第34話 夕暮れ
平均的な家庭、平均的な暮らし、ごく普通の幼少時代。
マーティは四人家族で、一家は妹が生まれてすぐに郊外の町へ引っ越し中古の小さな家を買った。
父親は農業機械の修理工として家族を支えていたが、子供たちが成長すると母親も家計をサポートするためスーパーマーケットで働き始め共働きに。
贅沢はできなかったが、平穏で幸せな生活を送っていた。
マーティの妹。やきもちを焼いてしまうくらい、みんなに愛された可愛い妹。
彼4歳、妹3歳の夏の夕暮れ、ベビーシッターに見守られガレージ横の芝生の庭で遊んでいた二人。少し目を離したわずかな時間、妹の姿が忽然と消えた。
両親はもちろん、警察はじめ近所の人たち皆で懸命に捜索するも見つけられない。誘拐の線も考えられたが犯人から一切の接触はなかった。いなくなった時に彼女の身に着けていた靴や衣類、足取りになるような品も結局何一つ発見できず。
この出来事に遭遇した人々の頭に浮かぶのは一つの言葉。
……神隠し。
最後に妹の姿を見たはずのマーティも、なにがなんだか呆然とした状態で、手掛かりになる証言を何も伝えることができなかった。
この日から、一家の幸せのグラフはずっと右肩下がり。
マーティの前で気丈にふるまう両親、つとめて平静を装うも、何かが決定的に変わってしまっていた。……浮かべる笑顔に常にさす影。
彼はどうしてだかはっきりとは分からないが、家の中が暗くなったのは自分の責任だと感じるようになった。漠然と自分は周りの人を不幸にしてしまう存在なのではないかと思い、徐々に内向的な少年になっていく。
小学校に入るとマーティは早速いじめにあった。一目置かれるハイソなグループ、学校というクローズドフィールドの頂点に位置するグループに目をつけられた。
大人しくどことなく暗い、ひ弱な少年は暇つぶしには恰好のターゲットだった。ただ……目をつけられたのは彼一人だけだったわけではない。まるでファッションの流行が変わるように、興味の対象がぐるぐると変わるのだ。誰かをいじめ、飽きれば次へ……その一時期に彼が選ばれたということ。
このシラヌイの島に来てからの彼は、終始オドオドとした暗い青年。それが彼の本質か? といえば違う。
マーティ・アシモフは静かな性格だったし、確かに小心でもあった。スポーツマンで溌剌、熱血漢で正義のヒーローという、少年にとって理想の姿には程遠かったのは間違いないのだが。
彼に対するいじめ行為。ちょっとしたからかい、小突かれる、笑いものにされる、無視される、一人ぼっちにされる、どれも別に我慢できた。
もちろんいい気持ちはせず、憂鬱にはなるけれど。
なるべく無視をして、気にしていない振りをしてやり過ごすマーティ。この態度が相手のやる気に火をつけてしまったのか、少しずつやることがエスカレートしていく。
彼らはマーティのロッカーの中に入れていた持ち物を破壊した。
一つ一つ取り出しては、ケチをつけ、笑い、バカにして、投げ合い、床にたたきつけ、踏みつける。マーティの力ない抵抗は彼らを止めるにはあまりに空しく、縮こまる肩を震わせ立ち尽くす。それをまた更にあざけり大笑いしてみている。
周りの声が遠のき涙がこぼれそうになる、悲しい気持ちとともに……怒りが沸き起こる。
(何が可笑しい!? ……そりゃそうだろう、うっとおしいヤツの持ち物をぐちゃぐちゃにしてすっきりしたって? めそめそと泣く姿がマヌケで笑える? 君らにとっちゃあ、大したもんじゃあないのか……ああ……もちろんそうだね……そうだろうね)
彼らに軽い気持ちで壊された物、被害金額にしてせいぜい数万、マーティの両親が一日か二日働けば新しいのを買えるその程度の金額。
(いや! その程度なんかじゃあない)
一日、一生懸命に汗水流して働き、彼のことを思って買ってくれたモノの金額。それを無下に無にしたこと、それが無性にムカついてきた。
気づくと、リーダーの少年の鼻に頭突きをしていた。
(ははは……何も怖くない……ぞ……、僕には逃げる場所がある……)
直後、周りのお付きの仲間にボコボコにされた。騒ぎを聞きつけた先生たちが割って入りその場は収まるが、頭突きをされた少年の鼻は見事に折れ、鼻血が止まらず病院に。後日、両親ともで謝りに行く事態になってしまう。
そして、その事件後もいじめられ続け、マーティはついに引きこもりに……というストーリーには展開しなかった……。
なぜかリーダーの少年とは友達に、やがて親しい友達になる。
そう、この時の彼はまだ知る由もないが、後の人生でマーティの心の自由を繋ぎ止めたものは、もっと奥深く暗い海の底に穿たれた錨だったから。
マーティはたまに思う、何が転んでこうなったのかと? もちろん、繰り返し嫌がらせを受けるなら、こっちも何度でもやってやるという覚悟で待っていた。しかし相手の態度が変わっていた、和解の雰囲気というか、柔らかな物腰で向こうから話しかけてきたのだ。実際、彼といろいろ話せば、どことなく話が合い面白かった。
その後も、特にグループ入りするということではなかったが、二人の距離感はいい感じでハイスクールまで続く。
友達の彼はそのままエリートコースを進む。アメフト部に入りスター選手の一員、みんなから注目される華やかな学生生活。マーティの方は誰の目を引くこともない生徒として普通に通う、空気のような、その他大勢の中の一人。
この日も夏の夕暮れだった。
眩しい光のさす教室で、なんとなく彼と二人きりになる。一通り近況など、とりとめなく話した後、しゃべることも自然と尽き、無言の間が開く。
……特に意識せずに見つめ合い、照れ臭くなったのか目をそらして窓の方を向いた……ふとした瞬間に、秘密を話したくなった。
「僕、部屋を持ってるんだ」
「はぁ? へや? 俺もあるけど? ふふっ、何言ってんだマーティ?」
「ハハハっ、そんな部屋じゃないよ……誰も入れない部屋」
「?? ったく意味わかんねぇ、頑丈な鍵付きか? ってんだ、それがどうした?」
「……」
静かに微笑むマーティ。それを見て、少し馬鹿にされた気分でイライラしてくる。
「おい! くだらない話はやめろよ? 俺がお前んちより金持ちだってのは知ってんだろ? へッ、なんだよホテルか? 倉庫か? 空き家でもどっかで見つけたっての? え?」
「僕だけの部屋、秘密の部屋……誰も入れない、いつでもどこでも僕だけを待つ部屋……」
「ちっ! ……えぇ? 暑さで頭がぼ~っとしてんのかマーティ?」
「見たい?」
「……」
この瞬間、マーティにデジャビュのような何かがよぎったが……そのまま話し続けた。
「見せてあげようか? 君だけに」
マーティの目がらんらんと輝く、西日のせいだろうか? 少しその雰囲気に飲まれる。
「あ、……ああ」
マーティはTシャツのボタンをはずし始め、脱ぐ、シャツも脱ぎ上半身が裸に。相対する少年は、あっけにとられつつも何かに魅入られて声は出せない。
「見てて」
マーティがそういった、次の瞬間……。
少年たちの真ん中に、半透明の白っぽい揺らめく『ドア』が現れた。
「!!?」
「これが僕の部屋」
しばらくの間つづく無言、暑さのためか額に汗が噴き出る。現実を認められない。
「……! あ!、おいマーティ、手品か!? そうだ、なんか……フィルム? ビニール? あああ! プロジェクターでも隠して映してやがんだな! おいおい、おいおい、ふざけるなよ、俺は騙せないぜ!」
拒否して首を振る友達。それを見て、マーティは無性に分からせたくなった。これは現実なんだと。なぜ君は理解できないんだと。
マーティはズボンに手を伸ばし、脱ぎだした。ついにパンツ一枚になり、そのパンツにも手を掛ける。
「お! おい! マーティ!? 何してんだ? ……何脱いでんだよぉ!」
大丈夫、ちゃんと理由があるんだからと笑って見せた顔が、彼にはかえって不気味に見えた。
「や、やめろ! 俺にそんな趣味はねぇ!!」
何も身に着けない姿になったマーティ、謎のドアに手をかけ…………開けた。
何か理解できないが、そこには何かがあった。白い空間。いや、何もないというべきか?
マーティはその中に体を滑り込ませる。振り返って言う、極限の驚きに言葉の出ない少年に。
「ほら、僕、入れるんだよ」
そう言ってニコリと笑う彼だったが……マーティの頭の中は混乱し始めていた。
?? 違う! 思っていた反応と違う! 驚き……そうだ驚きとともに…………すごい! 何それ! っていう感動!! …………尊敬のまなざしがあるはずなのに! 彼にはない!
あるのは
恐怖。
(違う、それじゃあないんだ、そうじゃあないんだ)
思わず、分かってほしいという焦る気持ちで、手を伸ばしギュっと彼の腕をつかんだ。
来て! そのまま引き込もうとして……、つかまれた友達がバランスを崩しマーティの方へ、謎の空間の中にいるマーティの方へ体が倒れていく、頭がドアの境目を潜り抜けようとする、垂れた前髪が入り込んだ瞬間、霧散して消えた!
そして頭が……。
マーティは稲妻に打たれたようにハッとして彼を突き飛ばす。マーティより一回り大きい彼だったが、ちょうど重心を崩されたためか、あっさり吹っ飛んで無様に床に転がった。
思いっきりばつの悪さ、不安感と恐怖、訳の分からない理解不能状態が彼をパニックにして駆けるように教室を逃げ出した。
この出来事の後から、マーティは学校を休むようになる……やがて行かない日が続き、登校日数がゼロになった。
これはマーティの隠さねばならない秘密。
このことを知っているのは、謎の招待主シラヌイ、そして唯一の共感者で友だったロクロウ。
マーティの異能力は、自分だけの空間を生み出す力。自分のみ入れる部屋、自分以外はすべて拒否される部屋、身に着ける服も中に入れば無になって消える。裸で家に帰る羽目に陥らないためには、脱いで入らなければならない。
今は、真っ暗な嵐の襲う孤島。
ああ、明るい日差しが恋しい。
もうみんなに……秘密を話さなきゃ……。
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