そのさん

「キュウウウウン!!」

「ふぅ~危なかった……」


 車はタヌキの目の前で止まった。

 間一髪だった。


「こらっ、危ないじゃないかっ!」


 彼は窓から顔を出すとタヌキを怒鳴った。

 タヌキはきょとんとしたかわいらしい顔を彼に向けると、雪深い林の中に消えていった。


「……………」


 だがまあよかった───と彼は思った。

 イヴの夜に人間ではないとはいえ、タヌキなんぞはねてしまったら後味が悪い。

 と、そのとき。


「あれ……?」


 先ほど消えていった林ではなく、別の場所からまたタヌキがやってきた。

 そして、そいつもさっきのタヌキが消えていった方に走っていった。

 なんだか何か急いでると思ったのは気のせいか?


「なんだか気になるなあ……」


 彼はタヌキが消えていった方向が気になり、車を降りてタヌキの後を追った。

 雪を掻き分けて向かった先に5匹のタヌキが集まっていた。

 彼は彼らに見つからないように木の陰に隠れた。

 そっと覗いてみると、まるでタヌキたちは人間のように何かを話し合っているように見えた。


「困ったなあ……」


 というか、本当に人間の言葉で喋っていた!

 男ははびっくりして声を上げかけたが、かろうじて上げずに聞き耳を立てた。

 タヌキたちの話は続く。


「こんなに雪降ってちゃ食べ物も見つからない」

「そういえばお地蔵さんのところに食べ物供える人がいたよね」

「おお、そうじゃ、ならば我らも地蔵に化けてお供え物をもらうことにしよう」

「そうしよう、そうしよう」

「さっそく行くぞ」


 タヌキたちはゾロゾロと連れ立って歩き始め、山の木々の間にやってくると、ポンッとばかりに地蔵に化けた。


「…………」


 男は溜息をついた。


(五人地蔵のように道路脇にでも化ければよいものを、こんな人が通りそうもない場所に化けても、何もお供え物なんか置いていく者はいないぞ)


 彼は何だかこのタヌキたちがかわいそうになってきた。

 そして、きびすを返すと軽トラに戻り、ビニール袋いっぱいにパンを詰め込むとタヌキ地蔵の元にやってきた。

 そして、あからさまに声を上げながらパンを地蔵の足元に置き始めた。


「やー、いっぱいパンが売れ残ってしまってね。お地蔵さんも食べてくださいよ。うちのパンはとてもおいしいんですよー」


「おやおやー、頭に雪が積もってますねー。寒いでしょう。そうだ、ちょっと待っててくださいよ」


 彼はパンを置き終わると、もう一度車に戻り、傘を5本持ってきた。

 なぜ5本も傘を置いていたかというと、今日の昼間にパンを持っていた場所が傘を作る個人経営の傘屋で、いつもたくさんパンを買ってくれるから自分と妻の分の傘をついでに買ったのであった。

 すると、傘屋は3本もおまけしてくれたのだった。これでは商売上がったりだろうとは彼も思ったが、ありがたく頂戴したのだった。


「はい、傘を立てかけておきますからね。これで雪も積もらないでしょう」


 そう言いながら、頭に積もった雪を払いながら彼は地蔵に傘を立てかけていった。

 全部の作業が終ると、彼はしゃがんだ


 そして、地蔵に向かって手を合わせると、


「それでも、これからは道路から奥まったこんな場所じゃなく、もっと道路脇に移動したほうがいいと思いますよ。そうすれば、お供え物もしてくれる人もいるかと思います。俺もしますしね」


 彼は立ち上がった。


「さあ、俺はもう帰ります。奥さんがハムスターが死んでしまって悲しんでいるのでね、早く帰って慰めてやらなくちゃー。ほんというと、クリスマスプレゼントでも買ってやりたかったんだけど、そんな時間もなくて……」


 そう彼は言うと振り返り、歩き去った。

 雪山にバイエル74番のピアノ練習曲を響かせながら。



 あくる日、男が朝早くから出勤しようと玄関を開けてみたら、5本の傘が置かれてあり、そして───


「おや…このダンボールは?」


 見ると小さなダンボール箱が置いてあった。

 中を見ると、


「ハムスターだ」


 ジャガリアンハムスターがちょこんと入っており、男をつぶらな瞳で見詰めていた。

 彼はあたりをキョロキョロと見回してからクスッと笑うと言った。


「まるで傘地蔵の御伽噺みたいだな」


 そう言いつつ、彼はダンボール箱を抱えて再び家に入っていった。


 玄関先に立てかけられていた傘の一本が、カタンと音を立てて倒れた。

 その傘にはさっきまで雪山にいたかのように雪がついていた。

 まだ下界では雪は降っていないのに───

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