酒を飲むも自由ときている。
無論、一般立入を認めればよからぬ人物が紛れ込む危険性も大いに増す。
しかしそれに対し『武神の加護があるゆえに、万事問題ない』と皇帝自らがお墨付きを出す。そしてその言葉どおりに今まで一度も大きな事件は起きていないから、市井では『皇帝に武神の加護あり』という風説が広まっている。
――どうせ、皇帝が誰にも気づかれないうちに自力で刺客を排除しているだけと思うが。
「そういうわけだから、演台に火を放ったりはしない。安心しろ」
「貴様、念押しされなければそれも策として考えていただろう?」
当然である。この状況にあっては、ありとあらゆる方策が検討されなければならない。
肝心の兄たちの長所が見つからなかったのだから、別の搦め手を練らねば。
「まあ問題ない。演説のある祭りの初日までは、まだまだ半月近くも余裕がある。俺の卓越した頭脳をもってすれば、策なんて湯水のように湧いてくるさ」
「そうかそれはよかったなそれじゃあ私はもう帰るからなさらば」
まるで感情のこもっていない別れの挨拶を告げ、足早に月天丸は駆け出して行った。また数日もすれば城下には義賊・月天丸の勇名が轟くのだろう。兄として誇らしい気分でもある。
「働き者の妹に負けないよう俺も頑張りたいところだが……今日のとこはもう寝るか。まだまだ全然大丈夫だしな」
――さて。
ここで布団を敷いて寝たのが、俺の最後の記憶である。
決してその後、他の兄弟から監禁や拘束を受けたわけでもなければ、意識不明に陥ったわけでもない。
ただこれ以降、漫然と「ああでもないこうでもない」と考えながらロクに記憶にも残らぬ無為の時間をつらつらと過ごしたというだけである。
断片的な記憶は微かにある。一虎が訓練放棄で不貞寝を続けていたことや、二朱が屋敷再建の手配に追われていたこと、そして三龍が「探さないでください」と失踪を遂げたこと。
しかし、それらすべてはもはや俺の中でまったくの些事でしかなかった。
―――――――――――……
「よう、顔見せついでに差し入れを持ってきてやったぞ――どうした貴様! 死にそうな顔だぞ! 毒でも盛られたか!?」
記憶が色を取り戻すのは、完全に追い詰められた演説前夜だった。
その晩は珍しいことに、月天丸がやたらと上機嫌で甘団子まで持参してきていた。
「……月天丸か。どうした。今日は妙に気前がいいじゃないか」
「ああ、今日は久しぶりに悪党を成敗したから気分もいいし懐も潤っていてな……って、それどころではないだろう! 貴様こそどうしたのだと聞いている!」
「ここ数日何も食べてないだけだ」
「『だけ』ではないわ阿呆」
書斎で仰向けに転がってただ天井を見るばかりだった俺の口に、月天丸はむりやり甘団子を押し込んできた。間髪入れずに水差しの水も流し込まれる。
「まったく。その様子だと、結局何も思い浮かばなかったのだな?」
「俺が悪いんじゃない。まるで持ち上げる取り柄のない兄姉たちが悪いんだ……」
「どこまでも責任転嫁する奴だな貴様。ほら、下手の考えは何とやらというだろう。とっとと休んで眠れ。どうせ他の連中も大差ないはずだ」
こちらが回復するまで見張るつもりか、月天丸は胡坐をかいてその場に腰を据えた。なんだかんだいって慈悲深い。しかも一歩宮廷を出れば、天下の義賊として国民たちから褒めたたえられている。
まったく他の兄弟たちとは大違いである。
せめてこの月天丸の人気のごく一部でも兄たちに分けることができたら――……?
そのとき、俺の頭の中でごく些細な光明が輝いた気がした。
だが、疲弊しきった意識はその光明を拾うことができず、そのまま闇に落ちていった。
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