余談

 8月14日 早朝


 翌朝、叔母と二人で朝食を作っていると、豆腐のフィルムに切れ目を入れた叔母が呟いた。

「今日、このまま曇りやったらいいとにね」

 声は穏やかそのものだが、横顔にはどこか憂いがある。


「子供の頃、お盆になったら、いっつも姉ちゃんと話しよったんよ。迎えに来てもらえんかった仏様たちは、今ごろ海で何しよっちゃろっかねって」

 一人、また一人と、仲間の背中を見送って。

 海上に残された仏様たちは、その後何をするのだろう。

 浅瀬を漂い、ひたすら親族の灯す火を待つのだろうか。それとも夜が更けた時点で、諦めがつくものなのだろうか。

 夏とはいえ、今朝はさぞ冷えたに違いない。


 ザルに入れたアカモクを水洗いする手を止めて、私は叔母に問い返す。

「やけ酒ですかね?」

 昨日、酒宴の話をしたのは鷹志だ。

 海上に残った人数が、十分の一くらいに減ったら。いや、百分の一だろうか。

 残ったメンバー同士で声を掛け合い、また集まったりするんだろうか?

 泣く人も、出てくるんだろうか?


「やっぱそう思う?」

 こちらを向いた叔母は、嬉しそうに歯を見せた。

「雨とか降ったら、傘とかちゃんと持ってきとーとかいな、とか。雷が鳴りようとに、どうするんやろうとか。ずっと船に乗ったままで、酔わんのかなとか」

 高齢化の進むこの島では、家の所有者が施設に入所したり、入院したりで空き家も着実に増えている。

 盆になっても、戻らない若者もいるだろう。

「中には、怒って帰る人もいそうですよね」

 十五日の夜まで待てなくて。

「おるかな? おるかもね」

 静かに答えると、叔母は私から目を離し、洗った豆腐をさいの目に切りはじめた。


 私が人数分の小鉢にアカモクを移していると、おたまで味噌汁の灰汁あく取りをする叔母に、また話しかけられる。

「姉ちゃんがね、天国から来とう人ばっかりじゃないって言いよったんよ」

 私が怪訝そうに眉を寄せると、叔母は気付いたという表情をして付け足した。

「仏様」

「それって」

 言葉が続かずに、私はただ苦笑した。

「結構な修羅場よね。でもさ、分からんやん? 私たちには。だけん余計な心配かもしれんけど」

 思案顔の叔母を見ていると、海に浮かぶよいよい船の上で、繰り広げられる修羅場を想像してしまう。

「絡まれたり、妬まれたりとかするんですかね?」

 日が昇るにつれて、外がほのかに明るくなってきた。

 私は続けて言った。

「迎えのない人たちから、島に入ろうとしたら引き止められたり。帰るときには嫌味を言われたり」

 廊下から聞こえる話し声は、どちらも男のものだ。


「そんなんやったら、帰りに顔を合わせるの気まずいでしょうね。気が小さい人とか、何も言い返せんやろうなって」

「まあ、ずっと迎えに来てもらえん人も、おるやろうしね。後で自慢ばっかりする人とかがおったら、そりゃあ嫌味の一つも言いたくなると思うし」

 叔母がこの会話を、心から楽しんでいるのが分かる。

「『お前んとこは、また来てないん?』って、地上から煽られたりさ」

 思わずくすりと笑ってしまう。

「でも、それでもやっぱり、来ずにはおられんのと思うよ」

 叔母らしい考え方だと思った。

 去年も一昨年も迎えがなくても、今年こそはと願ってしまうんだろうか。

 それともただ、故郷見たさに?


「鍵がなくても、よその家にも入り放題やけんね。色々情報収集も出来るやろうし」

 生者にはない特権か。

「婆ちゃんは心配やけど、姉ちゃんは上手く立ち回ってそうやない? 頼まれごととか引き受けてさ」

 確かに母は、人のために駆けずり回るような人だった。

 それが鍵っ子の私たち姉妹には寂しく、時にはたまらなく苦しかった。

 助けて、と一言言えばよかっただけなのに。

「例えば?」

 他の仏様のために、母がやりそうなこと。

「家の様子を見てきて欲しいとか、家族に関することが分かれば知らせて欲しいとか。友達は元気にしとるとかいな、とか」

 叔母の答えで、水際に腰を下ろし、真剣に報告する母の姿が目に浮かぶ。

 もしかしたら、私たちには見えないだけで、盆の間、島中のあちこちでそんな光景が繰り広げられているのかもしれない。


 のれんをくぐって隣の居間へ向かうと、昨日あげた線香が、総て灰になっていた。

 入院中に握っていた母の手が、どちらも火葬で腕ごと焼け落ちたように。


 私は仏前の座布団に腰を下ろすと、今日の線香のために、マッチで蝋燭に火をつけた。「おはよう」と呟きながら。





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