5:代償
次の日、朝食を済ませたアクアは、急いで家を出た。タスクにどこへ行くのか尋ねられたが、答えはしなかった。
外は、快晴とまではいかなかったが、青空が、多く覗いていた。
今日は、休日。
同年代の子どもたちは、もう、遊びに出ているらしかった。
しかし、アクアは違う。
雪の道を、ザックザックと音をさせて走り、向かう先はジャック。
チョコレート色の扉を勢いよく開けると、付けられていた鈴が、派手な音をさせた。
息を切らせて入ってきたアクアを、店主は、驚いて見つめた。
「おじさん!昨日、ここの二階に泊まった男の人は?いる?」
店主は、すぐに笑顔になった。
「今、裏庭だよ。会ってくかい?」
「うん、ありがとう!」
レジカウンターの奥へ進むと、細い廊下の先に、裏庭へ通じる木戸がある。
息を整えるように歩いて進み、木戸の取っ手に手をかける。
向こう側から、空を切る、重々しい音が伝わってきて、アクアは、開けるのを少し躊躇った。
短く息を吐いて、決心して、取っ手に手をかける。
ギィっと、木戸が軋む音をさせて開いた。空を切る音は、迫力を増してアクアの耳に届いた。
ブンッ――――。
男が、その腰ほどはあろうかという丈の剣で、真剣な顔をして素振りをしている。
着込んでいても寒い中、薄手の長袖だけを身につけて。
よく見ると、額から汗が流れていた。
アクアは、足下に目を落とした。
皮製の鞘が、タオルと一緒に軒下に置かれている。
一見するとシンプルだが、美しい模様と飾りが施されていた。
「勝手に触んなよ?」
突然声をかけられ、アクアは、ビクッと肩を震わせた。
素振りに集中しているようだったから、気付いているとは思わなかった。
男が、息をついて、アクアの方へやってくる。
「あっちぃ~」
言いながら、長袖のカットソーを脱いで、汗を拭う。
よく鍛えられた上半身。
しかし、この季節の裸は、見ているこっちが寒かった。
「どうした?何か用か?文句でも言いに来たか?」
語りかけてくる口調は、あくまでも明るく、親しみやすい。
アクアが、何も言えないでいると、男は、小さく笑みを零した。
「そういえば、まだ名前も言ってなかったな」
言われて、初めて気がついた。
あらかた汗を拭いた男は、大きく息をついて、壁に立てかけていた剣を一振りした後で、傍に置いていた鞘へ収めた。
「中入るか?寒いだろ?話はそれからにしよう」
男は、タオルを首から下げ、上半身は裸のまま、剣と服とを持って木戸を開けた。
「どうぞ?人ん家だけど」
アクアは、男の後について中に入った。
店裏を通って、階段を登る。
「ここの店、変わる前と変わってる?」
登りながら、男が聞いた。
無駄な肉のない、鍛え上げられた体。
どうしたら、クロキの前からいなくなってくれるのだろう。ケンカをしても、戦っても、絶対に勝てない。
思案し、何も答えないままでいると、男が使っているらしい部屋に着いていた。
見覚えがある。
少し、懐かしかった。
「怒ってる?」
男が、扉の前で、小首を傾げて眉尻を下げてアクアを見つめていた。
アクアは、負けてたまるかと、男をグッと睨みつけた。
「怒ってるよ」
「だよなぁ~」
困ったように呟いて扉を開けると、男は一人さっさと中へ入っていく。
「いつまでもそんなとこに立ってないで、入って来いよ」
戸惑いながらアクアが中に入ると、懐かしさは更に増した。
「おじいちゃんの部屋だ……」
窓の傍に平行に置かれた、木製のベッド。あとは、イスとテーブルが一つずつの、シンプル過ぎる部屋。
男は、ベッドのそばに置いたリュックから、新たに上着を取り出し着替えているところだった。冬らしい、寒さを凌ぐことのできる恰好に。
アクアの目は、カバンのすぐ横の立てかけられた剣に向いていた。
今は、美しく細工の施された鞘に収まった剣。
アクアは、自分の左の掌を見つめた。いっぱいに広げて、剣と交互に見やる。
「同じだ」
男が、笑みを湛えて言った。
手はそのままに、アクアは、男の顔を向けた。
「ちょうどその掌くらいだな、剣の幅は」
窓を背に、ベッドに腰掛けてアクアを見ている。
「戸、閉めて座れば?」
入口近くに立ったままだったアクアは、言われるまま、扉を閉めて、ベッドの近くに置かれた椅子を男の方へ向けて座った。
「名前は?」
男は、両肘を膝につくようにして身を屈め、アクアと視線を合わせていた。
「……アクア」
「アクアか。俺は、ゼン。よろしく」
「え……?」
アクアは、耳を疑った。驚いて目を丸くして、目の前で愛想よく笑う男・ゼンを見つめた。
ゼンは、アクアの反応を見て、豪快に笑った。
「ルーから聞いてるみたいだな。そうなんだよ!あいつの思い出の男と、同じ名前なんだわ、俺」
「……おじいちゃんの名前」
アクアが、小さく呟いた。
「え?」
今度は、ゼンが、聞き返す番だった。
「ゼンって言うのは、おじいちゃんの名前なの!」
少し怒ったように、アクアは、もう一度答えた。
「すっげぇ、偶然!」
ゼンは、アクアとは反対に、顔を輝かせた。
「この店を、前は、お前んとこのじいさんがやってたってのは、昨日、ここのおじさんに聞いたけど。そっか、そうなんだ。どうりで、すんなり泊めてくれたわけだ」
そしてまた、ゼンは豪快に笑う。
「ルーは?今、何してんの?」
「……ギター、弾いてる、と思う」
警戒を解かないまま、上目使いで、軽く睨んだ。
「好きだなぁ、ギター。遠く見つめて、ボーっとして弾いてたよ、あいつ」
ゼンは、穏かに微笑んだ。
そう遠い昔ではない筈なのに、懐かしむように。
「どうしたら、クロのこと諦めてくれるの?」
アクアの言葉に、ゼンは、茫然と目の前の少年を見つめた。
幼い十一歳の少年の瞳は、真剣そのもの。
ゼンは、大きくため息をついて項垂れると、困ったように頭を掻いた。
「少年……」
顔を上げたゼンは、真面目な顔をしていた。
「それは、恋愛感情について使われる台詞だ」
アクアの顔がみるみる赤くなっていく。
ゼンは、もう、ニヤニヤ笑っていた。
「おぉ。意味、わかんのかぁ。結構、大人だなぁ、アクア~」
「違うっ!」
座ったまま、アクアは必死に訴えた。
誤解を解くことと、真意を伝えることに。
「クロが死ぬの待つとか、連れ戻すとか、そういうのを諦めてって話をしてんの!」
「何で?」
両手で体を支え、首を傾げて尋ねるゼンは、真面目な表情をしている。先ほどまでの茶化していたゼンとは、まるで違う、鋭い眼差し。
「何でって……」
アクアは、思わず、身を硬くした。
「お前、何か叶えてもらったろ?」
元々低い、ゼンの声。
少し真剣味を含むだけで、迫力を感じる。
アクアは、僅かに俯いて視線を泳がせた。
「……叶えて、もらった……」
何の罪悪感なのか、答えたアクアの声は、消えそうに小さかった。
「それで、ずっと傍にいて欲しいわけだ」
違う、と、大きく否定できずに、アクアは、手元を見つめた。
すると、ゼンが、小さく笑う声が聞こえた。
顔を上げると、彼は、優しく、そして明るく笑っていた。
「まぁ、俺も、あいつに望みを叶えてもらってんだけどな」
アクアは、拍子抜けして、ポカンとゼンを見ていた。
「そんなわけなんで、俺は、ルーを諦めるわけにいかないんだ。悪ィな」
「……うん」
「お前は?」
「ん?」
「ルーに、何を叶えてもらったんだ?」
「おじいちゃんみたいに、ギターが弾きたかったから……」
ギターを弾くことができれば、クロが元気になるかもしれない。大きくなって、同じような店を開くと言えば、クロは、生き続けてくれるかも知れない。希望を、見つけてくれるかもしれない――――昔、祖父と出会った時のように。
そう、考えていた。
「庶民のお願いなんて、そんなもんだよなぁ」
「そうだよ、そんなもんだよ」
アクアは、不貞腐れ顔で吐き捨てた。
余裕顔で笑うゼンが、悔しくて仕方なかった。
「ただなぁ……」
不安げに、ゼンは、天井を仰いだ。
アクアは、コロコロと表情を変えるゼンを、訝しく見やった。
「ルフェリアを狙って探してる奴が、俺一人じゃなくなってるっていうこともあり得るんだよなぁ」
アクアの顔に、不安の色が広がる。
「アルフォンス様も、必死だったし。俺と出会うまでにも、色々旅してるみたいだし……」
「もう一人、ってこと?」
「それは、最良の場合」
「最悪……」
「何人かなぁ?」
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