第41話 アサシン


 クナの人生は180度変わった。


 あの大事故でなぜ彼女だけ、ほぼ無傷で助かったのか? 我が子は無残な傷だらけの冷たい躯になったのに、なぜ彼女だけは生き残ったのか?


 愛する人を突然亡くすという不意打ちの悲しみ、単独の交通事故ではどうにもぶつけようのないやるせない怒り。遺族の中で沸き立つそんな感情の矛先がクナに向かう。

 さらに、目の前で恋人や友達の死を目撃した、彼女の心の痛みなど全く気にすることもない世間という好機の目が追い打ちで集中砲火した。


 ここには居られない。


 すべてから逃げるように、見知らぬ都会へ消えた。



 縁を断ち切った街角で一人、半ば自暴自棄なその日暮らしの日々を送りながらも、彼女は自分の能力を少しずつ理解し始めていた。


 あの事故の摩訶不思議な出来事に、何をかいわんや彼女自身が一番戸惑っていた。

 思い出したくもない気持ちと、どうしても頭から離れない「なぜ?」という二文字が葛藤し、最後に勝利を収めるのはいつも好奇心。


 あの瞬間の感覚をイメージすると、異能力が発動する。……あの瞬間以来、彼女の意のままに力が発揮されるのだ。


 (周りの動きが遅い……音が聞き取りにくくなる……何? あ、時計の針が回っていない? いや違うわ、止まってるんじゃない…秒針が……分針ぐらいのありえない遅さで……動いてる……)


 初めて自らの意志で力を使った時に、すぐに悟った。これは高らかに履歴書に詠える類の才能ではないことを。


 (何これ!? あたしの力……嘘みたい)


 時を止めるわけではないが、かなりそれに近いことができる。高速で動くことができる。決して楽に使えるわけでもなかった。肉体的にも、精神的にもエネルギーを使う、目一杯に使えば非常に疲れる能力。


 (で、どういうわけか……力を使ってる間は……なんかすごく息苦しいし、頭の中でビートが鳴り響いているんだよね…………きっと、初めて力が出た時に、ガンガンに音楽を鳴らしていたからかな)


 あれ以来、すっかり音楽を楽しんで聴く気にもなれない音楽嫌いに陥ってしまったという彼女なのに、その頭からリズムが離れないというのは因果な話かもしれない。



 誰一人、事件の事を知っている人のいない土地へ移り住んで数年がたち、相変わらず、やさぐれたその日暮らしの毎日を繰り返していたクナ。


 皮肉なことに彼女の力はこの生活に何かと好都合だった。


 やがて彼女はそれなりの居場所を見つけ、きな臭い場所に店を構えたクラブで働くようになる。

 器量良しではあったが、昔と違い今や全くの愛想無し、いつも冷たい雰囲気。客の人気者、ナンバーワンとはいかなかったが、どことなく生まれ持つ、姉御肌的な性格から仲間からは慕われていた。



 そんな夢見ることなどとうに諦めていたある日、運命的な出会いを果たす。


 偶さか、程近くのバーで会った男。運悪く、人生を転がり落ちて……やくざなチンピラに落ち着いた、そんな絵に描いたようなクズで魅力のない男。


 クナが一人で孤独をよい肴に、気分よく飲んでいたら……嫌な感触の掌が肩に置かれた。振り向くのさえうっとうしいと思ったが、仕方なく見ると若い男二人。


 ほとんど記憶に残るほどの印象もなかったため、後で分かったことだが、裏世界で最近勢力を拡大中のチームの構成員だった。


 向こうは彼女のことを知ってるようで、なれなれしく口説いてくる。


 「消えな、ガキ」


 一言で一蹴するも、頭の鈍い彼らはクナにからみ続ける。


 「これでも俺、プロライセンスも取れるぐらいの腕なんだぜっ」


 そう言ってシャドウボクシングを軽くやって見せ、筋肉で引き締まった体をこれ見よがしに見せつけている。


 (……最低限、取ってから言えっつ~の)


 そろそろ我慢の限界と、かたをつけようかと思い。


 「あんた? どううわさを聞いてるか知らないけど……その10倍……いや100倍、あたしは強いんだよ……」

 と、クナが面倒くさそうに立ち上がりながら、名セリフをスタートさせてるそばから。


 「その辺でやめときな」

 なんて、今やドラマでもお目にかからないセリフを吐いて優男が割り込んできた。


 その男のあまりの自信に、見た目によらず腕っぷしがいいのかと思いきや、見事に返り討ち……鼻に前歯もへし折られ、ものの数分で床に転がった。


 「ふぅ~」

 なんだか大きなため息が出て、おかしなことだが……今までどこかへ消えたと思っていた愉快な気持ち、心の底から笑ってしまう温かさが彼女のどこかで蘇った。


 「しゅ、しゅまん……、い、今から、……ほ、ほんき……だ……すから……」


 折れた歯の隙間から息が洩れ、さまにならない声で、申し訳なさそうにクナに訴える、情けないヒーロー。


 「うるせえ、それ以上しゃべるんじゃあねぇ、糞が!」

 絡んできた若いチンピラが、ジムで鍛え上げた丸太のような太ももをした足を振り上げ、かかとをヒーローの後頭部めがけて叩き下ろそうとした。


 「ぎゃぅ!」


 クナの超高速で突き上げられた掌底が顎にヒットし、一発で意識が飛んだ。その言葉にならないうめき声を最後に、上げた足でバランスを取れるはずもなく腰から派手にすっころぶ。


 何が起きたのかと棒立ちになる、もう一人の男にクナは言う。

 「さっさと連れて行きな。…………次は殺す!」



 何も、悪人を成敗してスカッとしたということではない。クナを助けようと余計なことをした床に這いつくばっている男が、必死で微笑もうとしていたから……。


 「ハハハハハっ」


 クナは久しぶりに大声で笑った。



 なんだか知らないが事の成り行きで、その男を家で看病することになり……なし崩し的に、いつの間にか一緒に暮らしていた。


 今まで付き合ったことも、気になったこともないタイプ。正反対。運動神経もなさそう、覇気も全く感じない。ダメ男。

 (そんなあんたが、あんな柄にもないことするんじゃあないよ)


 でも分かっていた。クナは恋に落ちたのだ。


 優しいだけが取り柄の男に。



 彼は、どう間違ってこんな職にたどり着いたのか全くの謎だと感心するぐらいに場違いだった。いわゆるオタク気質で、どこかの机にでも座って研究でもするのがお似合いだろう。

 SF物が好きで、その見地から彼女の能力について色々と解説してくれた。


 クナは秘密を、自分の力のことをあっさり教えたのだ。自然と。


 彼は聞く、分子や原子は止まってるのか? とか、どうして君が高速で動くのなら摩擦の熱で燃えないのか? とか。


 「そんなややこしい事はどうでもいいの」

 いつもそう答えるクナ。


 彼のために料理をするとき、掃除をするとき、ふと思いついた大して重要でもない欲しいもののために、深夜の買い物に出るとき。どんな些細なときにも、つまらない日常の作業にも力を使った。今までにないハイペースで。


 なぜって……彼と話す時間、彼を見つめる時間がもっと欲しかったから、それが一番重要だったから。



 副作用。そんなに力に依存すると、何か悪い事、しっぺ返しが起きるんじゃないだろうか? 彼は言った。何やら持論のフィクション的科学を持ち出して。


 「無いない! そんなの」


 浮かれていたこの時の彼女には気づくはずもない。


 ……もう一つの重大な危機にも。



 以前の彼女、間抜けなヒーローさんと出会う前の彼女の注意深さなら……この不幸は回避できたであろう。でもそれは言っても仕方がない後の祭り。


 クナが恥をかかせた、みじめな若いゴロツキは……ボスの息子だった。彼女の耳には届いていなかったが噂は流れていた、クナに復讐をする。

 たかが飲み屋の女にコケにされただと? この世界舐められては生きてはいけない。



 ある夜、珍しく力を使わずに買い物を済ませ帰宅していたクナ。

 「あいつの言うことも……一理あるかも」


 ショーウインドウにうっすら自分の姿が映る。なんとなく鏡を見ると最近、皴が深くなってる気がする。


 「笑いじわだ、楽しいんだから仕方ない」


 これっぽっちも、不安も後悔もない。

 家に着きドアを開ける。……ほんの僅か不安感がどことなく芽を出す。…………鍵がかかっていない。


 「鍵かけといてって言ったのに。……あんたが力を使わせないから……ちょっと遅くなったじゃない……」

 荷物を持つ手が少し震えるぐらい……不安感が増す。


 テーブルに置くと、奥の寝室を見る。ああ……彼がいた。笑って迎えてくれた。



 あの笑顔だ。



 息はもうしていないけれど。


 体中にナイフの切り傷、数えるなんて嫌。


 ……でも……でも顔には笑顔が残る。



 彼女の異能力はハイスピード、ただし寿命を削る。


 職業は……。


 職業は暗殺。




 その日、その町のチーム、警察も手を焼く一番凶悪なギャングのチームが消えた。

 真夜中、日付が変わるころには上部組織、マフィアの一家が皆殺しにされていた。


 すべて失った街、またすべてを。


 見下ろす丘に立つ、真っ白な髪をなびかせた鬼女、クナ・スリングは10歳年を取った。

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