第42話 デュエル
今は真夜中のシラヌイの島。……最終日。
地下室を飛び出したクナ・スリングは立ち止まることなく館の外へ出て、メッセージカードで指示された場所、併設された倉庫へ進んだ。
建物の入り口には庇があり雨をしのげるが、今はもう役目を十分果たせていない。時折吹く横殴りの風が、ますます強さを増した雨を巻き込むためだ。杖を一振りして水滴を払った老婆は、一時立ち止まり振り向くも早々に扉を開けて中に入ることにした。
彼女の体はほとんど濡れていなかった、嵐のような雨の中を抜けてきたはずなのに。
室内には明かりが灯っていて中の様子はよく分かる、しかし人影は見当たらない。クナはそのまま中央辺りまで進む。周りには数メートル間隔で棚があり、様々な物を収めた段ボールなどが積まれていた。身を潜めるには十分だ。
クナへのメッセージはあからさまに置いてあった。モニター室に最初に入った彼女の目にすぐ留まるところ。
『今宵、深夜。倉庫で待つ』と
背後になった入り口で、誰かが入ってくる気配がした。
クナは思った。
(モリヤではない……あの男そんな玉ではない。当然、メイドでもない。あの娘に人は殺せない。……愛する人に自分の命を捧げることはできても)
ゆっくりと身体の向きを変える。
(探偵でもない。執事を殺したナイフの角度、あれは左利き。さっき触った探偵の筋肉の付き方から右利き。……まあ……全部…………確定できるほどの理由じゃあないが……あたしにはそれでいい)
部屋の中へ足を踏み入れた相手の姿が……彼女の視界に……入ってくる。
(さ~てじゃあ……おまえさんは……誰だい?……)
「!!」驚愕で目を見開く。
(あ、あんた……が……シラヌイ?)
ゾクゾクっと武者震いがクナの全身を走った。
(ったく……この島へ来て……人生ほとんどの驚きを味わわせられたよ。冥土の土産にはもう十分だ)
「クライマックスに必要なのは……生身の熱い殴り合いだっていうんだろ?」
仕込み杖の鞘を抜く、刃が青白く光る。
「待たせたね……始めようか」
容赦はしない。暗殺者クナはそう思っていた。相手が彼女に姿を見せた瞬間に勝負はついていた。これが最大のチャンスであり、逃すわけにはいかない。
息を止めると彼女の中で、高速ビートが鳴り響く。
周りの、すべての時が止まる。
正確には、超スローになる。
(昔のあたしだったら……フルパワーで1分ぐらい余裕だったんだけどねぇ……今や、10秒ももちゃしない)
無防備に棒立ちになっている、標的の側で杖を振りかざすと喉首を掻っ切る……
……寸前、数ミリで刃が止まる。クナが手を止めた。
彼女の頭に突如、不安がよぎり躊躇した。……こいつが……本当に殺すべき相手なのか? 何か……思いもよらぬ罠にはめられていないか? そう、誰かに操られているだけなのではないか? そんな余計な疑問が次々浮かぶ。
最後の力を振り絞り、距離を取り直した。
時がまた動き出し。彼女の荒い息遣いが聞こえる。
能力を発動している間は、なぜか息が上手くできないのだ。リラックスして使える程よいビートで準高速移動程度なら長く維持できる。しかし、時を止めるほど高めるビートは激しい運動をするごとく酸素が奪われる。それはきっと道理というものなのだろう。
超絶暗殺者も今や老いてしまった。呼吸を整えている僅かなスキに、思いのほか超人的な身のこなしで奴が姿を消した。
逃した。千載一遇の機会を。
「能力を使いすぎましたか……。あなたはもう若くはない、先の見えた老人……体の中はぼろぼろ…関節は堅く、あちらこちらに腫瘍もでき…神経も筋肉も衰えた。……身の程をわきまえてください」
「うるさいねぇ、いらぬお世話だよ……あたしの命……どう使おうと」
クナがこの島への招待を受けた理由。当然好奇心がある、自分の様な能力を持つものがこの世に他にいて、お目にかかれるかもしれないという。
だが……一番の大きな理由は、この世界への恩返し。
死に去り行く前に。
異能力と共に生きながらえて、彼女はその力の可能性をよく知るにつれ、一層の後悔の念に襲われる。
どうして、もう少し上手く力を使って恋人を友達を救えなかったのかと。どうしようもないことだが、この思いが頭を離れず何度も考えてしまう。
もう間もなく尽きる寿命。死を目の前にして、今までの自分の行いを振り返る。
もちろん殺人を楽しむことも、無垢な人間を殺したこともない、気の乗らない仕事はすべて断ってきた。だが繰り返すごとに感覚は麻痺し、生を奪うことに心が慣れていく。マシーンのように暗殺カウンターをカチカチ重ねる。
死んでいった者たち。それが、たとえどれほどの悪人といえども、愛する家族がいたり、誰かに愛される存在であったことは間違いない。
(あたしは大いなる罪人だ)
もしも……彼女は思った。
もしも、この異能力を何の罪の意識もなく使う人間。極悪の限りを良心の呵責など一切なく平気で行える暗黒の輩が手にしていたら……。
いったい誰が止められる?
クナ・スリングは、自分の目で確かめなけらばならないと感じた。それは使命感にも近い。もし闇の住人が紛れていたのなら……始末しなければならない…………この手で。
「無粋なこと聞くけどさぁ」
息を整える。いける、戻ってきた。
「み~んな、あんたがやったのかい?」
「そうですね……、ちょっと……ここは、あえて悪役っぽく言わせてもらえば、……皆殺しです」
その言葉が終わるか終わらないかの瞬間、あちらこちらにあった壁のスリットが開く。
「!!」
レンズが覗く。
(レーザーだ!)
クナにはすぐに分かった。
レーザーは光の速さ。最高速で動くモノをさすがのクナも避けることができない。マックススピードで挑んでも難しい。
彼女は微笑んでいた。感謝していた。確信していた。
(レーザー光線だって……おいおいSFかいこの部屋は)
ビートの間隔を少しずつ上げる、最初のようにいきなりマックスにはしない。少しずつ回りがスローになっていく、まだ、じっくり攻める。
最愛のあの人が言った。
『光線中が火を噴く! どうするクナ? ハハハっ、心配しなくていい。ある程度の高速移動までギアを上げれば致命傷にはならないよ。どうしてって、光は波なんだ、当たったとしても大丈夫……弾丸と違って……それは飛んできたエネルギーの一部だから』
クナにはすべて理解できなかったし、彼の言うことが正しいかもわからない。でも彼女は信じた。
(無駄だよ)
『レーザーは直線』レンズの角度から光の線を思い浮かべる。暗殺者はダンスを踊り、標的に近づく、すべての光線を避けきれたのか? 体の傷を確かめてる暇はない。
活動限界と接近どちらが早い!?
「!?」
目の前に弾丸! 何と狡猾な……奴は彼女の移動を予測したのか、予めサプレッサーで音を消した銃を撃っていた!
だが、これもかわす!! 弾丸程度! ……そのスピードは鈍い、余裕だ。一発、二発、潜り抜ける。
(う…ぅっ)
弾を避けるという、予定外の余計な動作を取らざるを得なくなり、これ以上近づくには能力を維持するためのエネルギーが足りない。
接近をあきらめ、その場で仕込みナイフを投げた。暗器が標的を襲う、同時にクナの力も消失する。
間一髪で、奴が掲げた銃に当たり、両目の真ん中を貫く予定の一撃を防がれた。衝撃で銃が手から弾き飛ばされて床に転がり滑っていく。
あえぐように息をしながら、レーザーの発射口を避け棚の陰に身を隠す。相手もまた素早く場所を移動した。
「……やっぱり……難しいですね。最強のアサシンを相手にするのは……」
少し疲れをうかがわせる声。
(ば、ばかなっ……こっちのセリフだよ。……どうして外れた?)
予定通りに近づけもせず、確信をもって投じた必殺の剣も届かず、少なからず動揺が走る。クナは己の体力と精神力、生命力の限界がすぐそこだと悟る。
次の攻防が最後。
(ハァハァ……し、執事の日記も、ただの恨みつらみじゃあなかったって……わけ? ……いいじゃない……次でラストアタック、これで仕留められなかった方が……地獄行き)
光線の軌道は目星が付いた。奴は隣の列のどこか。
(あ、あんたの狙いはわかった。……ったく…宇宙船が派手に打ち合うみたいな……映画のレーザーガンが……まだない時代でよかったよ)
この部屋に仕込まれた装置は固定されている。見渡す部屋に目立った破壊の様子がないことからも、兵器並みのパワーという訳でもない。
(……あたしの能力が消えた時……その瞬間を狙って、倉庫中に網の目に張った光線で致命傷を負わせるって腹だね……)
「けり……つけようか!」
両手で杖をつかむと低い姿勢で飛び出した。最後の能力を発動させる。
いた! 3メートル先、何かを構えている。
着地したクナの最初の一歩が僅かに滑った。はっ! 雨の中を通ってきたためか床が濡れている。普通ならそのまま足を取られるところを、天性の運動神経の良さで反応する。とっさに杖を床に突き、体勢を持ち直した。その力を使って流れのまま、反対側の乾いた床に足を運ぶ。
(くそ!)
それも罠。その床面がワックスでもかけたばかりのように滑る。
ちっぃ! 今度は逆らわない! その滑る動きのままスケーターように相手に近づく!
……が、所詮それは想定外の機転、完全に体を操作しきれない!
相手に向けて上げたクナの顔に
…………ズギャーン!!
奴の構えた赤外線レーザー光が直撃した。
これで勝負ありか?
いや、暗殺者の動きは止まらない! 怯むことなく突き進む、むしろ勢いを増して距離を詰める。
光線は彼女の頭を破壊することはなかった。しかし、クナはおののいた! 体の芯から恐れおののいた! 気づいたのだ、とんでもない勘違いに。
(お、恐ろしい……あんた)
網膜を貫かれ、クナは視力を奪われた。そう、レーザーはクナを殺すためのものではない、目くらましのための道具だと。
理にかなっている。最初からこの部屋に仕掛けられたレーザーに人を殺すようなパワーはない。あって皮膚を焼くのがせいぜい。
相手はチェスの名手のように一手一手この上なく巧妙に指してきていた。
彼女もまた、もう抜け出せない罠に落ちたのだ。
視界が悪いが、好敵手の顔だけははっきり見える。今一度刃を振りかざし、超高速で跳びかかる。
暗殺者の残された活力は既に限界。それに加え、孤島に来てからつづく興奮と緊張感は老いた彼女の神経、体力を思いのほか削っていた。
この最後の一撃に踏み込めたことが奇跡的! たとえ悪手であったとしても称えるほかない!
クナは叫んだ。
「うおおおお!」
(時空の流れが戻ったって!! もうあたしの勢いは止められないよ!!!)
彼女の頭の中に鳴り響く演奏は……止んだ。
(………………アウトロは……アウトローには……聞こえないってか……? かっ、悲しい……ねえ…………)
クナの異能力は果てた、だが加速したまま奴の目前に到達している!
……だが…しかし。
斬りつけた刃は、標的へ届くことはなかった。
両ひざを着き、真っ白な髪の毛が乱れ赤と染まる。
黒いドレスが裂け赤と染まる。
「グフッ……ブファ」血しぶきが飛ぶ。
空中に一筋、血が伝う。
クナ・スリングはすでに絶命していた。
彼女との間の軌道にピンと張られた、極細の特殊合金ソーワイヤーが老婆の細い腹部を切断していた。
心からリスペクトすべき敗者を、大きく見開いた眼で見下ろす影。その手に握っていた高出力レーザーポインターを落とした。
「……や、やった……」
手が僅かに震えている。それは感動なのか、愉悦なのか、恐れなのか、その表情から読み取ることはできなかった。
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