特になにもない日曜日。ただ昨日のスケボーバカを思い出すだけ。飽きたら聡から貰った『QA』のCDを聴いてみる。この前とは違う曲だが、言ってることは同じみたいだ。

 ぼんやりとした一室。そこの通りの足音がしっかり聞こえる。それだけの時間。何の変哲もない。寝るだけのほうがマシ。

 月曜日は慌ただしい。そこの通りは新聞配達が夜明け前にはとっくに配達完了の様子だった。僕が動き出すまでの間に、この町は多くの動きがある。簡単な朝食は語るまでもない。西口まではほんの4、5分。気づけば人と人の間を歩いている。

 やって来た千葉行きに揉まれるまま、東京の中心部を過ぎて錦糸町まで飛んでいく。降りた駅前は早くもぶらぶらするおじさんが見え、通勤客の間でごちゃ混ぜにされる。正面の百貨店右斜め。場外馬券場のまたとなりに『錦糸町南口ブックタワー』はある。

 勤務歴約数年。2/3Fの単行本A/Bエリアは僕がチーフという立場だ。AとかBというのはジャンルのことだが、文学から社会系の胡散臭い本とか写真集までを扱う。や専属というわけではないが、基本的にはそういうことになっている。正社員からバイトまで数人の部下あり。

 基本的に変わることのない空間。新刊の入荷前にはスペースを作り、ひとつまえの入荷はどこかに移る。棚に陳列することもあればどこかのスペースでその後もポップとかでアピールを続けることもある。売り上げ、部数、僕らの勘がすべて。

 そんな感じ。長い付き合いのシュンは鳴り物入りで漫画家として幅を利かせているが、僕はバイト時代に苦い経験のある書店員をいまは朝からやっている。出版社がイチオシする本なんかは、僕らも本気で考える。ひたすら読んで見つけて魅力を引っ張り出す。おかげで推理オタクみたいなやつも部下にいる。

 ほかは特になし。本の専門店『錦糸町南口ブックタワー』へようこそ。

 ぐるぐる。夕方6時。退勤するが、部下の岸田と夕食ということになった。南口前の居酒屋チェーンは混み合っていた。定番の品しかないが、僕らにはこれで十分。ちょうど酒も入って来たところで、携帯電話がうるさく振動した。気が散るが、一旦席を外して、電話に出た。

「もしもし」

「……あの、ヨウスケさんの電話?」

「どちら様ですか」

「私よ、ナオ。この前の」

「あぁ、君か。どうして番号がわかった?」

「……それはいいから、いまから会えない?」

「はぁ? いきなり何の用だ?」

 言い出しっぺに早くも呆れてしまうが、それはいい。

「ごめんなさい。でも、ホントちょっとだけでいいの。何ならこっちから行くから、いまいる場所だけ教えてくれない?」

「錦糸町だけど、もう少しで帰る。だから無理だ……」

 僕が喋っていると、電話は切れた。場所が聞けたから十分ということだろうか。いずれにせよ、南北で別れている錦糸町駅で鉢合わせるかどうかは二分の一の確率で決まる。

 気にすることはない。堂々としていればいいんだ。岸田にも平然と接し、いよいよ帰る時が来た。南口ロータリー前の広場。僕は足を止めた。岸田は僕の行動に疑問を問いつつ、足を止めていた。

 改札前のわずかな斜めスロープ。そこに、彼女は座り込んでいた。たまにそんな彼女を見下ろしながらすれ違っていく見ず知らずの他人を一人として逃さないよう、常に首が動き回っている。

「岸田、ちょっと先行ってくれ」

「え? 用事できたんすか?」

「ちょっとな。今日はお疲れ。また明日な」

「あ、はい。お疲れ様です!」

 軽いお辞儀。岸田は座り込む彼女の真横を、何の不思議そうな仕草もなく通り過ぎる。彼女もまた、岸田には目もくれない。岸田が改札の奥に消えたのを見届けたところで、僕は彼女の正面に出る。すぐに気づいたのか、立ち上がってやってくる。

「待ったわ〜」

 いきなり腕を組まされた。まるで術でも決められたかと思うくらい、いとも簡単に僕の右腕と脇腹の間に彼女の腕は入りこんだ。

「なんだよ、いきなり」

「別に意味はないの。いまはこうしていて欲しい……」

 突然のことに困惑しか覚えないが、別に知らない女と腕を組んでいたって社会通念上、大した問題がある身の上ではない。そういう理屈なら、いくらでも女と腕を組んでいてもいいのだが、せめて向こうのガード下辺りにしてくれと思う。

「とりあえず、何がしたい?」

「このまま5分くらいいさせて。どこに行かなくてもいいけど、イヤなら付いてくわ」

「じゃ、もうちょっと人の少ない向こうのガード下に行こう」

 四ツ目通りを渡り、東側のガード下。頭上のライトはたまに消えている。壁はアチコチにスプレーアートがあって、錦糸町らしさを根深く感じさせるような雰囲気。ガード下のところで足を止め、腕を組んだまま道路のほうを向く。

「ちょっと電話していい?」

 妙なことを言う。ここまで来て、わざわざ電話するため彼女は僕から腕を離す。自分にだけは都合が良いものだと、いまさら気付かされる。もう遅かったが、彼女の足はガードの端で止まった。

 かなりヒソヒソと話している仕草が見えた。耳の良い子どもが耳を澄ましても聞こえない距離だと思うが、彼女は何をしているのだろう。よほど秘密にしたい話か? だったら、こんなガード下まで来てすることはない。予め済ませればいいことをなぜしないのか、僕は不思議に思った。

「ごめんなさい。あと少しだけ、ここにいさせて」

「良いけど、どうして僕にそこまでこだわる? 何のため、ここにいるつもりなんだ?」

「すぐにわかるわ。あと5分もすれば、ぜんぶ」

「それもさっき聞いたぞ。5分、10分の問題じゃないよ」

 さらに疑問を投げかける。彼女は曖昧なままお茶を濁しているようだった。くだらないやり取りの末、5分が経った頃だろう。彼女は向こう、北口のほうに視線を向ける。その方向からスーツ姿の男がやって来た。メガネをかけ、ヒゲを生やしている。ロングヘアのようで、後頭部のところで髪が結んである。

「ナオ、何してる。仕事放ったらかして、また笑いものにされたいのか?」

「ごめんなさい。でも私、俄然やる気が出てきたわ。そのための息抜きもしちゃだめなの?」

「……それで、あなたが今度の。ちょっと顔を貸していただけますか?」

 やけにその一言が丁寧だ。『顔を貸す』。あまり、良いイメージを持たなかった。

「どういうことですか。僕はただ……」

「ほんの少しだけよ。この人には事情を説明しなきゃダメなの」

「申し訳ない。今回はナオのせいで。あなた、仕事帰りでしょう」

 見た目はどこかにいそうな中年リーマン。あの一言怖かったが、後は本当に丁寧だ。むしろ彼女、ナオに翻弄されているようにも思える。どういう関係かは知らないが、僕はありのままを話すことに決めた。

 ガード下から少し行った錦糸公園のすぐ近く。路上駐車してあるワゴン車に案内された。中から一人の男が出てくる。サングラスに金髪テクノカット。いかついが、ロングヘアに言われてナオと一緒に錦糸公園の奥へ去っていった。ワゴン車に通された僕は、ロングヘアと二人っきりになる。ドアを勢いよく閉めたところで、話を切り出すロングヘア。

「申し遅れました。私、前島プロの前島と申します」

 差し出された名刺。僕も反射的に名刺を差し出そうとカバンの中を探る。

「あぁ、どうも。えっと……僕はこういうものです」

「あなたのことはいいですから。出さなくてもいい」

 前島は半ば名刺を見るのを拒んだようにも思える動きで、僕の名刺を受け取らなかった。

「ご存知かどうか、わかりませんが簡単に説明しますと、ナオはうちのタレントでして……」

「えっ、そうなんですか。あの人、タレントさん……」

「そうなんです。いや、まぁテレビなんかにはまだ出たことはありません。駆け出しのグラビアアイドルですよ。ですがね、うちも期待をしているわけでして。あなた様のことではないですが、交友関係と申しますか、そういうものは非常に気にしているところなんです」

 前島はこのようにして、僕に説明をしてきた。長々となりそうだが、僕は聞かざるを得ないように思った。

「というと、僕と会ったりするのは何か支障をきたすかもしれない、ということで?」

「いえ、一概にではありませんよ。ただ、後々が怖い。いまは撮られたらどこから流れるかわかりません。そういうわけでして個人的に会うというのは、双方のリスクを考えてやっていきたいと考えております。もちろんナオにもプライベートがありますから、あなた様と会うな、ということではないんです」

「わかりましたけど、僕は別にたまたま……偶然ですよ、少し話す機会ができただけというか、リスクと言われるのなら、二度とお会いしませんよ」

「えぇ。まぁ、そうお考えになられるのはもっともですが、私どもはナオのことも向き合っていただきたいと思ってます。何か不都合が生じれば私どもの責任ですが、それまではナオのことを拒まないという選択もあると思うんです」

 前島の調子は、変わることはなかった。要はタレントとプライベートで会うことのリスクを提示する一方、タレントのことも考えて、節度と責任は我々がすべて持つ――そんな話ばかり。

「特に、ナオが相談してくることもあると思います。そういうときは、気軽に乗ってやってください。彼女はまだ駆け出しでわからないことも多くて、うちらに対する信頼も完全ではない。うちが真面目でも、仕事でどうしても不信感を覚えてしまうようなこともありますから」

 悲痛さも感じる前島の口調には、ひとつ感づるものがあった。路上のワゴン車でここまでのことになろうとは。

「わかりました。でしたら、ナオさんの相談相手ということで……」

「えぇ。私どもも、責任を持ってプライベートを守りますから、彼女を応援してやってください」

 前島はこうも言った。

「お手数をおかけしました。よろしければ、このままどこかまでお送りしますが、いかがでしょう?」

 まるで催促のようだが、前島は丁寧に言ってくる。申し訳ないと思い遠慮しようとしたが、前島も退かない。僕は思い切って、東中野の地名を前島に伝えた。

「降りていった人は大丈夫なんですか?」

「これから電話して、ナオと一緒に電車で事務所に戻るよう伝えますから」

「ナオさんも事務所に戻られるんですね」

「一応、私どももあなた様のこと、これからのことについて会議する必要がありますので」

 至極当然のことだ。あくまで、僕も知らなかったとはいえ、人間関係がいろいろな意味でデリケートな職業の人と安易に接してしまった。そこは僕も反省しなきゃだし、彼女も何かしなきゃいけないことがあると思う。

 誰が悪いとかそういうことじゃない。けど、何かしなきゃダメなんだ。電話を終えた前島は、そのまま直進してガード下をくぐり、四ツ目通りを南下し始める。向かうは東陽町とうようちょうの方。暗い都会の郊外というよくわからない感じが、なんとも言えない片道三車線。

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