第25話 鏡


 夜空の星が満開だ。幾つもの流れ星が星屑の天球をかけぬける。


 時をかける少女という題名の作品があるが、彼女はそれを初めて聞いた時、とても悲しく感じた。なぜなら少女が時をかけぬけたなら、忽ち少女でなくなってしまうから。


 クガクレ アマコは過去の自分に薄く紅を塗った。


 彼女は鏡が嫌いだ、正確には鏡に映る自分の姿が。暮らしのなかで不意に見てしまう、ガラスに反射した鏡像にはゾッとさせられる、何とおぞましいことか。

 彼女は鏡を視ない。もちろん鏡の前で化粧をし、衣装を整え、見てくれを確かめもする。矛盾しているように聞こえるが、それは彼女を視ているのではないのだ。



 ここで、アマコの過去を語っておこう。決して自らの口で語られることはないだろうから……。


 母親は、名家の久隠家の三女で十人並みの容姿。大学一年の時、当主主催のパーティで父親と出会う。それは上流階級の集まり、どこの馬の骨とも分からぬ三流四流の者に招待状など届くわけもないが、どうやってか上手く潜り込んできた自称、青年実業家。

 外見と口だけは超一流、そんな男と勘当同然で駆け落ち。その後のてんまつは火を見るよりも明らかだった……彼女の描いていた希望と現実は大違い。早々に夢砕け、鼠色の生活が十年ほど過ぎる。


 どこぞの国の有罪確立並みで、このまま地獄の底へ一直線かと思われた。が、思いがけず運命の変わり目が、奇跡が起きた。年を取ってもなお外面だけは魅力的な男、奴がやった! どんな女神を味方にしたのか、アンビリバボー! 事業が成功、ついに金脈を探り当てたのだ。


 ……時同じく……クガクレ嬢がこの世に生をなした。


 かくして、ある面ではとてもとても裕福な家庭の一人娘として生まれ、ありふれた幼女時代を過ごした。


 数年後、やがてよくいる可愛い女の子は成長して…彼女に言わせれば老いて…少女に、飛び切り美しい少女に変貌していく。


 呪いか!?

 何が原因で結果なのか? 何がきっかけで引き金なのか? 何が必然で運命だったのか?

 わからない……が……一家は回避したはずの地獄に進路を戻していた。


 家庭内に何か重く暗い空気が感じられ、どんどん鮮明に形になっていく。胸が苦しくなるような怒鳴り声、鳴き声、うめき声。何かを殴る音、何かを壁にたたきつける音、破壊音。非日常の不快音が、今や日常。


 男の見つけた金脈は枯渇した。そっぽを向いた女神の恐ろしい仕打ちか……打つ手打つ手が全部裏目に出る。蓄えはとうに底をつき莫大な借金の山。逆回転の歯車ですべて引き裂かれた。



 彼女を覆う黒い影。酒に浸り、何処からか手に入れてきたドラッグに手を染め、どす黒く染まった父親。


 「ああ…お前だけだ…」


 頭をなで髪の毛を触る。


 「お前だけだよ…お前は綺麗だ……世界一美しい……」


 ベッドから出て、おぼつかない足取りでドアを開け立ち止まる。半ば振り向いて、斜め下を向く焦点の定まらぬ異様な目。ぼそぼそ唇が動く。時には長々と、自己弁護なのか妄想なのか?


 「……でもなぁ、くくくっ……それは…今だけ……す~ぐに汚くなる……汚くなる、みんな…み~んな……」

 じっと天井を見つめる彼女、その小さな耳にほとんど入ってはこない。



 彼女を覆う黒い影。酒に逃げ、薬に助けをもとめ、どす黒く染まった母親。


 「なんて醜い……あ、あんたなんか…世界で最もブスで醜悪で汚い……ううぅ…価値ない女…消えろ…消えろ!!」


 そう言って髪をつかみ、「わかってる? わかってるの?」何度も頬を殴る。


 「あんたのその顔が、全部変えた! ぜんぶっぜんぶぜんぶ…あああああ」


 半狂乱で踊る、泣く亡霊。



 この家、少女に逃げ場はない、何処にも隠れる場所もない。不安や恐怖が彼女の小さなキャパシティーを軽く超え、あふれると共に、精神がブラックアウトした。 


 自分の姿を見たくない。鏡を隠し、電気を消し、自分を消した。


 自分の姿を透明にした。彼女は透明人間なのだから。



 アマコの能力の発現と時期を同じくして家は崩壊する、火事で焼け落ちたのだ。第三者による不審火を疑う捜査官もいたが、決定的な証拠もなく一家心中とみなされた。

 幸い彼女は軽いやけどで助かったが。



 厄介な、みなしごに手を差し伸べる親戚は誰もいなかった。


 13になり、送り込まれた施設を早々に抜け出すと、女と異能を使って生きてきた。日の当たらない場所で。ヤドリギのように常に誰かに寄生して来たが、彼女の極上の妖艶さ、拠り所には事欠かない。屑みたいなモノからそれなりのモノまで、彼女の前では選り取り見取りだったのだから。



 このようなわけで、バラ色でも、鼠色でもない、無色の人生を十年強が過ぎし、そんなある日……招待状を受け取った。それは父親がかつて手に入れたものと違い間違いなく彼女宛。


 様々な色のグラデーションで多少目を引く薔薇の大きな花束。

 彼女にとっては、そんなプレゼント珍しくもなく、これっぽっちの驚きも感動もない。


 (はいはい、告白? デートの申し出? また、うっとーしいプロポーズ?)


 アマコは結婚はおろか、誰かと暮らす気もなかった。


 速攻でゴミ箱行きかと思わせるような、ぞんざいな扱いで真ん中に留められたメッセージカードをはぎ取り、いやいや中身に目を通そうとする。


 「ったく…きりがない。…………クソみたいな遺伝子配合で生まれた私の、片割れなんか…残す気なんてさらさらないん……だから……」


 お断りの席で決して呟かれることはない、彼女の本音をぼそり言いながら


 「……シラヌイ…って……だれ? ふざけないでよ……」


 ある程度の上客の名前は憶えている、まあ彼女の脳に残るのは片手ほどだが。記憶にないので価値無しと、いくら高級そうな花束で装うとも決して心がなびくことはなかった。


 ただ……。


 カードの影になっていた一凛、見えなかった一凛の薔薇。


 それがガラス細工だった。

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