演技そのよん! 素敵なステッキで悪役爆散?





 極度の恐怖と極限の緊張に突き刺されると、人が示す反応はおおよそ3つに絞られる。

 すなわち『逃げる』か、『硬直する』か――――そして『戦う』かだ。


「うっ、ぉお、」


 最初は呻き声。次いで迸ったのは、悲鳴とも雄叫びともつかない絶叫だ。


 化け物がいる。蝙蝠と恐竜を掛け合わせ、さらにクトゥルフ要素を足したかのようなビジュアルを、非常識なまでにスケールアップしたかのような化け物がいる。

 非現実的ではあっても、客観的に自分の置かれた状況が危険なものであると判断する事はできた。だから俺は逃げようとする。

 当然の選択だ、戦うなんてとんでもない! 突如として体の自由を失い、強制飛行させられたかと思えば、何もない上空の空間を引き裂いて化け物が現れたのだ。それでどうしていきなり戦おうなんて発想が湧いてくる?

 ヤンキー漫画のキレたナイフみたいな青少年じゃあるまいし、その手の無鉄砲さからは20代で卒業した。たとえ魔法とかいう不思議パワーを持っていても、今の俺にとって大事なのは見ず知らずの赤の他人なんかじゃない。第一に自分と元嫁、娘達と今や極僅かになってしまった友達だ。四十路にもなると若かりし頃の義侠心なんて擦り切れているもので、身内以外のために体を張る義理人情はなくなってる。


 だというのに俺自身の意志に関わりなく、天女のように美しい体は臨戦態勢を取った。


 意図していない動作が俺に齎した狼狽ぶりは、ほとんど錯乱の域に近い。何せ俺という人間は基本的に臆病だ。いつも頭の片隅にあるのは、想像できる範囲内の危険ばかり。

 前世は冒険家か何かかってぐらい行動力に溢れていたからこそ、色んな体験をした。予期していない事態に直面すればまず一歩下がり、危ないと判断すれば即座に逃げ出すようになった。

 危なそうなら逃げる、それが当たり前だろう。若い頃に世界一周旅行なんて事を独自企画でやらかしてみれば、俺の心構えは誰だって理解できるようになるはずである。危険は遠ざけるに限る、自ら近づくなんて狂気の沙汰だ。そうでなくたって、とにかくデカくてグロい化け物が現れたら、正常な本能を持つ生き物はすぐさま逃げ出すはずだ。


「クソッ、動け! 体ぁ! 動けっての! に、逃げ――――」


 だのに体は逃走を拒否し、闘争を望んでいる。ありえない事だ、馬鹿げている。一も二もなく逃げ出したいのに、体は是が非でもあの化け物と戦おうとしている。

 体と心の二律背反。それによって体の動作はあべこべだ。一つの体に頭が二つ付いていて、それぞれが別の思惑を持って体の制御権を争っているかのようだ。


『体が動いてない………? 何をしているの、早く戦いなさい。貴方はもう敵と戦うための力を持っているのよ』

「無茶な事を抜かすっ………なぁぁあああ!?」


 高天原天津の声に対し怒鳴ろうとするも、語尾が間延びし悲鳴に転化する。

 化け物が、こちらを見ていた。頭部の大部分を占める面積の、大きな一つ目がぎょろりと俺を見ていたのだ。


 あまりに悍ましい視線だった。まるで物珍しい昆虫でも見つけた子供のそれ。蟻の巣の穴を見つけた子供が、水を流し込んだらどうなるんだろうと興味を持った時の目である。

 おぞけ立ってしまうのは、その目にありありと感情が籠もっていたから。人間の俺にも伝わり、何を思ったのかを想像させられてしまったから肌が粟立つ。

 そんな俺の戦慄なんて知ったことかと、呪いのようにこびり付いた声はなくならない。


『戦え。戦え。戦え――――』

「ざッけんなよ、こちとら荒事とは無縁の堅気だったんだぞ!? いきなり戦えとか言われてハイ分かりましたなんて言えるかぁ!?」

『――――あなたが戦わないと下界は滅却される。契約に抗わないで戦いなさい』

「はぁ? それってどういう――――って、言ってる場合じゃねえ!?」


 空間の裂け目から化け物が出てきたのだ。そして翼をはためかせ、あろうことか俺目掛けて飛んできたのである。超質量の巨体が一直線に進んでくる。その迫力たるや倒壊した高層ビルが、自分のいる側に倒れてきたかのようだ。

 うわぁ! 俺は悲鳴を上げて藻掻いた。魔法を制御して上手く翔び、華麗に回避するなんて真似は到底できない。無様に空中で錐揉み回転しながら飛行して、辛うじて回避が間に合い伸ばされてきた化け物の手を躱した。

 紙一重だった、後少し遅ければ捕まっていた。化け物の間合いから這う這うの体で逃れる。化け物は何が楽しいのかニタリと笑ったようだ。大きく横に裂けた口から、ちろちろと触手じみた舌を出して動かしている。

 ゾゾゾ、と背筋に嫌な感覚が走った。生理的な嫌悪感に怯んでしまう。上空まで一気に浮上し、上から化け物の全体像を見下ろすとますます恐ろしく見えてしまった。


 姿形がグロ過ぎる、あれはもう悪魔と形容する他にない。

 その悪魔が嗤いながら、背中に有する背ビレを縦に割ったように開いて、中から大腸のような触手を無数に伸ばしてくる。

 正確な数を見て取れない大量の触手を、俺は水を掻くように手足をバタつかせながら死に物狂いで躱した。蝶の羽根を模した青い光の翼がはためき、信じられないほど優美な軌道を描いて触手を回避できてしまったが、巨大極まる悪魔は笑っているばかりで、残忍に虫を弄ぶかの如く触手を伸長させ続けて逃げ回る俺を追い掛けた。


 あたかもその気になれば、すぐに捕まえられる虫けらで遊んでいるかのようだ。頭の中に天津の声が響く。


『どのみち貴方は逃げられない。契約は貴方に戦いを強制する。敵前逃亡は魔道不覚悟、戦わないなら死ぬしかないわ。もはや貴方は日本国民を守る盾であり矛なの。私のように体を他人に明け渡さない限り、悪魔ストリゴイとの戦いは永遠に終わらない』

「訳が分からんッ! 分かるように言えよッ!?」


 叫んだ。だが分かっている。呑み込めないだけで頭では分かっているのだ。この声は残留思念、俺との会話なんて成立し得ない。それでも言わずにはおれなかった。

 何もかもが突然過ぎる。男は度胸と言うけれど、意味不明な状況でいきなり蛮勇を発揮できるわけがない。事前に入念な説明を受けていて、覚悟を決めるだけの時間的猶予があれば、まだしもまともにやれたのだろうけども。少なくとも今の俺には無理な話でしかなかった。


 高天原天津の残留思念は、俺がごねる可能性も想定していたのだろう。こうしたケースに備えて遺していた魔法が、俺の中で弾けて浸透してくる感覚に侵された。

 それはまるで体という瓶の中に液体を注ぎ込まれ、全身がホルマリン漬けにされたかのような。強制的に肉体の制御権を収奪され、俺の意識が別室に隔離されたかのような。

 そんな怖さ。意識は明瞭なのに、声一つ上げられないようにされ、俺はいよいよ錯乱してしまっていた。


『これは出血大サービス。初回限定の特典よ。………一度だけ、私が戦う。その一度限りの機会で、魔法を使う感覚と戦うための術を覚えなさい。簡単な事のはずよ、貴方はもうそれを識っているのだから。私の体が命じるまま、貴方の感性が望むままに戦えばいい。

 ………ごめんなさい、本当は貴方を巻き込んだ私が悪い。敗けてしまった私が悪い。このプログラムだって起動したくはなかった。守るべき世界の民に、私の代わりを押し付けるのはいけない事………そんな事は分かってる。でもこうするしかなかったのよ。ストリゴイとの戦いを放棄すれば、世界はメチャクチャになってしまう。だからせめて、貴方に戦い方を教えるわ。魂が限界を迎えて、消滅するしかなかった私にできるのはそれだけなの。後はもう貴方自身が考えて、貴方が自分で戦わないといけないわ』


 天津の残留思念に支配された体は虚空に手を翳す。するとその手に杖が顕れた。ブロンズ製の斧を模した王笏だ。

 瀟洒な意匠でありながら、数多の実戦を経て来たのであろう重厚な重みがある。魔法少女の魔法のステッキと言い張るには無理があるほど、メルヘンさとは無縁な実戦重視の杖だ。


 戯れるように俺を追っていた悪魔が首をひねる。人間に通じる感情豊かな仕草だ。突然目の前の虫けらが変貌し、猛毒を秘めた針を見せつけて来たのに戸惑ったようである。


『正真正銘、これが最後。私から貴方への引き継ぎは、この戦いで完了よ。ついでにアドバイスしてあげるわ。――――心を若返らせて果敢になりなさい。慎重が過ぎて臆病でいるよりずっと良い。勝利の神は女よ、女の気を引きたいならいっそ酷薄なまでに乱暴を働かないといけない。勝利の運命は冷静な人間よりがむしゃらな人間に靡くの。女が若い男を好むように、後先なんか考えず大胆に支配したなら――――貴方は勝つわ』


 容姿に反した苛烈な物言いに、声一つ上げられない俺は内心絶句していた。

 なんとなく分かっちゃいたが………この、土日の朝に電波へ乗る、魔法少女物のアニメとは根本的にジャンルが違うらしい。


 この先自分がどうなるのかまるで見当がつかず、正しい意味で途方に暮れるのだった。









     †  †  †  †  †  †  †  †









 突然、空が翳った。

 晴天の空の中心で、ギンギラギンと照っていた太陽が何かに覆い隠されたのだ。

 かと思えばすぐに晴れ、と思ったらまたすぐ翳る。

 そんな事が二度、三度と繰り返されれば、どんなに鈍感な人間でも何事だと思って空を見上げる事ぐらいはするだろう。


「え………? なに、あれ………」


 スクランブル交差点を渡っていた瀬田綾子セタ・アヤコは、突如として空に顕れた・・・非現実を目撃する。彼女だけではない、傍らに立つ年上の友人アーサーもまた愕然と空を見上げていた。


 雲ひとつ無い空に雷鳴が迸っている。現実に有り得てはならない異形の化け物が東京の上空を翔び、絶叫を轟かせながら小さな影を追っていた。


 小さな影が化け物と擦れ違う度に黒い血飛沫が舞い、地上に黒い雨を降らせ。それが体や顔に掛かった地上の人々は悲鳴を上げた。なんだあれは! 誰かが叫んだ。CG? ホログラム? そんなわけはない、化け物の血が確かにあるのだ。

 黒い血は蒸気となって瞬く間に蒸発していく。誰かがスマホで動画を撮影しだした。化け物と小さな影が交錯し、離れたかと思えば小さな影から雷撃が放たれ、巨大な黒い化け物を灼き尽くす。地上のざわめきは最早地響きに等しい音量を伴い、誰もが上空の出来事を見詰めていた。


 小さな影を、化け物が尾で叩き伏せ、一気に地上まで高度を下げさせる。するとその正体がはっきりと視認できた。


 女の子だった。上から下まで黒衣を纏い、首に紅い帯を提げた黒髪の少女。人間離れして美しい彼女は青い粒子で構成された、蝶のような翼を広げ、ギリギリで地面への激突を免れる。キッと鋭い目で上の化け物を睨みつけ飛び立つ寸前――――彼女は、東京都民が自分を見ているのに気付いたのか、一瞬「なっ?」と声を上げた。


「なぜ私が、見えているの」


 呟きは、誰に確認したのでもない。信じられない思いでいっぱいだった顔が、綾子を見つけて目を見開く。


「『………綾子?』」

「え………」


 あたかもよく知る相手の名前を呼んだかのように、自然と零れ落ちた誰何の声。思わず綾子は唖然とした。あなたは………と声を震えさせながら問いかけようとする寸前、黒い装束の女の子は翼をはためかせ、振り払うように飛び立っていく。

 黒い化け物が恐竜のような頭を下に向け、大きな口を開いて急降下してきたのである。その凄まじい迫力に誰もが悲鳴を上げた。その反応で化け物もまた視認されたと知ったらしい少女は、焦りを満面に浮かべつつ魔法陣を展開する。


 全長50メートルはあろうかという化け物を受け止める盾。僅か数十メートル上空で、魔法陣の盾を広げた少女と、超質量の化け物が激突する。その衝撃波は近くの店舗や高層ビルの窓ガラス、液晶画面を軒並み破損させ、小さな子供なら吹き飛ばされそうな爆風を撒き散らした。

 パニックを起こして逃げ出す人々。綾子もまた両腕で顔を庇いながら、しかし上空で化け物を受け止め歯を食いしばる少女から目を離せなかった。どうしてか、彼女の事をよく知っている気がしたのだ。


「アヤコ! ボサッとするな!」

「あっ、アーサー!? ま、待って!」

「待てと言われて待つ馬鹿があるか? コウジロウの許へ送り届けるまでにアヤコに怪我の一つでもさせてしまえば、コウジロウに合わせる顔がなくなる!」


 頭二つ分は背の高い、イギリス人の友達が綾子の腕を掴んで走り出す。

 とにかく逃げないといけないというのは漠然と分かる。だがあの女の子の事が気になって仕方がない。しかしアーサーは一回り年下の友達の訴えなどに耳を貸さず、力に物を言わせて無理矢理引っ張って走った。

 綾子はアーサーに引っ張られながら、それでも後ろを振り返り少女に目を向ける。


 少女は化け物を青い光の糸で絡め取り、「ぜぁッ!」という鋭い気合と共に空に投げ飛ばす。人の可聴域にない、しかし全身の肌を打撃する大声量で悲鳴らしきものを上げた化け物目掛け、少女は手にしていた斧のような杖を投げつけた。


「““稲妻fulgur””ッ!」


 すると擲たれた斧杖が一条の雷となり、化け物の脳天を貫通した。それで事切れたのだろう、化け物の体から力が抜ける。

 重力に引かれ落下してくる巨体を、少女は手元に召喚した斧杖を掴み、空に掲げる。そして再び力ある言葉を唱えた。


「“大嵐tempestas”」


 少女の足元から青い風が吹き荒び、それが竜巻となって彼女を包んだかと思うと、天高く突き上げるようにして突風が駆け抜けて、化け物の死骸を吹き飛ばしてしまった。

 そして、無人となった無残なるスクランブル交差点を見渡し、アーサーに連れられ走り去っていく綾子に目を向けた。あなたは、いったい――――綾子の感じる不思議な既視感、その正体がわからないまま少女は吹き飛ばした化け物の骸を追うように飛び上がり、物の数秒で見えなくなってしまう。


 後に残されたのは、昼間にも関わらず声一つない、不気味な静寂だけだった。


 綾子は恐らく、この場に居合わせた全ての人が思ったであろう台詞を口に出す。


「な、なんだったん………? 今の………」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る