第36話 魂のルトゥール
頑強な館の中にいても、外の荒れ模様を感じるぐらいに天候は悪化しだしていた。
ガタガタと窓を揺らす風、上空を渦巻き唸りを上げる強風。雨足も強まり遠くでは頻繁に雷鳴も轟き始めていた。
時刻は午後8時を過ぎ、本来なら夕食を済ませてもおかしくはない時間だったが、各々軽く口にしただけで、いよいよ地下の魔王の間へ突入準備に入っていた。
手はずは、ほぼ固まった。むろん未知数が多く、実際どうなるか何が起きるのかは予測不可能ではあったが、引き返すことはできない地下への階段を下りてゆく。
再びガウン姿になったマーティとウルフィラが話している。
「それで、あの時!」
「ええ、みずがめ座の部屋で借りました。すみません」
「いえいえ、ぜんぜん構いませんよ」
マインドルームを使いオオツの部屋に入った後、マーティは素っ裸になっていた。そのまま外を出歩くのも恥ずかしいし、他人の部屋の持ち物を使うことにも気が引けた彼は一計を案じた。何か着るものを隣の空き部屋に拝借に行ったのだ、今一度能力を使って。
探偵マーヴェルは、今回の作戦のかなめとなる、少し前を行く青年の背中に目をやりながら思った。
(僕は結局、マーティが行くことを許可した)
青年の意志は固く、当たり前だが本来マーヴェルにどうこう決める権限などはない。
(だが……もし、もし万が一……この決断によって、何か起きてしまったなら……取り返しのつかない何かが起きてしまったなら……)
勘の良い相棒クリスにもその決意は伝わる。
(責任は取らなけらばならない。……たとえ、どんなに過酷で、大きな代償を払うことになろうとも)
まるで宇宙船か何かを思わせる、例の扉の前に一同は立った。
何の反応も見せない脇のパネルを軽くコツコツ叩きマジシャンが言う。
「外にドアノブがないとはいえ、開けなきゃ出られないんだから内側には必ずあるはずだ。まあ、ありえないが……なかったら、部屋の奥まで行って開閉装置を探すしかないが……」
「危険を感じたら、とっとと引き返しな」
「そうですね、スリング婦人の言う通りです。もし扉の反対側に見当たらなければ……それ以上中で時間をかけず、一度戻ってきてもらった方がいいでしょうね」
マーティはちょっと緊張気味にうなずいてから、何かを思いついた。
「あ、そうだ、マーヴェルさん! 最後に…………アハハハ…じゃないですね、……入る前に教えてほしいことがあるんです」
一体何の事だろうと、みんなの興味が注がれる。その空気を察した彼は慌てて
「いえいえ、そんな重要なことじゃないんだけど」
と、否定の反応を示すように手を振りながら照れたように笑った。
「初めてロクロウ君に会った時に出したなぞなぞの答え、カエルの子はオタマジャクシ、じゃあ神の子はなあんだ? って」
「えぇ……そんなの覚えてたん?」
クリスが半ば呆れて言う。
「……まあ、あの場の空気を変えようって、単なる思い付きで言った口から出まかせのようなものだけど……」
マーヴェルも、予想外の質問に虚をつかれる。
「え~そうなんですか? 僕と……ロクロウで必死に考えたのに……そんな……」
「答えは見つかったのかい?」
「ええ……一応、僕は……えっと……パルプかな? って思いました」
はたで意外と興味深く聞いていたモリヤが珍しく感心したように言う。
「ああ! なるほどね! 紙を作る原料のパルプね……オタマジャクシは成長してカエルに、パルプは工場で紙にされるという事か、なるほど」
探偵はうれしそうな笑顔を見せる。
そんな他愛もない会話で、意外と気持ちの整理も付いたマーティはいよいよガウンを脱いだ。細く白い痩せて骨ばった体つき。
「なんだか恥ずかしいですね。……やっぱり」
耳を赤くしつつ、脱いだガウンをウルフィラに手渡した。
「あ、お願いします」
メイドは受け取ると、両手で整えながら畳み込み、持ってきていたマーティの着替えやバスタオルなどと一緒にトートバッグに収めた。
「なんだか…ご主人様の部屋に入るだけなのに……こんな言葉おかしいですが……気を付けて行ってくださいね」
「そりゃそうだ。部屋に入るやつにかける言葉じゃあないな、ハハハっ」
笑顔でそういったメイドの言葉に、モリヤも本気で笑った。つられてみんなの中の緊張感も少し和らぐ。
「ええ、そうですね。では…行ってきます」
下着姿の青年、さすがにみんなに見られている中で一糸まとわぬ素っ裸は恥ずかしいと言ってせめてパンツ一丁で行くことにした。無くなるのを承知で。
「マインドルーム!」
こんなヒーローチックに能力の名前を言いながら発動するのは初めてだったが、気のせいか、いつもよりスムーズに力を発揮できた。
開かずの扉に重なるように新たな扉が出現する。見事に青年の手で開けられたが、その中は別空間だ。プロジェクションマッピングどころではない、異常な視覚現象に数回見たぐらいでは脳の理解が追い付かない。
マーティがルームに入ると身に着けていた下着は一瞬で無と化した。振り向かないまま意識下で扉を消す。みんなの目から忽然と青年及び扉、異常空間が消え去った。
「うまくやれるといいな」
クリスが曇った表情のまま、ぽつりとつぶやいた。
白いマインドルームで一人きりのマーティは、自分の行動を確認する。部屋の効果なのか恐怖も高ぶりも焦りもなく落ち着いている。
「ウルフィラさんの言うには、ドアからまっすぐ廊下があって、その奥にカーテンで仕切られた部屋があるって」
入ってきたドアが存在した壁の反対側に立つ。
今日まで何度出入りしたかは分からないが、感じたことも考えたこともない使命感を持って能力を使う今、これが人生で最も重要な局面であることは間違いない。
「真っすぐだと仮定すると、このあたりから出てみようか? もし危険な誰か? ナイフでも構えた犯人が目の前で待っていたら……」
普段なら、マーティ自身がこの部屋を出た時点で後ろの扉は部屋とともに消え去った。たぶん部屋を維持するのは、やったことのない能力の使い方で、できないかもしれないし、できたとしても慣れがいるかもしれない。
「その時はすぐにまた部屋を出そう。うん、目の前にマインドルームを作ればいい…………よし、行くぞ」
眼前の白い壁に右手を伸ばし、扉を開くような動作に入ると、自然にドアが現れドアノブがしっくりと手のひらに収まる。少しひねって引くと……開いた。
(うん! やった、大丈夫)
薄暗い廊下が目の前に広がる。スペースコロニーか宇宙船で見るような角の丸い廊下。上下に淡く橙色の常夜灯のようなライトが並んで埋め込まれている。
予定通り、少し中央より左にずれはしたが、ピッタリの位置に出られた。周りに間違いなく誰もいないことを確認できて、ホッとする。
「想像した以上に長い廊下だ」
少し坂になって下っているのが分かった。奥にカーテンの仕切りが見えたがここからでは人の気配はうかがえない。5センチほどの高さから下に足をおろし廊下へ出ると、彼の部屋は消え去った。
さっそく振り返り、扉の裏側へ移動する。その時……。
冷たい。
裸足の足の裏から伝わる冷たさ。しかも……
(? 濡れてる?)
「なんだろ? 地下水? とか?」
ふと、彼の脳裏にミスターモリヤの言葉がよぎる。
「!!! もしかして水で……僕を水攻めで閉じ込める罠じゃ!?」
どんな方法かはわからないが、ここで一気に水が噴き出してきて奥の部屋まで流されたら……たとえマインドルームを発動させたとしても地下に閉じ込められることになるのでは?
(今は、全く心配する量じゃない……少し濡れている程度だけど……まだ今は…………)
急に青年の心に恐怖が込み上げてきた。
(……こ、これは何かの仕掛けのミス!……どこかに大量の水があって…………そこから漏れているのでは!? いっ……急がなきゃ!)
慌てた一歩目が、つるっと滑って少し足を取られこけそうになったが、何とかこらえてドアのところへ進んだ。通路は薄暗いがライトがいるほどではない。
(……真っ暗でなくて助かった。もしもっと暗くて何も見えなかったら……奥の部屋を探しまわる時間がいるところだった)
ドアを見る、……普通のドアノブのようなもの、取っ手のようなものがない! 焦りが大きくなり汗が噴き出てくる。
(取っ手がないじゃないか!)
この辺りは特に床が冷たい。水溜まりもできていてまた足を取られそうで気になる。
(あ!? 何、こ、氷?)
何かの冷たい欠片を踏んで驚く。
(は、早くしないと! 水攻めにあうよ)
ますます気が焦ってくる。
「!」
『お~い、大丈夫かい』
扉の反対側から、中のマーティを心配するくぐもった声が聞こえる。
「あった!」
落ち着いてよく見れば、ドアの中央右手に扇型のくぼみがあり、そこに金属製のレバーが付いていた。
「これだ! 間違いない」
中心を軸に横になった取っ手を掴んで、上にひねって縦に戻せばよさそうだ。
「あった! ありました!」
喜びいっぱいの大声で外のみんなに告げるマーティ。動かそうと試みると、少し嫌なイメージが頭をよぎった「固くてびくともしない」ということもなく、楽に回りだした。
(よし!)
バチィッ! カチャ、カチャ、カシュカシュー……。扉の横辺りの見えない部分で鋼鉄のシリンダー状かんぬきが外れる音がして。ドアが開いた。
「開きましたよ!』
(よしやったぞ! 僕は! 今までずっと誰かを不幸にするだけだった……僕が……これで、これで! 希望を、少しでも希望を!)
マーティは心の底から幸せを感じた。何かが変わっていくんだという強い確信とともに全身を貫いた。
『やったね!』
『そうだよ! やったよ。ついに……あぁあ、……ふぅ…………思えば、いろいろあったなあぁ…………僕のせいで、この力のせいで……家族は不幸になった……苦労や心配をたくさんかけたし』
プスプス、かすかな音。
『ともだちも、なくしちゃったね』
『……そうだね、初めての友達もいなくなったし。マインドルームは二人だけの秘密……いや、僕一人の秘密にしなきゃダメだったのか……あ~あ、ロクロウ君も死んじゃったなぁ………………これも僕のせいなのか……な』
『ちがうよ』
『そう言ってくれると、少しホッとする…………』
焦げ臭いにおい。
仕事をやり遂げたマーティは自分の部屋、真っ白い部屋、マインドルームに入った。
そこには珍しく先客がいた。
『…………もしかして……ずっと待ってたの?』
『うん!』
マーティ・アシモフは、自分のすっかり長くなった手足を見てちょっと申し訳なく思った。あの時はまだ何も知らなかった、よくわからなかった。
『ごめん……』
彼は見せたかった。秘密を教えたかった。だって大好きだったから。
『べつに、あやまらなくていいよ! わかってるからあ』
そうは言っても、と、後悔でうつむく青年。それを見て少女は駆け寄った。
抱きつきながら笑顔で言った
『だ~いすきだよ』
マーティも抱きしめる。頬には涙、すべてを洗い流す。
存在が消えてしまう前に…………彼の心のわだかまりは完全に消えた。
『……おにいちゃん』
開かずの扉は開いた。青年が見事に使命を全うしたのだ。もしも科学的に詳細に調べることができたなら、そのデータに驚愕するだろう。
大量の電流が彼の体を流れ、ショック死で完全に機能が停止したはずの脳で、筋肉で、腕でハンドルを回したのだから。
最後のエネルギー、魂を燃やしてやり遂げたのだ。
扉が開いた瞬間、すべてを理解した探偵が数回壁に頭を打ち付け、声にならない声でブツブツと言っている。
「なんでなんでなんで」
モリヤとクナが扉に手をかけ完全に開くと、床に崩れ落ちたマーティに駆け寄った。呆然としていたウルフィラも何とか気を取り直して、預かっていたガウンを二人に手渡す。
モリヤが首を振りながら、青年の見開いた眼をそっと閉じる。どうしようもないやりきれなさはあったがクナとともにガウンを羽織らせて床に寝かせた。
勇者の帰還は短かった、だが魂の帰還は……そう永遠に……。
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