第11話 なろう系叩きと 宗教戦争

 なろう系の作品というのは世間では人気もあり多くの人に読まれている一方で、けっこう叩かれてもいるらしいです。

 きつい評価の根拠として ワンパターンだ、話の筋が最初からわかってしまう、、、などの理由もあげられることも多いかと。

 アニメーション化されていたりかなり大きい販売実績を上げている作品に対してもかなり辛辣な言われ方をしてるものもあります。どんな作品や創作物にもこういう悪評はついてしまう傾向はありますが、このなろう系には特に顕著に見られる傾向のように感じられます。

 ワンパターンがダメというのであれば吉本新喜劇や水戸黄門などもワンパターンな展開のものですし、かといってこれらがそのワンパターンゆえ不人気なのか、といわれてもそんなことはありません。長い期間人気を維持し続けているものです。

 最初から話の先がわかるものだからダメといえば大河ドラマだって基本的には歴史的な出来事をもとに作っているストーリーが多いので話の内容・展開などが最初からだいたい分かってしまうものが多いです。だからと言って大河ドラマが全然人気がないものか、といわれてもそんなことはありません。いってしまえば原作付きのアニメーションだって原作を知っていればストーリーは観る前からわかっています。


 これらワンパターン、先がわかる、といったものは つまらないという決定的な事由には当たらないかと思われます。



 そもそもどういう人がこういった辛辣な批評をするのだろうか、と考えた時 小説や漫画、アニメーションに興味がなく 接する機会もない人がこのような批評をするとは考えにくいです。

 好きの反対は 嫌いではなく 無関心 などというような言葉もあります。わからない人は基本的には何も言わないだろうし、正直興味もないからどうでもいいと思っているのではないでしょうか。


 とすれば、このような系統の作品に興味があり、ある程度この分野の作品を数多く読んだりしている人が辛辣な批評をしていると考えます。



  やはり同族嫌悪の心理が働くことによる現象ではないかと思うのです。

 


 同族嫌悪はググれば意味はいろいろヒットすると思います。心理学的に 同じ趣味や同じものを好きな人を叩いたり嫌ったりすることです。異世界転生ものの作品の設定やストーリーはだいたい似たようなものが多いですが、それゆえに その中で少しでも自分の感性や考え方に合わない部分が出てくると、もともと好きなジャンルだけに激しい抵抗感を感じ、結果 叩きに向かってしまうようなことが多くなってしまうのではないかと。


 この部分は こうあるべき、 とか  

 こんな設定や展開は不自然だ、こうあるべきなのに、 

とか思うことでそういう叩きなどに繋がってしまうのではないかと思うのです。


 しかし、もう少し大局的に眺めて 例えば ミステリーやホラーが好きな人から見れば 異世界モノはどれも違いがわからん、、、などと思われているかもしれないし、さらにいえば小説を読んだこともない人から見れば 叩いたり反論したりするのを聞いてもその論点すらわからないのでないでしょうか。言い過ぎ?


 



 こういう同族嫌悪で ふと思い出したのが 昔のキリスト教の異端に対する迫害や 宗教戦争です。

 昔のローマ帝国くらいの時代からキリスト教の教義を統一させる目的で何度か公会議というものが開かれました。

 4世紀に三位一体説(確かなんか神とイエスと精霊が実は一緒の存在とかいう考え方、多分)がキリスト教の正統な教えであるとか公会議で決められると、これに合わない教義は追放されてその存在を認められないとか 世界史の本などに載っていました。

 このような公会議はかなり何度も開催されその都度、異端教派の追放が行われています。


 キリスト教は正統派と異端を明確に区別し、少しでも正統派と異なる教義は徹底的に認めない、というスタンスを歴史的に持っています。異なる教派同士の対立から暴力事件まで発達することもあったそうです。

 中世に入るとローマ教皇と東ローマ帝国の正教会は互いに破門し合うとか、近世にはプロテスタントとカトリックの対立から宗教戦争に発展するとか、基本的に同じ神様を信奉しているにも関わらず、考え方や教義解釈の違いから争いになることが多いように思えます。

 現代のキリスト教徒の方は昔のようではないとは思いますが、キリスト教など基本的に一神教というものは、「信仰の形や考え方はこうあるべきである、こうでなくてはならない」というこだわりが強いと感じます。そのこだわりゆえに少しでも異なる部分があると、それを認められない心理が働くのかもしれません。神は唯一1つなら考え方も1つのはず、、、、みたいな感じなのでしょうか。


 この辺りは仏教や神道など多神教を持つ国の人にはどうも理解しづらい感もあります。日本では神仏習合の考え方で神も仏もあまり区別なく信仰してきました。本地垂迹説ほんじすいじゃくせつ のような仏様が仮の姿で現世に現れたのが神道の神様なんだ、というような考え方も割と抵抗なく広まったりしてきました。仏教の宗派間での闘争など歴史的にも基本的には聞いたことはありません。戦国時代の僧兵や一向一揆など世俗権力に対しての抵抗はあったとは思いますが。


 

 キリスト教の、こだわりの強さによる 少しでも考え方が違えばもそれは異端であり認められない、というような部分と なろう系叩きの理由の心理がどうもかぶって感じられたのです。

 どちらも同族嫌悪の心理が働いているのかもしれません。

 こういう作品へのこだわりって一神教的なイデオロギーがあったりするんだろうか、などとも思ってみたり。

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