第44話 三人


 もはやマーヴェルは何の反応できなかったが、ウルフィラが反射的に手にしていたライトを屋上に向けた。石材づくりの手すり壁に、人影がさっと身を隠すのが見えた。慌ててその辺りを左右に照らすも、もう誰の姿も見えない。


 ハッとして今度は下に向ける。


 暗い地面に横たわったモリヤの方を照らす。


 メイドはしかと見た。

 はねた泥にまみれ、苦悶の表情を凍らせたままうつ伏せにピクリとも動かない、つぶれた頭から血が大量に広がり続けている。


 「ひっ」


 あまりの悲惨さに声が詰まるウルフィラ。


 「ま、マーヴェルさん」


 探偵に助けを求めるも返事が返ってこない、両手で顔を覆ったまま固まり、精神崩壊したかのように指の隙間のまん丸い瞳が同じ一点を見つめている。



 ウルフィラは目をぎゅっとつむると、一度、深く深呼吸をした。


 探偵の真正面に立つ。


 「……ごめんなさい」



 ばち~ん!!


 マーヴェルの頬を豪快に平手打ちした。


 しばらくあっけにとられて、目をパチパチするばかりだったが、やっとクリスが笑いながら言った。

 「ようやったで! ウルフィラちゃん、フフフっ」


 ブルブルと首を振ると。僅かながら光の戻った眼差しでメイドを見る。


 「……す、すみません……行きましょう! こ、この場を離れましょう! 早く」


 白く細いマーヴェルの手が、弱々しくウルフィラの腕をつかんで引っ張る。今までなら、その力のまま促されて、何の抵抗もなくついて来てくれたはずの彼女が振り払う。

 何も掴むものが無くなった繊細な指が空中で震える。


 マーヴェルとは違いメイドの太く丸っこい力強い両手が、優しく肩に置かれた。


 「それはダメです!」


 おそらく会って初めて、彼女が探偵にきっぱりと異なる意思を示した。


 「ど、どうして……?」


 かつて見せた自信の欠片など微塵もない、怯えた顔が傾けられる。


 「は、早く……逃げないと、奴が……危険だから……」


 「ダメ! このまま行ったら」


 「どう……して?」


 「ちゃんと濡れた体をふいて、着替えましょう。……雨具を取りにもいかないと。このままじゃあ絶対に寒さで病気になります! 運が悪いと死んでしまいますよ!」


 主従の関係が変わってきていた。冷たくなった体に初めて気づいたかのようにガタガタと震え、探偵は力無く頷くとメイドに手を引かれて建物の中へ入っていく。


 「…しかた……ない…なぁ」

 クリスもあきらめた。……が、とても嫌な予感がしてきた。


 稲光が闇を切り裂き轟音が響き渡る。


 嵐の中、見上げた館がこちらへ倒れてきそう。そこは魔獣の住む巣窟、そんな大きく開けた口の中へと引き返していく無謀な行為に思えた。


 (これが後で後悔せえへんと……いいけど……なぁ)




 ウルフィラの部屋で、上半身裸になったマーヴェルは、バスタオルで体を拭いてもらっていた。メイドは愛おしい幼い我が子の世話をしているような幸せがこぼれる顔。


 頭の髪の毛をくしゃくしゃにして乾かしてもらいながらも、探偵はぽつりぽつりと呟くばかり、どこまでも上の空。

 何か!? 今までの人生で感じたことのない嫌な気持ちを持ちながらも、クリスは部屋のドアへ集中し警戒を怠らない。


 体を包むような大きい乾いたタオルでマーヴェルを覆うと、ズボンのベルトを外し、ボタンに手をかけゆっくりと脱がせ……。


 イラっとしたクリスが言う。

 「いそがなあかん! ウルフィラちゃん、あんたも着替えなあかんやろ、あとは一人でええ」


 「そ、そうですね」


 そう言って、部屋の隅に行くと、いそいそとウルフィラも体をふきながら着替えだした。


 「早く!」


 そう促されたマーヴェルも、人生で何度も繰り返してきた動作をオートマチックに。用意されていた新しい下着と上着に着替えていく。最後におそろいの赤い防水防寒具を羽織った。


 「よし、準備完了。行くで」

 

 そのセリフ言った瞬間、最悪な出来事が起きた。



 停電だ。真っ暗闇に襲われる。


 強力な懐中電灯をつけ周りを照らす。


 フワッと、赤く染まったウルフィラの顔が浮かび上がる。



 ……無事だ、雨具の色が反射してるだけ。突然の停電に驚いたのか、表情に恐れは見られたが大丈夫。メイドもすぐに手に持ったライトをつけた。


 「だ、だいじょうぶですか?」


 マーヴェルは無言でうなずく。おびえた子供のようだ。


 クリスは思った。

 (ふぅ~、やばい。外に出る前に全員死ぬパターンや)


 この三人の中で、注意深く辺りを警戒しているのはクリスだけ。

 そうだ、みんなを無事に外へ導けるのは自分だけだと気を引き締めた。


 部屋の扉を開け…その瞬間、暗闇からギラめかせる斧が襲ってくることは…ない。一階への階段を駆け抜け…角から急に飛び出してくる血のりの付いた刃物も…ない。


 タッタッタッ、ライトで足元、前方交互に照らしながら廊下を走る。


 サッと背後を照らす…後ろから狂人的速さで誰も追いかけては来てい…ない。



 ラウンジを抜け、出入り口を飛ぶように駆けて行く。


 出た! 外だ!


 上から槍が降ってくることもなく、降りしきる雨の中を懐中電灯だけを頼りに進む。


 探偵はメイドと手を繋いだ。運動能力の差で、道を進むにつれ、いつの間にかマーヴェルがウルフィラより前に出ていた。


 庭を抜け……門をくぐり、海岸の港までの緩やかな坂を走る。


 ウルフィラの呼吸が荒く、テンポを落とす。

 「あっ」っと手が離れる。


 彼女はついてこれない、立ち止まってしまい両手を膝に当て、必死で息を整えようとしている。


 一瞬、クリスはこのまま置いていけばいいと思った。


 だがマーヴェルは振り返りメイドに近づいた。


 「……よ、夜明けはもうすぐ、さっ、さあ……行きましょう」



 そしてついに、ついにたどり着いた…………港に。


 探偵の言う通り、あと小一時間もすれば日が昇る。ひさし屋根のあるベンチに座って寄り添って最後の時を待つ。


 屋根があるとはいっても、防げるのはせいぜい小雨程度。荒れ狂う嵐の中ではほとんど役には立たない。


 ウルフィラは正しかった。部屋へ装備を整えに戻らずに、あのままここまで逃げだすという行為は無謀だった。数時間とはいえ強烈な雨風にあったって、濡れた体のまま屋外で体温を奪われ続けていたら、下手をすれば命の危険さえあっただろう。


 永遠とも思える中、周りを警戒しながら時が過ぎるのを待つ。



 ふと気づくと……ライトを当てずとも暗闇から浮かび上がるように、お互いの輪郭が把握できる。


 天空の流れが変わった。


 アポロンの息吹に追い払われるように嵐が駆け去っていく。


 朝日! 待ちに待った太陽の炎が姿を見せ始める、さっきまでの荒れ模様が嘘のように澄み切ってさわやかな風に変わっていた。



 希望を感じさせる……待望の夜明けだ。


 「うぅ~……ぃやっほう!! やった! やった~! ついにやった」


 突然の声、興奮で満ち満ちた声、子供が心の底から純粋に喜ぶ声。



 誰だ?


 こんなことを急に叫ぶのは…………当然……。



 クリス。




 クリスは首を振る。違う違うと!!


 彼女じゃあ無い。


 じゃあ誰?



 ウルフィラを見る。


 満面の笑顔、今までで一番。とろけるような幸福感。


 …………でも違う、もちろんこちらも当然…………声の主ではない。


 それでは? …………誰。

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