第45話 過去


 十年前。


 ある貴族の所有する果樹園の一角で、ひっそりと葬儀が行われていた。集ったのは牧師以外に数人だけ、使用人頭の背中の曲がった年輩の男と、故人と親しくしていた同僚の女たち。


 粗末な薄い木の箱に入れられ、埋葬人によってメイドの女が埋められた。

 死に化粧もろくにせず、あざや裂傷で傷つき崩れた顔は、生前の愛嬌の良さを想像だにもできない。


 参列していた女中のスカートを握り、陰に隠れている一人の少女。何が行われているのか、ほとんどを理解することができずに、ただ漠然と不安だけをもって見つめている。


 簡略された儀式すべてが早々に終わり、一同が屋敷へ帰る道。道路脇に止まった大きな四輪駆動の高級車から若い男が顔をのぞかせ、おっくうそうに一言「終わったか?」

 この土地の支配者は高位の別世界の人間、決して逆らうことのできない雇い主。彼はその族長が溺愛する次男の御曹司。

 それが、たとえどんなに心のゆがんだ人物であったとしても大切に守られていた。


 「済ませました。お坊ちゃん……」そう言って使用人の男は、ただただ頭を下げる。周りの女は強い恐れと険悪から目をそらして地面を見る。


 こんな時間の無駄で辛気臭い行事に付き合わされて、気分の良くない御曹司は、本来なら……そのまま車のエンジンをかけ、さっさと立ち去るはずが……一つの視線に引き付けられた。


 それは彼がよこしまな欲望のまま壊して捨てた女の娘の眼差し。


 またどこからか、ふつふつと湧き上がる邪悪で甘美な渇望、もう解消したはずなのに……。


 助手席のドアを開け、少女を載せる。


 ウルフィラ12歳、このころの記憶はほとんど消失している。レイプされたことなど全く覚えてはいない。




 現在。


 ウルフィラがスカートを両手で持って僅かにたくし上げると、バレリーナのお辞儀のように身をかがめた。


 名探偵マーヴェルはここに宣言しよう。

 今後の人生で……この時繰り広げられる目の前の場面以上に驚愕することはないだろう。どんな難事件に出会おうとも、どんなにぶっ飛んだシリアルキラーや狂人を相手にすることになったとしても。


 「わたし、上手くできたの?」


 現状をすべては理解できていないキョトンとした感じだが、とても嬉しそうなウルフィラが聞いた。


 クリスは目を細めて、ただメイドと向かい合う。




 再び10年前。


 すべての元凶と言えるかもしれない、あの御曹司の男は、親父に強く叱責されていた。

 隣で対岸の火事だと高みの見物をしている、跡取り息子の兄貴の蔑んだ目にイラつきながらも、浴びせられる怒鳴り声にとても怯えていた。


 「お前はどうしていつも! 面倒ばかり。いつもいつも!」


 「だ、だいじょうぶ……何とかするから」


 「おいおい、簡単に言うなよ弟よ! 立て続けに、不審死で葬式をあげるのか!? それも今度は子供となれば……さすがの父さんでも警察を抑えるのが難しいのでは?」


 弟には分かる、コケにしたような口調で兄が言った。


 「ったく、バカ息子が! おまえのようなろくでなしの方が、先に生まれてこなくて本当によかったわっ!」


 その父親の言葉に兄は、正当な跡取りである自分がより肯定されたようで、思わず満面の笑みを浮かべ続けて言う。


 「フフフ、ですね全く。では、優秀な兄からアイデアを一つ。子供のころ遊んだあの山のふもとに、洞窟があっただろ……入り組んだ鍾乳洞が? ああ、そうそう、お前が怯えて怖気づいちまって、中には入らなかったが……ハハッ! あそこに連れていけ」


 「?」


 「捨て置くんだよ。一度迷い込んだら終わりだ、出てこれない、必ず死ぬ。そうすれば…………万が一……見つかったとしても、子供がただ勝手に遊びに出て迷い込んだだけ、それだけの話で片が付く」


 「な、なるほど……さすが兄貴。……わかったそうする」


 「さっさとな。…………ん? 待てよ…そうだ、男らしく責任を取り、結婚してこの家を出るという手もあるか? 愛しの使用人と……ハハハッ」


 わざとらしく嫌味を言ってくる腹違いの兄のその態度に、弟は歯をギリギリ言わせて、怒りを抑える。


 「冗談でも馬鹿なことを言うな、我が一族にそんな下種な者の血を入れることはならん! しっかり事を済ませろ」

 父親がこの件はもう終わりだと、吐き捨てるようにそう言って出て行った。


 兄も後を追って去り、部屋に一人残された男。


 父親の書斎なだけに、辺りの物を投げつけたり蹴り壊したりもできず、怒りのやり場がない。震えるこぶしを握り締め、自分の両腿をガンガン叩いた。


 (くそっ! どうしてなんだ!? ったく運が悪すぎる。どうして、ありえないっ、ありえない! あのクソガキが……)


 今となっては、もう顔さえまともに思い浮かべられない、何の価値もない奴隷の小娘。


 (…………妊娠なんかしやがって)





 再び現在。


 驚愕の最終幕が開く。



 「……やったよ、やっとここまで来たよ」


 また例の声が聞こえる。言葉使いの感じは違うが……どこかで、どこかで聞いた声に似ているのではないか?


 ウルフィラのスカートが少し揺れうごめいた。そして裾に……小さな……指が……見える。


 彼女が話しかける、前を向いてではなく…………下を向いて。


 「やり遂げた……ってこと?」


 「……あと……あと少しだよ」


 ずるぅ、じゅぼん。聞いたことのない音が微かにしたかと思うと……彼女の足元、スカートの下で小さな両足が地面に着く。


 「少しで、終わりだよ…………ママ……」


 それはウルフィラがこの世で一番一番一番大事な存在、愛おしい我が子「デビルちゃん」の可愛い声…両足。

 この子以外は何もいらない!! すべてを捨ててもいい、犠牲にしてもいい。


 そう……あなたが、ご存知の名で呼ぶなら……D.M.シラヌイ。

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