第51話 Dnaラセンハワラフ


 「ち、違う! ……あなたは、なんにも分かってない!」


 限界まで大きく見開いた眼をして首をおどおど左右に振りながら、シラヌイは心底怯えきっていた。

 彼は失ってしまったのだ。無くしてから初めて気付く、とっても大切な存在を。ともすれば、あって当たり前、傍に居て当たり前で、本当の価値に気づくことも出来てはいなかった存在を。


 (なんにも分かっていないのは……そうか……私か?)


 「どうして……ママが、あのウルフィラが協力したのかも!」


 (協力? そんな言葉では言い表せない……全身全霊を捧げてくれた。こんな……こんな私の欲望、つまらない楽しみに…………ああ! なんてこと……彼女をただ利用したのか?)


 無駄だと知りつつ、後ずさりする。


 「どうして期間が一週間な……」


 バンッ!


 2発目の弾丸が発射され、老いた赤子の額を撃ち抜く。



 シラヌイは力を発動させ、亜空間に跳んだ。


 進むべき道を示す燈台として、さらに己を在り場所へ繫ぎ止めてくれる碇としての、重要な役割であったウルフィラのサポートの無い今、出発点が漆黒の闇の中。無重力空間で無作為に回転させられる以上に方向が定まらない、行きつく先も何処にも見えない、感じられない。


 デビルの時間を巻き戻す神の異能力は、彼女の存在無しには使えない。


 無限の可能性と無限の可能性、それが現在と過去。過去の何処かに彼女がいたとしても無限の混じった数式から可能性は絞り込めない。


 (どうすることもできない……ママが……見えない)


 止めどなく流れる涙。


 心の片隅で、この異能力の致命的弱点にシラヌイは気づいていた。しかし彼はこの事に囚われてはならなかった、決して。母という強烈な繋がり、通常よりも遥かに強い絆、それを断ち切らなければ彼自身、親からの独立が、個としての自由が、本当の意味で手にできないのだから。


 数えきれない年月が過ぎ、やがて無限時空で意識、魂が霧散していく。


 果てしなく長く、何度も繰り返されたリピートの人生、休息の無い闘争の人生。それは彼を生み出した世の中、世界との闘いだったのかもしれない。


 (結局……マジョリティの……怪物……に……飲み込まれた……の……か)



 彼の心、最後に浮かぶのは……ウルフィラの優しいほほえみ。


 苛烈な生き様の中で、いつの間にか目に留めることも忘れていたあの笑顔。


 肩の力が抜け、安息の地へ還っていく。


 (いつか……どこかで……会える……と……いい……ね……マ……マ)


 D.M.シラヌイ、デビル・ベイブの命は尽きた。




 恐ろしい代償を払ったが、事件は解決した。真犯人を亜空間へ突き落すという人類史上初めての殺害方法で殺した。


 (事件は解決した?)



 「あんたは誰も救えてない」


 「僕は誰も救えていない?」


 「ウルフィラは、どうしてこんな連続殺人という、おぞましい事件に協力した」


 「心優しい彼女が……殺人を手伝った。ああ、不思議だ、だけどこれはすべて愛する人のため、だから協力した」


 「この島にみんなが集められて……期限が、もうすぐ約束の期限がくる」


 「そう、い、一週間経つ」


 「シラヌイはどうして何度も初日に戻った?」


 「シラヌイは失敗すると、直前ではなく最初に戻った……一から巻き戻し繰り返した」


 「ウルフィラはちゃんと理解していた。彼のすることは、本当に恐ろしい行動だけど……これは確定していない幻」


 「最初に、あの晩餐の日に時を巻き戻せば……」


 「元に戻るから」


 「みんな元に戻り生き返る」



 マーヴェルの銃を握る手が震える。


 「だ、だけど……それは……仮定……担保がない」


 「シラヌイの言葉だけだと信頼できない?」


 「そ、そう」


 「この世界で、このたった一度のチャンスですべてを終わらせるしかない?」


 「そうだ! きっと次はもう無い……この銃も手に入らず、より巧妙に、より難しく……ああ! 間違っていないよ、今回でけりをつけなければ駄目だったんだ」


 少し安堵の笑みを浮かべる。


 「ふぅ~…………じゃあ結局、死を、みんなの死を確定させたのは」


 「誰?」


 「すべてを殺したのは誰?」


 「僕が今、すべて殺した……」


 ポロリポロリと涙がこぼれた。


 「フフフ……名探偵は……死を招く」


 「名探偵は名犯罪者を生む」


 「シラヌイも僕がいなければこんなことしなかったの?」


 「それは……それは分からないわ」


 答えのない疑問。



 探偵は岸壁の方を向き、ゆっくり歩きだす。


 『二重螺旋の支配する世界は……きっと異物を排除する』


 クリスは不意に博士の言葉を思い出した。


 風がやさしく吹き、彼女の美しい黒髪をそっと揺らす。

 暖かな日差しが真っ白い肌をキラキラ撫でる。


 両手を少し広げ空を仰ぎ見る、無言の時はさらに流れ。


 波の音、木々の擦れ合う音、小鳥のさえずり……心地よく耳をくすぐる。

 潮のにおい、森林の香り、雨に濡れた土壌のにおい、絡み合う香りが鼻腔を満たす。

 青い空に走る白い雲、青い海にうねる白波。グレー、ブラウン、イエロー、グリーン……様々な色彩が蒼深い眼差しに吸い込まれる。


 五感を研ぎ澄ませ、この世界と向き合った数分。


 マーヴェルは波止場の淵に足を掛け、そっと微笑む。クリスは銃をゆっくり上げ、銃口をこめかみに。


 「うちはずっとそばにいる」


 「僕はずっとそばにいる」


 「じゃあそろそろ……皆さんにサヨナラしようか……」


 二人は目を閉じた。



 ピンクグレーの脳細胞の中。


 少女が、銃口から立ち上る硝煙をフッっと吹き消す。


 そして……彼女は囁く……口だけの動き。


 『ダ・レ・モ…イ・ナ・ク・ナ・ル』



 水音は刹那に消えた。

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