第46話 暗い穴


 ウルフィラの能力は探知、ただし千里眼やレーダーのように正確に何かの存在場所が分かるのではない。

 特殊な三重らせん遺伝子の持ち主を嗅ぎ分けることができる、つまりは異能力者の存在を感じることができるのだ。


 彼女の特殊能力によって、この島に集められた人々がすべて本物の異能力の持ち主かは確実に選別できた。

 だが、ウルフィラにとってこんな才能はどうでもいい。肝心なこと、唯一肝心なことは大切な我が子の存在を見つけられたこと。感じていられることだ。


 少女の記憶、シラヌイの生まれる以前の出来事なんぞもはや無価値、脳の奥底に深く埋められ忘れ去られた。過去を思い返したとしても浮かぶのはただ一つ……至高の幸福感、天から授かった愛しい魂の鼓動を感じた瞬間だけだった。



 彼女は我が子にデビル・ベイブ「デビルちゃん」と名前を付けた。


 その理由は……どこか奇妙で愉快な絵本を、母に読んでもらったことがあったから。

 その物語の一節にこんな話があった。

 『本当に失いたくないものに素敵な名前を付けてしまってはダメ。誰かに奪われてしまうから。わざと他人が忌み嫌う言葉を付けておきなさい』



 あの日、母親の葬儀の帰りに邪悪な獣に襲われた後、彼女の中で命が宿った。


 まだすべてを理解するには幼すぎた彼女は、悪夢から目覚めるとその記憶を無意識に深く深く沈めた。もう過ぎた出来事についてそれ以上何も考えず、その日その日をただ生きる生活。

 そんな深く大きな穴が心に開いた暮らしで二月強が経ったころ、母体で受精卵は胎児になる。


 そしてある日、ついに! 異能力発動可能成長点を超えた!! 赤子は神聖なる能力を発現したのだ!!!


 ウルフィラは雷に打たれたかのような、今まで経験したことの無い衝撃を受けた。


 (わたしはひとりじゃない!!)


 妊娠という体の異変に、自分自身でも薄々とは感じてはいた。だが、それがなんだというのだ? 夢も希望もない生活の中では大した意味はなかった。そう、この時までは。


 彼女は自分の異能力に気づいたわけではない。もっともっと重要なことに気が付いたのだ。


 (赤ちゃんとわたし……もう二人がいれば……だれもいなくなってもかまわない!)


 ウルフィラは意味を知った、自分の生きる意味を。

 彼女の心の空洞を埋めるにはあまりある、十二分に素晴らしい希望だった。




 ……デビルはこの世から消えた。


 罪深き闇の神はいつも期待を持たせるだけ……希望なんてしょせん夢幻、彼女のもとからも儚くも消え去った?


 ……死んだのは、能力発現後7日目の事……でもウルフィラは何も知らない、愛すべきものが誕生したこと以外はまだ。


 胎児は何度もこの世から消えた。

 ウルフィラの未熟な体、決して良いとは言えない生活環境、さまざまな劣悪因子が胎児を襲った。


 彼は諦めない、生きることを。


 何度この世から消えようとも、また母親の元へ戻る。


 何度でも。


 デビルの能力、それは……それは、時を超える力。



 時間を、巻き戻せるのだ!!



 彼が初めて死んだとき、時が巻き戻り、一週間ほど前に戻った。

 それは考えての行動ではない、生きる本能のまま。


 母体も胎児もすべてが稚拙なうえ、周りの誰も助けてくれない、生き抜くには過酷な環境。

 だが! 決して諦めはしない。力尽きるまで、生命力の一滴まで使い尽くし、努力し、足掻きつづけた……それでもあっけなく命は消え去った。


 この特異な赤子は、山と積み重なる命絶えた屍の上に立っているのか? いや違う。命のバトンを必死につないで、一歩一歩小さな歩みを、成長を成し遂げたのだ。



 母親であるウルフィラには、確実に息づく生命の鼓動を感じられていた。

 大いなる希望は決して消えてはいなかった。

 そして、時のリピートを知らぬ彼女の視点から見れば、驚異の速さで順調に成長している愛しの子。


 ……傍から見れば、これは常識外の異様な速さ。


 彼の巻き戻し能力には特殊な作用があった。

 記憶と共に成長の一部、経験値を持って過去に帰るのだ。いうなれば魂の転生といってもよいかもしれない。



 こうして少しずつ膨らむウルフィラのお腹の中で、奇異な成長サイクルを繰り返していくデビルだったが……。

 やがて、少女の異変が支配者の耳にも届く。


 正真正銘の悪魔の凶手が彼女に迫る。

 ある夜、暗闇の中、抵抗も空しく拉致されたウルフィラは地獄の洞窟へ突き落された。これで、この忌まわしい秘密をしゃべるものは誰もいない。永遠に彼女は戻ってこられない。


 たしかにこの日からウルフィラにとって、この地とは何の接点もなくなった。

 故郷と少女、お互いに忘れ去られる、眼中にない薄い存在同士になった。




 洞窟に幽閉された初日、幸運なことに子供の柔軟性が幸いして、多少の打ち身、擦り傷以外の大きな怪我をせずに、深淵の底へと転がり落ちた。

 落とされた隙間に戻ることは彼女には不可能、反り返る脆くギザギザな岩肌を登ることはプロのクライマーでも簡単ではない。


 周りを照らすのは天の亀裂からのわずかばかり差し込む光だけ、物理的に彼女を満たしてくれるものも何もない。

 もしウルフィラたちを探そうとする者が一人でもいたならば、決してやってはならない、まずい行動だったが、彼女は当てもないまま動ける場所を彷徨ってしまう。

 くたびれて座り込むと、ただひたすらお腹の中の我が子に語りかけるだけ。



 初回目。

 3日後、デビルに話しかけても反応がないことに気づく。彼女は極限まで絶望した。


 ……そして時は7日前に戻る。



 2回目。

 数日後、赤ん坊は知っていたが、彼女は知らない……部屋で寝ている闇の中、拉致されて穴に落とされる。

 赤子は、またしても力尽き……時が戻る。



 繰り返され増える回数。



 9回目。

 赤子の強い意志は、一歩ずつ己の寿命を延ばしていく。

 最初の危機は乗り切った。


 だが4日後、少女の意識が遠のく……極度の脱水症状だった。

 そしてあくる日彼女は死んだ。


 デビルはこの直前、初めて自らの意志で過去へ飛んだ。

 ウルフィラの生命の危機、母体の最期を察知したのだ。現実世界の時間軸から切り離された亜空間を漂いながら、まだ言葉にはならない知能で考える。


 (どう…する)


 二つの選択肢があった、時間的最大の距離7日前に戻るのか、それよりも手前に戻るのか? この過去に遡ることのできる限界の最大距離というのは、彼が初めて発動した時によって定められた制限なのか、パワーの限界なのかは分からない。


 彼は選択する、手前に降り立つことを。

 言葉で言うほど簡単ではない奇妙な動作だが、イメージしてみるなら、最も昔にあたる終着駅ではない、途中の駅で降りることにした、そんな行動。


 そちらを選んだのはなぜか? 洞窟に落ちてからの母体であるウルフィラ、何か知らないけれど……大切な、彼女の精神がより安定していたように感じられたから。


 そう、彼女にとっては赤ん坊と二人きりの世界がとっても幸せだったから。


 この選択が後にどう影響したのかは、もう今となっては検証しようがない。



 その後も永遠と回数を重ねた。



 ある時、デビルは自分の力の制限の一つに気が付く。

 一度過去へ戻ると、それよりも昔へ、時を超えることができないことに。


 彼の力では7日目前に戻れるが、あえて3日目に戻ると……その日の時点を基準にもう後戻りできないのだ。この事実から、何回も巻き戻しを繰り返して大昔へタイムトラベルすることが不可能だともいえる。



 200回は超えたころ、何時ものようにだが…何時ものようにではなく…ウルフィラがお腹の中の赤ん坊に話しかけると……。

 返事があった。

 ウルフィラの空想ではない、デビルが声を発したのだ。


 母親は驚いたが、すぐに受け入れる。

 当然だ、神が与えてくれた子、降誕した聖なる我が子デビル・ベイブなのだから。



 そしてまた時を繰り返す。


 ウルフィラは生き抜くため、かすかな光で生える草を、苔を食べ、昆虫、爬虫類、あらゆる動く物を喰らい、泥水をすすった。



 やがて実際の時間は少しずつ前にずれ、最大の過去に戻った時点でウルフィラが穴に落とされてから8日が経っていた。


 この時デビルの知能は幼稚園児並みにまで成長していた。たどたどしくはあったがはっきりと、母親とは言葉で意思疎通が出来始めていた。


 『…ママ……私…は……だいたい…この穴…どんな…分かった…』


 「へ~すごい! デビルちゃん」


 彼は時間巻き戻し能力の使い方も上達し、重大な危機が訪れる前に過去に戻ることも学んでいた。そのおかげでウルフィラも、ベストではないがベターな体調を維持しておけるようになっていた。


 『……フフ、……ホントは……ね…ママが…ね……がんばったん……だ』


 ウルフィラもデビルの時を超える能力の事は聞いてはいたが、彼女の頭では今一つ理解できていない。


 「? そうなの、よくわからないけど。喜んでくれるなら、それだけでわたしとっても幸せ!」


 赤子は母親に、様々な方角にある洞窟の横穴に入るように、お腹の中から指示する。彼女は一切の疑問を挟まない。彼の言う事は絶対、神からのミッション。


 後戻りできない行き止まりに入り込み、幾度となく力尽きる。ある時は溺れ、生き埋めにあい、滑って転ぶのは日常茶飯事、爪は剥がれ、皮膚を裂き骨を折る。滑落、落石、さまざまな危険を何度も何度も繰り返し、少しずつ入り組んだ洞窟の地図を彼は頭の中に完成させていたのだ。


 『もう…すぐ……もうすぐ……外に…出れる……』


 彼にとっての『もうすぐ』は、かなりの長いスパンだったが。ウルフィラがそれを気にするわけもない。


 「うれしい!」


 『そう……自由に……なれる…よ…………ママ』


 「ふふ、ほんとにうれしい! デビルちゃんに外を見せてあげられるなんて!」



 実時間でその翌日、驚くべき現象が起きる。



 デビルが生まれた。


 ……いや……この表現は若干正しくない、言い直そう。


 ……デビルが外に出てきた。


 彼がウルフィラの体内から出てきたのだ。30センチほどの小さな体の、どこか違う不気味な赤子の姿で。

 小さいが、しっかりとした握力で、彼女の泥で汚れたスカートを掴み、体をよじ登っていく。


 暗がりの中、ウルフィラはぶるぶると震えた。


 デビルが胸の辺りまで、もぞもぞと這い上がって来たとき、彼女は我慢の限界で彼を思いっきり……抱きしめた。


 この時、彼女のハートに着火した母性に比べれば、どんな勇者の武者震いも取るに足らない奮い立ちだろう。この上ない喜びと愛情があふれ、赤ん坊にありったけのキスの雨を降らせる。


 小一時間ほど彼女の胸に強く抱かれながら、デビルは思った。

 (なんていう時間の無駄……これは)


 何度も体外に抜け出し、視覚も徐々に発達してきた彼は、うっすらと浮かぶ母親のこぼれんばかりの笑みをじっと見ている。

 (やらなければいけないこと……まだまだあるのに……)


 そうして再び、今回も彼は登っていく、彼女の顔が見える位置に。

 (…………まあ……いいか…………)



 通常、生まれた胎児は母親の中にできる胎盤の中で育つ。その中で優しく繋がれて、生命を守られ栄養を受け取るのだ。

 この神秘的な体内機構は母のモノでも、胎児のモノでもない、いわば二人のモノ。

 デビルは繰り返し過去に戻り特殊な成長をしていくことで、普通の胎児とは異なる新たな進化の道を進んでいた。そしてこの影響は、胎盤やその周りの体の組織までも変化させていたのだ。



 暗い穴での繰り返しはまだ続く。


 また一つデビルは力のルールに気が付いた。自分の意志で異能力をコントロールし発動するには、彼女の胎内にいなければ不可能なことに。


 過酷な洞窟探検で、彼は胎外に出て自分にしか入れない隙間へと果敢にアタックした。結果、無残にも失敗し鋭利な石の突き出す地面に叩きつけられて死んだ。脳をカチ割るようなウルフィラの悲鳴を耳に残し時をさかのぼる。

 死と引き換えに問題なく一週間前へ戻る。


 だが、苦しいアタックの途中でふと思う。

 (ああ……つらい……ああ……これは無理そうだ……、ここで……もう諦めて時間を……巻き戻そう)

 

 (!! …………できない!?)

 さっきまで分かってたはずの、あの名前が急に出てこない、そんな雲をつかむ様なもどかしさがあるだけで、自分の力を使う術が全く浮かんでこない。とっかかりさえも掴めない。


 デビルは少し生え始めていた歯を食いしばり、先へ進んだ。



 繰り返される日々、もう少し……ゴールは近い。


 彼は、母体からの出入りを覚えた。

 まだ成熟していないウルフィラの体に負荷が無いわけではなかったが、無償の愛情、精神力、母子融合、あらゆる要素が結集して彼女の体をも進化させた。


 デビルの肉体も少し大きくなり、外部での活動力も上がっていった。

 そんな時いつも彼が感じていたのは、自由に外を動き回れるワクワクした嬉しさと……どことなく心に迫る、原因のはっきりしない不安な恐怖。


 (甘え? 私の……弱さなのか? いいや……そんなはずはない…………私を……しばりつけるものは何も無い!)



 実時間で2週間になろうとした時、ついに脱出のルートを突き止めた。


 その場所は、ウルフィラが突き落とされた竪穴から、遥か離れた5キロ先。入り組んだ鍾乳洞を進んで行く。時には1センチ先も見えない漆黒の水の中を息を止め潜り、反り立った壁に張り付き、ギリギリの隙間をくぐりたどり着いた。


 広さにして5メートル四方程度の日の差す空間。残す障害はあと一つ、3メートルほど登って地上に出るのだ。


 先を進むデビルは、子ザルの様にうまくバランスを取って登っていく。やがて頂上に手をかけ光の中へと身を乗り越えた。

 下でそれを眺めていたウルフィラ、母親とはいえ、まだ少女、子供である。体力の限界と、ゴールを目の前にした安心感から来る気のゆるみから、意識が薄れてきていた。


 (ああ……あの子はもう無事に外に出れたんだわ、…………うん、良かった……良かった、……これでいい……もう……)


 光に消えた、我が子を目に焼き付け、その場に座り込むと静かに目を閉じた。


 「ありがと……デビル……ちゃ……ん」



 小さな手が、優しく頭をなで、口元に冷たい水を注いだ。

 拾った空き缶に、新鮮な湧水を汲んできたのだ。


 「……ママ……行くよ! さあ!」


 ウルフィラとデビルは、穴を抜けだした。


 しっかりと両足を大地につけ、全身に光を浴びた。


 やるべきことはまだまだ、まだまだある! 広大に広がる新しい世界を前にして、少年の好奇心のダイナマイトは大爆発した。


 (ハハハッ! 心配ない……私には時間がある)

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