Break1−3

 束の間の自由――――――――レオンは、この日々をそう捉えていた。

 もしかしたら、次の瞬間には、また『保護』されるかもしれない。だとしたら、今しかできないことをしたい。

 覚悟を決めて。

 帰り道、テンは、自分の「覚悟」を静かにそっと考えていた。

「ただいま」

 ぶっきらぼうに声をかけて、扉を締める。

 中からは、機嫌の良い「おかえり」が聞こえた――――――――二人分。

 リビングに行くと、コーヒーの良い香りがした。

 ローテーブルに、いくつかの本と、コーヒーカップに注がれた琥珀の飲み物。

 少しの間眺めて、そしてテンは二人に目をやった。

 ソファーに座るリタとその斜め前に置かれた一人がけのソファーに座る店主。

「なにやってんの?今日は店は休みだろ」

 日は少し西に傾いている。

 確かにお茶をするには、最適な時間ではある。

「コーヒー講座」

 リタが答えると、テンは面白くないという顔をした。

「俺のいない間に、ずるくないか?」

「お前がいないのはたまたまだ」

 心外だと、店主の声音が語っている。

「リタが来たのは少し前だし、まだ、本を選んでやって、コーヒー淹れただけだ」

 何も講義はしていないと、店主は笑みを浮かべた。

 確かに、コーヒーはあたたかそうだ。

「お前にも、淹れてやろうか?」

「いいよ。自分で入れてくる」

 キッチンに行き、淹れたてから少し経ったコーヒーを自分のマグカップに注ぐ。テンはすぐに、香りを確かめた。

 眉間にしわができた。

 マグカップを持って、リビングに戻りながら考える――――この香りは、狙ったのか、それともたまたまか。

「ミルクどこ?」

 テンが尋ねると、店主が黙ってテーブルの上を指差した。カップと本に埋もれるようにミルクポットが置いてある。

「どうだ?」

 今度は、店主がテンに尋ねた。

「やっぱり、狙って淹れたの?」

「何年一緒にいると思ってる」

 店主のこういうところが、ムカつくと同時に尊敬できるところだった。

 店主は、人をよく見ている。魔術を使えないのに、的確に、その人に合ったコーヒーを提供できる。

「俺ができるのは、これくらいだからな」

 謙遜しているが、それだけではないことくらい、テンもリタも承知している。

「魔術に素手で対抗する人が、何言ってんの」

 呆れて言いながら、テンは店主が座る椅子のそば、床にそのまま座った。

「海はどうだった?テン」

 リタが尋ねた。

「…………青かった」

 答えた一瞬の後、二人が笑った。

「そうか、そうか。青かったか」

 店主の顔には、笑いが残っている。

 テンは、気にすることなくコーヒーを口にしてから、その琥珀の水面を見つめた。アトリエから見えた、海を思い出していた。

 どこまでも青い海と、それとは違う空の青が見えた。

 同じ青だが、違う青。

「懐かしいよなぁ、テン。お前が来たばっかりの頃さぁ……」

 思い出話を始めた店主を遮るように、テンは慌てて声を上げた。

「あーー!!やめろ、暴露すんの!」

 リタがそれを聞いて笑い転げている。

「ホント飽きない、この親子」

「親子じゃない……」

 ムスッとしてテンは、頬杖をついてそっぽを向いた。

「もはや親子でしょ」

「いいじゃねぇか、親子で」

 面白がっているような気がしてならないが、楽しそうな二人の様子が、テンの胸をくすぐる。

「……ハイハイ」

 この生活が、束の間の自由なのかどうかはわからない。

 ただ、人生自体に限りがあることはわかる。


―― やりたいことはないの?


 こんなことをして過ごしていたい。

「さぁて、コーヒー講座を始めるか」

 のんびりと店主が体を起こした。

 コーヒーを学んで、スイーツを作って、この二人とできるだけ長く一緒に。

 

Break1・END

 

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