Break3−4

 テンは寡黙な天才だ。店主は、優しくて大きくて、そして才能のある人。自分だけが、平凡な人間。一緒に働いていると、どれだけ二人と差があるかを実感してしまう。

 テンは、店主との違いを見て「遠い」とつぶやいていたが、テンとの差もまた、感じるのだ。そちらのほうが、よほど堪える。

 リタは、アパートの部屋で一人窓辺の椅子に腰掛けて、空の眺めていた。街頭の明かりから逃れるような暗い夜空を見て、ため息をつく。

 コーヒーもスイーツもできていない。

「(食べたいものかぁ……)」

 テンのくれたヒントを思い出して、考えてみる。

「(爽やかなものがいいけど、そもそもコーヒーとか飲みに来てる客だからな……)」

 客の姿を思い出す。

 何を話していたのか、記憶をたどる。

 多い時間帯と、表情と、注文の品と、会話と。

 きっとそれは、自分の得意分野。

「……あぁ、夏、かぁ」

 体の内側でモヤモヤしていたものが、一瞬で晴れた。

「そうか!」

 リタは椅子から立ち上がり、テーブルに広げていたメモの山をじっと眺めた。それは、もやもやしながらも書き出していた、夏のフレーバーと新作スイーツのメモだった。

 今思い至った答えに近いもの、使えそうなものを探して、それ以外と分けておく。

 そして、白紙の紙に、今度は、それらと自分の頭に浮かんだ考えとをまとめて、一つの答えを書き出した。

 それでいいのかはわからないけれど、リタは、思っていた。


 これを、Rufellviaルフェルビアで味わってほしい。


 相変わらず自信はない。それでも、リタの顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。



 次の日の朝は、一層早くアパートを出た。

 いつもなら、店主が開店準備をしながらテンが朝食を食べている時間に店に着くのだが、今日は、ようやく店主が店に降りてきたところだった。

「早いなー、リタ」

「試作品を店長に見てもらいたくて。コーヒー、今から淹れてもいいですか?!」

 準備を待ちきれないというリタの様子に、店主は思わず吹き出した。

「あぁ、もちろん」

「ありがとうございます」

 まず、コーヒー豆を選ぶ。

 考えてきた香りと、学んだ豆の種類を合わせて、最適な豆のブレンドを作りたい。想定してきた豆のブレンドを作っていく。

 昨夜考えて作ったレシピは5つ。

 そこから、2つまで絞った。

 いつも店主が淹れているとおりに、豆をコーヒーへと変えていく。

 この、豆からコーヒーができていく過程が、リタは好きだった。香りがして、音がして―――――――――。

 できるまでの間に、作ってきたデザートを盛り付けて、リタは、グラスとたっぷりの氷を用意した。

 作ったのは、2つのアイスコーヒーだ。

 カウンター席で待つ店主に、まず、アイスコーヒーを。そして、デザートを運ぶ。

「おまたせしました」 

 並べられた、アイスコーヒーとレモンのデザート。

 店主は、吟味するようにそれらを眺めた。

「なるほど。お前らしいな、リタ」

 店主は嬉しそうに笑った。

 それから、コーヒーの香りと味を比べて、「うん」と満足そうにうなずいた。

 次にレモンのデザートを、一口ずつ口にする。

「うん!面白い!」

 楽しげな顔をして、店主は言った。

 店主の言葉の意味がわからず、リタは眉をしかめた。

「……お、おもしろい?」

 店主は優しい。この店のスイーツは、基本的にテンとリタとで作っているが、それは店主から教わったレシピからできたものだ。なにか足りないと思っても、まずは誉めてくれる。

「あぁ、おもしろい。リタは、視点が俺と近いな、やっぱり」

「え?」

「テンは、スイーツを作ること自体に興味を示してるけど、リタは、客のことを考えたんだろう?」

 リタは、目を丸くした。

「なんで?」

「夏だからな。ここに来る客と、この季節を考えて、ゆっくりしていってほしいって、そう書いてある」

 それが正解なのか、リタにはわからなくて、言葉が出てこない。

「さっき、俺のところにこれを持ってくるときに「おまたせしました」って言って出しただろう?」

「……はい」

「俺にすら、そんな気持ちを乗せてくれてる」 

 店主は、優しい表情でリタを見た。

「お前は、立派なマスターになれる」

 嬉しすぎて、言葉にならない。リタは、店主の言葉を噛み締めていた。

「コーヒーは、採用だ。スイーツは、練り直し」

「……えー!」

「味も発想もいい。あとは、形だな」

「はい!」

 リタの返事を聞いて、店主は満足そうな笑みを浮かべた。

「俺は、いい仕事仲間を持った。さすが、俺」

「そっちに持っていきます?」

 リタが楽しそうに笑った。

 勝手口の扉がカタンと音をたてた。すぐに、眠そうな顔をしたテンが姿を現す。

「おはよう、テン」

「……リタ?おはよ……」

 テンは、朝の定位置であるカウンター席に座ると、店主の前に置かれたアイスコーヒーとスイーツに気がついた。

「………………店長、朝ごはん」

「はいはい」

 店主が席を立つ。

 店主は、残っているアイスコーヒーを、テンの前においた。

「飲むか?」

「……うん……」

 眠そうな顔のまま、テンはストローをグラスから外して直接口につける。ゴクゴクと飲み、はぁ、と息をついた。

「うまいだろう?」

 カウンターの向こう側から、店主が朝食を作りながら声をかける。

「うん……」

「コーヒーは、それでいいか?」

 店主が聞くと、テンはアイスコーヒーを飲み干してから答えた。

「……店長のが飲みたい」

 店主もリタも驚いた様子でテンを見た。

 テンは涼しい顔をして、やや眠そうにトレイの上のスイーツを見つめていた。

「わかるのか?」

 店主が再度尋ねた。

「いつもの味じゃない……」

 テンの答えを聞いて、リタが感嘆のため息を付いた。

「いつも眠そうにしてたのに、ちゃんと判別できるんだな……」

「…………頭で考えてない……」

「余計にすごくないか、それ……」

「毎日飲んでるんだから、違ったらさすがにわかるっての」

 リタは、再びため息を付いた。やはり、テンは才能がある――――それを考えてリタは落ち込んでいた。

「それ、食べていい?」

「え?」

 テンがリタの答えを聞く前に、残っていたスイーツに手をのばす。

「リタの試作だよな」

「……あ、うん……」

 スイーツを一口ずつ口にするのを見ていると、リタは店主のときとは違う緊張を感じた。

 テンは、才能がある。ここで作るスイーツの半分は、テンが考えたものだ。試作を食べさせてもらうたびに、自分との差を感じている。

 テンが、レモンチーズケーキをフォークでひとすくいする。

 リタは、それをじっと見つめていた。

「…………なに?」

 口に入れるのを一旦やめて、テンが訝しげな顔をしてリタに聞いた。

「え?」

「いや……だから、なんでそんなに見てんの?」

「気にするな。食べていいよ」

「…………店長が食べたときも、こんな?」

 調理中の店主に声をかけると、店主は歩く笑った。

「そこまでじゃなかったなぁ」

「……そうなんだ……」

 つぶやいて、テンはもう一度リタに視線をやった。相変わらず、真剣にこちらを見ている。

 食べづらさを感じながら、テンは、ケーキを口に入れた。

 甘酸っぱいレモンのチーズケーキ。爽やかで、チーズの風味も消えていなくて、暑い季節に丁度いい舌触り、味。

「うまいな……」

「ほんと?!」

 リタが音を立てて身を乗り出すのを見て、テンは、やや身を引いた。

「……あ、あぁ」

 カウンターの向こうで、店主が肩を揺らして笑っている。それに気がついて、テンは面白くないという顔を店主に向けた。

「笑ってないで、朝ごはん」

「はいはい」

 いい香りがしている。

 すぐに、カウンターの向こう側から、朝食が乗せられたトレイが渡された。

「いただきます」

 テンは温かいコーヒーから口にした。

 朝ごはんのホットサンドを一口頬張ったあとで、テンがリタの試作品をじっと見つめた。

「店長のチーズケーキと似た形してる」

 誰にともなく呟いたテンの言葉に、リタは目を丸くした。

「え?」

 言われて改めて自分のスイーツを見ると、たしかに、どこかで見た形だった。

「まあ、ずっと作ってたからな……」

 自分もそうだと、テンが悔しげに呟いた。

 そうして、やっと作り直しと言われた理由がわかった。

「光栄だがな、俺は」

 得意げな店主に、テンが冷たい視線をやる。

「何言ってんの」

 テンは冷たくあしらっているが、リタにはすべてを悟るのに十分な会話だった。

「(そうか……俺は、テンの才能が羨ましくて、だから、店長みたいになりたかったんだ)」

 店主は二人が追いかけても、決して追いつかない存在だ。

 しかし、焦がれてしまう。あんなふうになれたらと、思ってしまう。それがRufellviaルフェルビアの店主なのだ。

 今も、彼は、リタの考えていることを察していて、温かい視線をくれている。

 そして、胸がいっぱいになるような言葉をくれるのだ。

「リタ、いいんだぞ?今できる最高のものを作ってくればいいだけの話だ。楽しみにしてる」

「はい!」      

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