6:夢

 次の日の朝は、随分と冷え込んでいた。

 クロキが目を覚まし、着替えて下に降りるまで、吐く息は白かった。

 リビングの薪ストーブには、もう火が入っていて、タスクはもう朝食を作っていた。

 紅茶ではなく、コーヒーの匂いがしている。

「いい匂いだな……」

 声をかけると、タスクは、振り返り笑みを浮かべた。

「おはようごさいます」

「おはよう。手伝うか?」

「座っていてください。すぐにできます」

 言われるまま、リビングとキッチンとの間にある席に座った。

「あの」

 思い出したように、タスクは切り出した。

 クロキが、タスクに顔を向けると、心配そうな、少し訝しげな顔をしていた。

 調理の手を止めて、クロキを見ている。

「昨日は、アクアのことがあったので、すっかり、訊くのを忘れていたんですが」

「何だ?」

「前に、ウチの店を訪ねて来た男がいて、俺が、あなたの友人だと誤解したことがあったでしょう?実は、刺客だった、という……」

「あぁ。それが、どうかしたか?」

「……もしかして、複数の人に、追われていますか?」

 クロキの顔に、鋭さが帯びる。

「可能性はある。会ったのか?」

「いえ。店の前を、いかにもって感じの人が、通り過ぎて行ったんで……」

「どんな奴だった?男か?」

「えっと、男だったと思いますよ?」

 姿を思い出そうと、タスクの眉間には、皺が寄っていた。

 視線が泳ぐ。

「背は……そんなに高くないです。前の人よりも、小さく見えました。目力って言うのかな?印象的な、力のある目をしてて、整った顔でした。店の中には、見惚れてる人もいましたし。黒い上着で、黒いズボンと黒いブーツで……。ベルトに差してある剣が、太陽の光で、鞘ごとキラキラ光ってたのを覚えてます。それくらいしか、分からないんですけど」

「十分だ。ありがとう」

「いえ……」

 逃げる時間は、残ってない。

 おそらく、体力も。

「おはよう……」

 眠気をたっぷり含んだ声がして、二人はそちらを振り返った。

 着替えてはいるが、眠り足りないという顔のアクアが、自室の扉を背に立っていた。

 タスクは、慌てて笑みを浮かべた。

「おはよう、アクア。顔洗って来いよ?」

「……コーヒーの匂いで目が覚めた……」

 嫌そうに零しながら、アクアが洗面室へ消えていく。

「あの男が、優秀なら……」

「あの男って、前に来た?」

 タスクは、訝しげに尋ねた。

「あぁ。あの男が優秀なら、その刺客にも気づいて、ここへやって来るはずだ。緊張感のない顔してな」

「それ、マズイじゃないですかっ!」

「来ない方が、もっとマズい」

 言った途端、玄関のベルが鳴った。

「はーい」

 答えたのは、洗面室にいたアクアだった。

 慌ててタスクが玄関に向かった。

「どちら様ですか?」

 先に扉の前に着いたアクアが訊いた。

「おはよう、アクア。ゼンだけど」

 アクアは、顔を輝かせて、迷うことなく扉を開けた。

「おはよう。どうしたの?早いね」

「あぁ。ルー……クロキはいる?」

 アクアの後ろで、警戒の眼差しを送ってくるタスクに気付いて、ゼンは笑みを向けた。

「心配しなくても、大丈夫だって。命取ろうっていうんなら、わざわざベル鳴らさないし」

 言っていることは、尤もだった。来ない方がマズい、というクロキの言葉を信じて、タスクは、改めて、笑みを浮かべて彼を招き入れた。

「さすがに、まだ朝食中か」

 リビングに入り、香るコーヒーの匂いに、ゼンが呟いた。

 そして、我が物顔でソファーに座る。

 アクアは、リビングを背にする席に座って、朝食を待った。

 タスクは、中断していた調理を再開した。

「ライバルが、現れたらしいな」

 クロキは、全くの他人事のように涼しい顔をしている。

 ゼンは、困ったように頭を掻いた後で、小さく笑った。

「そうみたい」

「え?!」

 驚きの声を上げたのは、それを知らないアクアだった。

「でも良かったじゃないか。追手が、俺とそいつの、二人だけで」

 ゼンは、緊張感のない口調で返した。

 ダイニングに、朝食が並んだ。

「姿は?見たのか?」

 クロキは、落ち着いた様子でコーヒーを口に運んだ。

「見たって人の話を聞いた」

「知ってる奴か?」

 ゼンが、豪快にため息をついた。

「残念ながら、知ってた……」

 タスクは、ゼンにもコーヒーを入れた。

 ソファーまで運ぶと、ゼンは、申し訳ないと言うように笑った。

「仲間か?」

「いや、俺よりずーっと格が上。王に仕えてる奴だよ」

「お前の国で、王には会ってないぞ」

 クロキは、まさか、と、ゼンに疑いの眼差しを送る。

「俺は喋ってません!っていうか、会ったことないし、王様なんて」

「じゃあ……?」

「おしゃべりな領主様だからなぁ~、ウチのは」

 悪びれることなく、ゼンが予想を口にする。

「あれがしゃべったと言うことは、お前の責任でもあるわけだな?」

「言われなくても、分かってるよ。だから、こうして来たんだろ?」

「昼まで守りきれば、たぶん、お前の勝ち。最悪でも、引き分けだ」

 部屋の中が、一瞬、静かになった。

 クロキの言うことの意味は、彼のその他人事のような軽い口調とは反対に、受け止め難い現実。

 部屋を満たすのは、重苦しい空気。

「あのさっ」

 沈黙を破ったアクアの声には、確かな決意が込められていて、何を言い出すのか、クロキとタスクには、容易に見当がついた。

「やめとけ」

 言葉を続ける前に、クロキが止める。

「何で?!」

 不服げに、眉尻を下げるアクアと。

「何?」

 訳が分からず、振り返り眉を寄せるゼン。

 クロキは、アクアの頭の中を言葉に変える。

「自分が力を継げば、俺が狙われる理由はなくなる上に、俺は、長ければ、二十八日間は、生きていられる。そう考えたんだろう?アクア」

「いいアイデアだと思う!」

 真面目な顔をして、何が悪いんだと、アクアはクロキを見つめた。

「俺の力を継げば、立場は、今の俺と同じになる。一つの土地には、留まることができなくなるぞ?店なんて、持てない……」

「あ……」

 途端に、アクアの表情は沈んだ。

 クロキを助けることだけを考えていて、そこにまで頭が回らなかった。

「へぇ~」

 ソファーの背に腕を乗せ、ゼンは、優しく目を細めた。

「二十八日間ね……。それだけのために、自分の人生を犠牲にしようなんて、よく考えたじゃねぇの。十一歳にしてはさ」

 ゼンのフォローを聞いてなお、アクアは、悔しげに俯いて唇を結んでいた。

「朝食が終わったら、アクア、案内して欲しいところがある」

 静かに紡がれたクロキの言葉に、アクアは、表情そのままに、顔を上げた。

「墓参りがしたい」

 思わぬクロキの願いに、アクアは、ポカンと口を開けた。

「いや、待て!」

 ふざけるなと言いたげな口調で、ゼンが口をはさんだ。

「何だ?」

 涼しい顔をして、クロキは、食後のコーヒーを楽しんでいた。

「命狙われてんだぞ?お前っ」

「お前が言うな」

「守って欲しいんじゃねぇのかよっ!」

「守る義務があるという意味だ。お前が、自主的に守ると決めたんだろう?」

「あのなぁ……」

 状況を理解しているのか、理解していないのか。ゼンは頭を抱えたくなった。

「命狙われてんのに、のんびりお出かけする奴があるかっ!大人しく家にいろよ!」

「俺は、墓参りがしたい」

 強い口調で、クロキが繰り返した。

「タスク、今日、仕事休みだったよね?」

 アクアの顔に、笑みが浮んでいた。

 和やかなダイニングの雰囲気に、ゼンは、背を向けてため息をついた。

「四人で仲良くお出かけって状況じゃねぇっての……」

                

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