代償-4

 ゼンが、ギターの音に飽きる頃、遅くならないうちに、二人は家を出た。

 アクアが出かけていった公園は、町の東を流れる川の方へ、十分ほど行った場所にある。曲がりくねってはいるが、アクアの家からは、通りを挟んで、一本道だ。

 ゼンとクロキが行くと、雪合戦をしていた少年たちが集まってきた。

 当然、一緒にやるつもりでいる。

 クロキは、黙ってその輪から外れた。

 大人だからと、ゼンが入るチームは、メンバーを少なくすることになった。

 クロキは、傍の東屋に入り、座って傍観していた。

 ゼンは、子ども相手に本気になっている。

 アクアは、他と同様に騒いでいる。

 しかし、ふと、笑顔が消えるときがあった。疲れているような、つまらないというような表情で、同級生たちを眺める瞬間がある。

 他人に期待などしないと、どうしても、疑ってしまうと言ったタスクの言葉を、クロキは、思い出していた。

 祖父のような店を出したいと願う少年は、自分と同じように、知らないうちに人に愛想を尽かしているのだろうか。

 忘れることのできない記憶を刻みつけた、あの男の血を受け継ぐ少年が。

 やがて、決着が着いたのか着かなかったのか、雪合戦は中断し、みんな、クロキのいる東屋に集まってきた。

「どうだったんだ?」

 クロキが勝敗を尋ねると、少年たちは、興奮冷めやらぬ様子で答えた。

「ゼンさん、すっげぇノーコンなんだもん!」

「一個も当ってないし」

 少年たちの言葉を、ゼンは、楽しげに笑い飛ばした。

「だぁから、久しぶりだって言っただろ?戦力になるか、わかんねぇって」

「雪玉は、きれいに丸く作るんだよな?」

「あっ!それじゃ、今度は、雪だるま作んねぇ?」

 ゼンの提案に、少年たちはすぐに賛成した。

「クロも作ろう?」

 アクアが、誘う。頬を真っ赤にさせて、息を弾ませて。

「雪だるま、作るくらいなら」

「やったぁ!俺、クロと作る!」

 アクアが飛び跳ねて喜ぶ姿に、ゼンが笑みを零した。穏かで、嬉しそうな笑みを。

「それじゃ、二人一組でチーム対抗にするか?」

 はしゃぐ子どもたちとの、雪遊び。

 本当に、嘘のように、穏かな時間だった。

 雪だるまは、ゼンの作ったものが一番になった。

 彼が、雪合戦の時の汚名を雪ぐ頃には、太陽は西に傾き始めていて、その場で解散になった。

 通りの雪は、ほとんど解けている。

 ゼンとは、家の前で別れた。

 紅茶でもとアクアが誘ったが、夕食前だからと断わられた。

 クロキは、呆れ果てた顔をしていた。

 仮にも相手は、自分を狙ってきた剣士で、昨日は、あれほど敵意剥き出しだったアクアが、今日は一緒に遊び、食事を共にし、おまけにお茶に誘っているなんて。

 二人は、ただいまも言わず、家に入った。冷え切った室内を暖めるため、アクアは、上着を脱ぐ前に、薪ストーブに火を入れた。

 アクアが、上着を部屋に片付けてリビングに戻ると、クロキは、ソファーで本を読んでいた。図書館で借りた、コーヒーの本だった。

 アクアはキッチンへ行き、二人分の紅茶を入れて、リビングに戻った。

 テーブルに置いて、クロキの隣りに座る。

 声を掛けてよいものか、少し躊躇った。

 本に目を落とすクロキは、昔に想いを馳せているように見える。

「躓いてたとこ、練習しなくていいのか?」

 クロキから話し掛けてくるとは思わず、アクアは、一瞬、返答に遅れた。

「する!練習するから、聴いててね?」

「あぁ」

 リビングの隅に置かれたギターケースを、抱えるようにしてソファーまで運ぶ。

 留め具を外してケースを開いて、一緒に入れてある、祖父のノートを取り出した。

「クロ?」

「何だ?」

 アクアは、ノートから、ソファーにいるクロキへ視線を移した。

「……あとどれくらい、時間、残ってるの?」

 クロキを見つめる、真剣な眼差し。

 それに気付いて、クロキは、アクアへ顔を向けた。

「僅か、だな」

 今までなら、関係ないだろうと、答えていたはずなのに。

 アクアは、中を見つめたまま、動かなくなった。

 やがて、アクアから出た言葉は――――。

「叶えて欲しい願いが、思いつかない……」

「幸せな奴だな……」

 ぼやいて、クロキは、本に目を落とした。

 ギターと楽譜を抱えて、アクアは、クロキの隣りに座る。

「だってさ、ゼンも言ってたけど……」

「あの男が?」

「うん。やっぱり、叶えてもらうんじゃ、ダメなこともあるでしょ?自分の力で何とかしたいし……」

 ギターと楽譜を抱えたままで、アクアは、再び、宙を見つめて考え始めた。

「他に、方法はないの?」

 クロキは、本に目を落としたまま、答えに躊躇った。言えば、それを期待することになりそうで。

「あるんでしょ?」

 黙ったままでいると、強い口調で、アクアが訊いてきた。

「その顔は、あるって顔だもん。あるんでしょ?」

 答えられなかった。何を言っても、認めることになりそうだった。

 すると、アクアは、驚いた顔をしてクロキに体を向けた。

「え?!あるの?もしかして、ホントにあるの?」

 クロキは、観念したように息をついた。

「……あぁ」

「望みを叶えなくても?」

「あぁ」

「クロ、生きていられるの?」

「あぁ……」

 アクアは、顔を輝かせた。

 ギターを抱え直し、クロキの横顔を正面にしてソファーに座りなおす。

「ホントに?!」

 クロキは、眺めていただけだった本を閉じた。

 相変わらずの、無表情だった。

「何でだ?」

「え?何が?」

「何で、他に方法があるとわかった?そんなに、顔に出てたのか?」

 アクアは、得意げに笑った。

「タスクが、時々、俺に使う方法なんだ。俺、分かってんのに、その手に弱くてさぁ。嘘とか、悪戯とか、すぐ白状しちゃうの」

 クロキが、顔を顰めた。

 アクアは、まだ笑っている。

「クロが、引っかかるとは思わなかったなぁ」

「うるさい……」

「ねぇ」

 アクアの顔から、笑みが消える。

 真剣に、クロキの横がを見つめていた。

「方法って、何?」

「……その曲がマスターできたら、教えてやる」

 たかだか十一歳の少年の話術に引っかかったことが悔しくて、クロキは、素直に教えてやる気にはなれなかった。

「え~?クロ、意地悪」

「今更……」

「教えてくれたら、練習する」

「あのなぁ……」

 呆れてアクアを振り返り、クロキは、口をつぐんだ。

 アクアは、クロキが思っていた以上に、真剣な顔をしていた。

「それじゃあ、一つ……」

 クロキは、アクアの栗色の頭に、優しく手を乗せた。

 アクアは、不思議そうに、クロキの漆黒の瞳を見つめていた。

「俺が前にこの町に来て、アクアのじいさん、ゼンと会って、ギターを教えてもらって……もう、ずいぶん時が経つ。その間、いろんな土地へ行き、覚えていられないほどの人と会った。本当に、覚えていない……」

 言葉を切り、少しの間の後、クロキは、ふと、微笑んだ。

 アクアは、目を丸くした。初めて見た、クロキの表情だった。

「ただ、ゼンと過ごした時だけは、ずっと覚えてる。忘れられないんだ。あいつが叶えてくれた俺の望み、アクアが練習しているこの曲は、いつもこの体に流れてる。どんなに人に絶望しても、この曲とゼンとの思い出が、俺を、生かしてくれた。……いつか、また会えたら、と。それまでは死ねない、とな……」

 クロキを見上げて、アクアは、申し訳なさげに尋ねた。

「俺が、弾いていいの?」

「弾いて欲しくなかったら、教えてない。お前は、ゼンによく似てる……」

「……弾けるようになったら、方法を教えてくれるの……?」

「約束だ」

 クロキが、頭を撫でる。優しい微笑を浮かべたままで。

 アクアは、ソファーに座りなおし、ギターを奏で始めた。途中、躓きながら、ポロポロと。楽譜はもう、頭に入っている。指が、上手く動かないだけ。

 クロキの生きていられる時間が無くなってしまう前に、弾けるようになりたい。生き延びる方法も知りたいし、何より、聴かせたいから。

 もう一度、希望の音色を――――。        

        

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