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ズボンのポケットに忍ばせていた携帯電話が鳴る。一旦、部屋の外に出て階段の踊り場へ。見たことのない番号。とにかく出る。
「もしもし」
「……」
背後から街の雑踏が聞こえるが、話し声は何もしない。
「もしもし、どなたですか」
返事がない。携帯が何かから離れる音。おそらくは耳元から離したのだろう。直後に電話は切れた。通話時間15秒。一方的な無言の交信を僕は考えた。
あの雑踏はどこか。遠くから聞こえた笑い声のようなもの。目の前を通り過ぎていったであろうトラック系の走行音。複数の足音。確かにそんな音が聞こえたはずだった。いずれにせよ、いまは謎のままだ。間違い電話かもしれないし、考えても仕方がないことだ。
部屋に戻った僕に、シュンが言う。
「何の電話だった?」
「無言電話。間違い電話だと思うけど。てか、人様の電話内容を聞くなよ」
「お前なんかに間違い電話なんか来るわけない。明らかに他意だろう?」
「なんでわかるんだよ。お前、なんか変だな。探偵のつもりか?」
「う、うるせぇ。小説書いてりゃ探偵ごっこもしたくなるさ。考えれば考えるほど、タネになるもんね」
僕の携帯にかかってきた無言電話はネタの出処にされるわけか。好きにしていいが、どう『調理』されるかは注意深く見守りたい。仮にそんな話が誰かさんの作品に出てきたら、内外にネタ元を言いふらそうかな。
「せいぜい頑張れよ。お前、やっぱ才能あるわ」
「ふぅ。第二章終わりっと」
シュンはテキストのバックアップをきちんと取ってから、ノートパソコンを閉じた。いまは文章を作るのも楽になって、保管だって半永久的にすることができる。USBメモリなどを使えばあらゆるパソコンやらに簡単にデータをコピーできるし。
シュンが優雅に使うのは128MBのUSBメモリ。多めの容量が、万能感を満たしてくれる。これが当たり前なら、僕だって少しは違っていたかもしれない。考えても仕方ないが、将来はもっとすごいデジタル文明になってるだろう。
5年先、10年先にどう進化しているかは推理をするところだが、きっと次世代らしい風格を持ってくれるはず。いま、こんな僕がそんな未来を思うのは目障りかもしれないけど、それだけ生きていれば結果がわかる。いまはいまを生きるだけ。
「そんなに楽しいか? パソコンは……」
「最近、ホームページを作ったんだ。自分で読者に問いかけるのは気持ちがいいね。掲示板で直接やり取りとかして、女の子のファンが大喜びしてさ。嬉しかったよ」
「そんな都合が良い掲示板なんてあるのか? どうせ、オカマだろ」
「写真まで付いてたぞ。正真正銘、17歳の女子高生だって。しかもメルアドまで出してて、困っちゃうヨ」
「たくっ、ウイルス送られて終わりだろ。画像なんていくらでも見つかる。もう少し考えたほうがいいぞ」
シュンのノリはどこまでも行き過ぎていた。女の子がなんだ、ネットは疑いを捨てちゃダメなんだ。常に違う視点を持ってなきゃ、いつか後悔するだろう。僕は優越感を持っているわけじゃない。あくまで、あいつがハメを外さないかが心配なだけだ。
「ふん、陽介はすぐにネットを辞めただろう。ウイルスが怖いって。そんなんだから古いままなんだよ」
「どうかな?」
「ちゃんと対策してる方が、一枚ウワテってこと! 対策もせずに投げるなんて、初心者のすることさ」
一枚も二枚も知ったことじゃないが、シュンの理屈は一理はある。確かにウイルスというものに怯えていた。それなりに金をかけて買ったパソコンを外部の悪意で壊したくなかったし、それならネット《病原体》に接続しなければウイルス感染しないだろうと思った。
でもそれじゃ、いつまでも前には進めない。いつかネットが一億人に広まったとき、共感しあえない。そもそも、そこまで多くの人にネットが広まったらウイルスはきちんとアンチウイルス《ワクチン》ソフトとかで対策されてるはずだ。
いや、それ以前の対策。根本から、そういうソフトを絶つ。ありえなくもない。
「ま、そのうちな。いまは焦る時じゃないよ〜」
「そんじゃあさ、ちょっと外行かない? 書きすぎたから遠くを見たいよ」
お待ちかねの外出。雑に準備をして、シュンと家を出る。来た道を戻り、道中で話し合う。
「『コインファイブ』はどう?」
「今日は空いてないよ。みんな新宿に出てるはず」
「そっか」
寄り道もせず中井駅。次の
行き止まりの西武新宿駅。正面は靖国通りを挟んでJR新宿東口。左を向けば歌舞伎町のほう。いかがわしい看板は、こんな表にはない。右手の高架大ガードはよほどのことがない限りくぐらない。西口のほうは、ガードの上を通る電車で来てこそ、たどり着けるものだとばかり思ってる。
僕とシュンが目指しているのはコマ劇の辺り。所縁はないが、そこが集まりだからしょうがない。本当ならもっと違う場所が良いのだが。
中央通りの看板の下。行き交う人に紛れて約数分。コマ劇を避けるようにして、しばらく行った路地の奥。謎の突き当りにある『コインナイン』。コインという店は、よくわからない。バーでもあるしディスコでもあるが、ゲーセンやレストランといったエンターテインメント施設にいつでも衣替えする。
中井にあるのがファイブで、ここはナイン。ナイトの言葉遊びらしいが、だじゃれにはなってない。入り口の階段を降り、分厚い一枚扉を押し開ける。
ナインの中ではフォークソングが流れていた。たむろする連中はみな、見慣れた顔ぶれ。小難しい関係でないからか、気軽に覚えられたのかもしれない。
「いまさらフォークソングなんか流行らないよ」
シュンはフォークソングに聴き入ってるのか、静まり返る場内に声を上げた。対して連中は、まるで抜け殻のように興味のなさそうな表情。果たして、どこまで逝ってしまっているのやら。
「なんだかなぁ……」
シュンは激しい手拍子で何かを示した。連中はまだ死んだ顔をしている。無空間。どうしてこんなに血の気が多いのか、僕には理解できない。
「はいはい、そんなんじゃだめだろう? どうした!」
連中に駆け寄り、行動を示すシュン。繰り返される言葉の数々。だが、連中は一切反応しなかった。これが無意味というものか。ここまでスルーされたことがあるだろうか。
「つまんねー」
気づけばコマ劇前広場であぐらをかいていた。シュンは自販機に行くとかいって、広場から消えてもう5分くらい経っている。すぐそこのひときわ目立つ白色のアスファルトでは、どこからともなくやってきたスケボー男子が順調に踊っている。広場の端からスケボーで飛ばし、僕のスレスレを通り過ぎる一幕。危ないような愉快なような。
僕は彼らと同じような笑顔のはずだったが、いまの僕は若者ではない。三十路まえだということを、忘れたことはない。忘れるのは、三十路になった瞬間だろう。意味を持たなくなれば、必然的に忘れても構わなくなる。そうして初めて、新たな記憶――三十路が生まれる。
「お兄さんも一緒にどうです?」
スケボー男子の一人、青ジャンパーに見知らぬスケートシューズを履いた奴が僕にスケボーをチラつかせた。
「いいよ。乗れないから。もうちょっと見せてよ」
なんとなく伝える。そうしたら後ろからやって来て、スケボーを降りたもう一人とコソコソ話す。スケボー男子は何か決めたらしい。助走をつけて滑り出す二人。僕の周りを囲むようにして、スレスレの回転。僕も目が回りそうになる。すれ違いざまに接触しそうな感じもしたら、目の錯覚だろうか。余計に勢いを付けてのファインプレー。
満足げに二人はスケボーを止めた。周りからも拍手が飛び、弾けるような音がする。僕も思わず唖然とし、無意識に拍手した。
「結構やばかったよ」
スケボー男子が口にする。
「でも、良い感じにできました。ありがとうございます!」
よくわからないが、僕に向かって言ってるようだった。お辞儀までして、そんなつもりはないのだが彼が礼儀正しいことはよくわかった。二人は、スケボーに乗りながら広場を後にした。見るものもなくなり、広場に座るのはさっきからいる若者連中とカップル二組くらいか。あまりいないな、思っているとシュンが帰ってきた。
「時間かかって悪いな」
「別にいいけど、何してた?」
「息抜きだよ。10分もあれば結構いけるぞ。お前もどうだ?」
「遠慮しとくよ、この辺は厄介だからね。ここで珍しい人を探したほうがよほどマシさ」
「じゃあさ、そこで何か買わない? 腹減っちゃって耐えられない」
僕はうなずいた。すぐそこのパン屋。菓子パンと惣菜パンをいくつか買って、また広場に戻る。パン屋の隣にあった安い自販機で野菜ジュースを手に入れ、若干ながら得した気分。
「まぁまぁだね、このマーマレード」
シュンはジャムをサンドした大変な菓子パンを手に、延々と『まぁまぁ』を繰り返しながら、あっという間に一つ食べきった。僕はというと、カツサンドを口いっぱいに頬張る。安いわりにやたらデカいカツサンドは、いったいどういう作り方をしているのか気になった。
そういう軽食を食べ進めていると、急に腹が痛くなってきた。たまにある急性的な症状。こうなるとただ座ってるわけにはいかない。僕はパンをシュンに託して、広場向こうの公衆トイレに走った。比較的あたらしそうなトイレだったが、あくまで公衆トイレ。中は新宿の一等地とは思えないトイレの空間が広がっている。奥の個室が空いていた。
隣がやかましく別な匂いがしたものの、僕は手短に済ませた。腹痛は止んだし、腹はすっきり爽快。ベルトが触れる金属音が隣から聞こえる。怖い。個室を出たら手洗いに直行。わずかに姿見で自分の目を見た瞬間、抜け出す。そうしてやっと一等地の広場に出られた。ジャムパンを買うくらいケチなシュンが、大人しく僕のパンを見張ってくれていたことには感激した。
「これ、よく食べなかったな」
「盗っ人扱いするな。俺はこういう時、いつでも食べなかったろ?」
「一口かじられてたことはよくあるぞ。手を付けてないとは思ってないからな。忘れるなよ」
素朴な味わいが終わる。同時、午後の曇り雲が晴れてきた。ここに来て広場は少し人の姿が多くなってきた。踊る者、騒ぐ者がいくつか出てくる。危ないし面倒なので、とっとと広場を抜けたはいいものの、ここからどうするか。とりあえず靖国通りに戻ると、人だかりができていた。
覗くまでもなく車道側にパトカーや消防の姿が見える。事件か事故かだろうけど、こんなに人が集まるものかと思いつつ、なんだか突っ立ってるのもイヤになってきた。
「今日はお開きか?」
「そだね……」
場所も良かった。シュンはそこの西武から各停、僕は信号渡ってJR東口から16番線。だが、16番線は東口からいちばん遠いホームだ。長い通路を西口改札の手前まで来てようやく、16番線。次の
東中野の地上ホームに明るいうちに降り立つのはいつぶりだろうか。思えば、ずいぶん『中井通い』以外のことをしてなかった気がした。とすると、まだまだ知らないことだらけ。僕は東中野と錦糸町の定期券と、東中野と中井の往復切符しか持っていない。狭い東京と言えど、僕は100倍狭い世界しか見ていない。
往復切符で160円の損失。急いでもないのに、行き当たりばったりで往復切符なんて買うもんじゃなかったと、ケチな後悔をしつつ買い物をしてアパート着。さて、ビビって放置していたパソコンでも開いてみるか。せっかく金をかけたんだから、使いこなしてナンボだろう。
夕方。テレビを見ていると、歌舞伎町で事故といってた。スケボーの青年二人が重体――無茶をしてしまったのだろう。これはもしかしたら、僕たちが大げさに振る舞ってしまったからなのかもしれない。
誰も知りやしないだろうし、礼儀正しい彼らがどう思っているのか知らないが、できることなら見舞いでもしてやりたい。そんな中で、冬の夕食にありつく時間。流れるバラエティは少し暗い展開で、いまは見たくない。我ながらピュアな反応をしたからか、わからなくなりそうで困る。
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