第50話 クリスティーン


 彼女は捨て子だった。薄汚れた粗末な赤ちゃんかごに、へたくそな手作りの布人形と一緒に置き去りにされていた。


 幸いにも、命が尽きる前に発見され保護施設に送られ成長することができた。


 一切周りの子たちとは打ち解けず、独りぼっちが好きな黒髪の少女。


 (うちにはマーヴェルがいる……いや……その時はまだ違う名前だったかな)


 クリスティーンは全く手のかからない子だった。何もかも完璧、天才少女。一度見たもの、聞いたものは忘れない恐ろしいほどの記憶力、子供とは思えない鋭い観察力、洞察力。

 ただ、人と関わることは好まず、いつも手元に人形を携える奇妙で不気味な少女。


 彼女の遺伝子は特殊、三重螺旋を持つ、俗にトリニティヘリックス遺伝子といわれているものの持ち主であった。ある大国も莫大な予算を投じ、秘密裏に研究している謎の進化遺伝子。それはシラヌイに集められた他の異能力者と同様。



 クリスが13歳のころ彼女の才能の噂を聞き付けた、年老いた独り身の学者に引き取られることになる。

 天才数学者で相当の堅物、あまりの理論の高度さに誰にも理解できない…されない変わり者。どれほどの天才かといえば、6年傍にいた彼女が、博士の語る数式が一体何を意味しているのか訳が分からなかったほど、そういえばイメージしてもらえるだろうか。


 この人物のもとで生活し、数年後には飛び級で大学も卒業する。


 のちに、クリスが警察関係者と懇意な探偵となるのも、博士が確率的犯罪者プロファイリングの提唱者であり、アドバイザーとしてかかわることがあったからだ。



 博士がクリスを養子にしたのはなぜか? まず単純な愛情や博愛精神からの社会貢献などではない。その目的は自分の研究の後継者、跡取りとしてだろうか?

 表向きはそうであろうが……本当の目的は違うことが連れていかれた少女にはすぐに分かった。


 彼のことを完璧に理解し、彼の死後、完璧に事を成し遂げる生きた装置として必要としただけだと。


 博士には決して誰にも理解できない性癖があった。


 モノしか愛せない対物性愛者。彼は螺旋をこよなく愛していた。

 彼の家の一部屋は螺旋のオブジェ、モチーフにした絵画、写真、本、それらで埋め尽くされていた。それは常軌を逸した内装空間。並みの神経ならば、5分と入っていられない。


 彼の真なる目的を俗っぽく解説すれば、心血を注いだ莫大で大切な己の分身のようなコレクションを、何の価値も分からないゴミの様にしか思えない奴に託すことは出来ない。せめて理解者に後を任せたい。それが可能だと博士が白羽の矢を立てた存在がクリスなのだ。



 彼の寿命が付き天に召される前、死の床でクリスにささやいた。


 「わたしの大事なあれ。お前が後を継いで後生だから大切にしてくれ……フフッ…………なんて……あぁ、無駄か…………ならば、もしくは……すべて奇麗に焼き払い、理解できぬ愚かな者……誰の目にもとまらぬよう消し去っ……て……おくれ」


 いわばこれが博士の遺言。


 クリスはどうしたのか?


 そんなものはどうでもいい、博士も分かっているだろう、あの言葉を誰かに告げる事こそが大事、それで事は足りた。満足し彼の心は満たされたはずだ。



 すぐさま何もかも捨て去って、彼女は屋敷を出て行った。


 義理は果たし、枷が外れ自由に世界へと旅立つ。


 そして名乗る、探偵業を。


 名探偵クリス・マーヴェルを。




 探偵マーヴェルは、いつも布切れを、歳月でくたびれた相棒の人形の成れの果てを…持ち歩く、独り言の絶えない風変りな探偵。

 静かに何かを見つめる時の端整で涼しげな顔つきから想像もできない、突如とりだす子供のようなエキセントリックな行動、演じているのでなければ、まるで二重人格者。


 自分のことを「僕」と呼んだり「うち」と言ったり。


 クリスは知能的には桁違いに優れるが社会不適合の1人格を大好きな人形に投影し、社交的な外部との交渉役の2人格をメインに持ってきた。この主でも従でもない、お互い螺旋のように絡み合う二つの人格があらゆる考えを交換し合い、見事に知の高みへと精神を持ち上げた。


 恋する乙女のような人格クリスには、ちょっと分かれて距離を取りたいの、なんて思うときはなかったが……たまに一人になりたいときもある人格マーヴェルは、布切れを肌身から離して仕舞う、という儀式を行うことで束の間の孤独を楽しむ。


 シラヌイが時間を繰り返すように、探偵マーヴェルは二人で考察を永遠と繰り返す。

 自問自答、自己問答。互いの気持ちを語り合い、自分を深く知り、相手を深く知る。相手の考えを聞き、相手の思いを聞き、さまざまな角度から考え、思考を投げ返す。


 彼女の異能力、これが超絶推理だ。


 この力は推理のためというより、究極の相互理解の力と言っても良いかもしれない。




 やめろと叫ぶすべての声を無視して、探偵は引き金を引いた。


 発射された弾丸は正確にメイドの額を打ち抜いた。彼女は何も感じる間無く即死した。



 ガタガタ震えている、シラヌイ。自分の意志で震えが止められない。もう立っていられず片膝をついてしまう。そのまま崩れるように座り込むと、両手を地面につき、震える指先で土を掴む。


 「……ばかな、そんな、……ばかな……こと……」


 彼女は静かに答える。


 「僕は理解した、何をすべきか」

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