ギター−2
ギターが弾ける――――祖父と同じに。
あの曲も、覚えられるかもしれない。クロキが、この家にいてくれる間に。
そしてなにより、クロキが元気になってくれた。
制服から私服に着替え、リビングに戻る。
それから、二人でおやつの準備をした。タスクとアクアが昨夜作ったケーキと、入れたての紅茶を。
ダイニングテーブルに、向かい合って食べる。
クロキは、タスクの作るケーキは、祖父の味によく似ていると言っていた。
口元を、僅かに綻ばせているように、アクアには映った。
紅茶だけを残して、リビングのソファーへ戻り、アクアは、ギターを手に取った。
楽譜が分かる。どこをどうすればいいのか、理解できる。
ただ――――。
「あ~~!指が動かない!」
目的の曲ができるかどうかは、アクア次第だった。
「イラつくな」
「楽譜残っててよかった、この曲……」
アクアは、どうしてもクリアできない箇所を、ジッと睨みつけていた。アクアが弾こうとしているのは、クロキと祖父との思い出の曲。
聴いている時は、綺麗な曲としか思っていなかったが、実際弾くとなると、そんな事を思っている場合ではなかった。
「クロ、よくできたよね……」
「教え方が上手かったからな、あいつは」
不機嫌に眉間に皺を寄せて、楽譜を睨みつけるアクアは、短く唸った後で、同じフレーズに再チャレンジを始めた。
同じように間違えながら、懸命に、ただ、ひたすらに。
どれくらい時間が過ぎたのか、ようやく――――。
「できたぁっ」
アクアが、込み上げる喜びを声にした、ちょうど、その後だった。
――――ジリリリ。
玄関で、呼び鈴が鳴った。
「はーい」
返事をして、アクアは、ギターをソファーに立てかけた。
玄関へ駆けて行き、扉越しに尋ねる。
「どちらさまですか?」
「あれ?その声、図書館でギターの本探してた奴か?」
聞き覚えのある声が返ってきて、アクアは、扉をあけた。
「あっ」
立っていたのは、声から予想した通り、図書館で助けてくれた男だった。
「よぉ」
「どうしたの?どうして、ウチがわかったの?」
取っ手に手をかけたまま、アクアは、不思議そうに男を見上げた。
「お前を訪ねてきたんじゃねぇよ。っていうか、お前、身内が働いてるケーキ屋を紹介したろ?ちゃっかりしてんなぁ」
「あ……」
バツが悪そうに、アクアは、視線を逸らした。
「でも、確かに美味かったよ」
男の言葉に、アクアは、嬉しそうに笑って顔を上げた。
「でしょ?」
「そんでさぁ、たまたま、接客してくれた兄ちゃんと話してたら、ここに、俺の知り合いがいるって話になってさ。会いにきたわけ」
「知り合いって……」
きょとんと見上げていると、男は口角を上げて答えた。
「全身黒っぽい服着てて、肌は白くて目は黒くて、ちょっと小柄で、愛想のない男」
「あぁ!知り合いなの?もしかして、お兄さんも魔法使い?!」
男は、豪快に笑った。
「いいや。魔法なんて特別な力は持ってない」
「そうなんだ」
がっかりした様子を見て、男がまた、笑った。
「中に入る?おやつは食べちゃってないけど、紅茶ならあるよ?」
招き入れ、リビングに案内する。
クロキは、アクアが置いたままにしていた図書館の本を、ペラペラと眺めていた。
「お客さんだよ」
アクアの声に、クロキの動きが止まる。
振り向かなくても誰か分かっているのか、クロキは、少しの間の後で、アクアの方へ顔を向けた。
「久しぶり。元気そうじゃないか、ルー」
明るい、親しみをこめた挨拶のように、アクアには聞こえた。
しかし、クロキが返したのは、不機嫌な声。
「嫌味か?」
「まぁね」
クロキは、自分の名前は忘れたと言っていた。幾つか名前があるとも言っていた。「ルー」というのもその一つだろう。
「ルフェリア。あいつが、前に持っていた名前だよ」
「クロ、ルフェリアなんて名前だったんだ…」
自分のつけたものとのあまりの違いに、軽くショックを受ける。
「クロか。見たまんまだなぁ」
アクアの呟きに、男はまた、豪快に笑った。
「ちがうよ?」
アクアは、慌てて否定した。
「クロは、俺がそう呼んでるだけで、本当は、クロキってつけたんだからね?」
クロキが、静かにソファーから立ち上がった。
「名前なんて、どうでもいいと言っただろう」
「相変わらず、愛想のない奴め」
男の態度が、クロキとの仲の深さを表わしているようで、アクアは少し、寂しくなった。
アクアを置いて、二人の会話は進む。
「生きてたんだな。ちょっと意外だったよ」
「何とか」
男は、どうやら、クロキの力の事を知っているらしい。
「誰かと一緒にいるってのも、意外だな」
「そうか?」
「お前、絶望してたろ?自分の力と、それから、人間に」
「一応訊くが、何か用なのか?」
クロキが、無理矢理に話題を変える。
「まぁ、ちょっとな」
男は、言葉を濁した。
「連れ戻せか?それとも、殺して来いか?」
「ルー……」
呆れ顔で、男はクロキを見た。
「ガキの前だからって、せっかく俺が言わずにいた事を」
「それで?どっちだ?」
クロキはお構いなしだった。
「両方だよ」
男は、ため息と共に、言葉を吐き出した。
「どっちを選んだ?」
「選ぶって……連れ戻すって言って、お前、素直についてくるのかよ?」
クロキが答える前に、アクアが、クロキに正面から抱きついた。
腰にぎゅっと腕を回し、小さな抵抗を示している。
「戻る前に……」
クロキは、抱きついたまま、離れる気配のないアクアを見下ろした。
「戻る前に、たぶん、俺は力尽きる……」
アクアの身体が、ビクっと、少しだけ震えた。
「ん~……」
困ったというように、男は、頭に手をやった。
アクアが、クロキに抱きついたまま振り返ると、男は、悩んだ様子で眉尻を下げて宙を見つめていた。
やろうとしていることと、この男の雰囲気は、あまりに違いすぎて、アクアは、困惑していた。
「俺も、あんまり乗り気じゃないんだよなぁ。でも、俺も一応、腕はたつとはいえ、雇われてる一兵士だし?来るしかなかったんだけどさぁ」
口調があまりに軽くて、惑わされる。
「ただ、ルフェリア……今は、クロキか。周りがお前を知れば、また、言われるぞ?『悪魔』って。お前だけじゃなく、望みを叶えてやった奴も」
「……もう叶える気はない」
「なら、俺は最期を見届けるまでだな。お仕事だから」
「この町に、宿はないぞ?」
「泊めてくれる所なら、見つけてきた。ここの近くの、ジャックって店の二階。紅茶は、また今度にするわ。またな?」
笑顔と鼻歌を残して、男は去っていった。
歌っていたのは、やはり、あの、思い出の曲だった。
リビングが、シンと静かになった。
尋ねてきた男が、あまりに賑やかだったし、クロキはもちろん、アクアも何も言わなかった。
「いい加減、離れろ」
アクアは、離れるどころか、更に腕に力を込めた。
「どうして、クロキが殺されなきゃいけないの?」
僅かに震える声。涙のせいか、怒りのせいか。
「今、隣国の、ある領土を治めてる奴は、俺の力を使って今の地位についた。俺が、他の敵対する勢力の手に落ちるのを恐れてるんだろ?俺は閉じ込められた。だから、逃げたんだ。退屈で仕方なかったからな」
「願いを叶えたのに……」
アクアの声音は、隣国の、見たこともない領主を責めていた。
「そんなもんだ。話しただろう?」
「そうだけど……」
「望みを叶えてくれる都合のいいモノを手に入れて、簡単に放すと思うか?」
「そうだけど!悪魔呼ばわりなんて……」
「人の命を喰って生きてる。似たようなものだ。気にしてない」
アクアは、ようやく腕を放した。
泣いてはいなかった。
ただ、ぼんやりと、宙を見つめていた。
「人間って、つまんないね」
クロキは、アクアをジッと見つめた後、ソファーに立てかけられたギターを見下ろした。
「俺も、そう思う……」
昔、この近くにコーヒー豆の店を出し、しょっちゅうカフェと間違えられていたそこで、カウンター席の一番奥に座り、紫煙を燻らせながら、美しいメロディーを奏でていた男がいた。
「……ただ」
クロキの声に、アクアは、彼を見上げた。
「アクアのじいさん、ゼンは、それを、おもしろいと言ってた」
―― おもしろいねぇ、人間は。興味深い生き物だよな ――
子どものように無邪気に笑う姿が、とても印象的だった。
クロキが、アクアにギターを渡す。
アクアは、再び練習を始めた。
タスクが仕事から帰る頃には、アクアは、曲の半分ほどまで、完璧に弾けるようになっていた。
夕食は、やはり、クロキが作った。
タスクは、夕食の席で、昼間訪ねて来た、あの男の事を話していた。
男は、あのメロディーを口ずさみながら、ショーケースを、子どもみたいに目を輝かせて見ていたらしい。タスクは、たまたま、出来上がったケーキを並べに厨房から店へ出ていて、男に声をかけたようだった。
「訪ねて来ました?その人」
アクアは、むっつりと黙ったまま、何も言わなかった。
それを横目でちらりと見てから、クロキは、短く「あぁ」とだけ答えた。食事を早々と済ませて、珍しく自室へ篭ったアクアを見て、タスクはクロキにそっと尋ねた。
「……もしかして、俺、やっちゃいけないことしてました?」
「故意じゃない。仕方ないことだ」
「あの曲を知ってるから、てっきり、友人なんだと思ったんですけど……」
クロキは、言うべきかどうか思案してから、口を開いた。
「俺は、隣国から逃げてきたんだ。そいつは、俺を追ってきていて、主から、連れ戻すか、殺すかして来いと命じられたらしい」
タスクは、言葉をなくした。
簡単に言ってのけたが、大変なことだ。
「逃げるって……どうして?何をしたんですか?」
「アクアには話したんだが、俺には、相手の望みを叶えてやる力がある」
「望みを……」
信じられない現実を目の前に、タスクは、他に返す言葉が見つからない。
魔術はまだ、この大陸に生きていると聞いた事はあるが、おとぎ話だ、伝説だと、この国で、信じる者は少ない。
タスクも、今の今まで、その一人だった。
途惑うタスクに構わず、クロキは、言葉を続けた。
「引き換えに、生きている時間、つまり、命を少し頂くことになる。俺は、その頂いた命で生きてるんだ。今、隣国のある領土を治める奴は、俺の力でその地位についた。だから、手放したくないんだ。他の者の手に渡るのを恐れている。まぁ、いつものことだ」
「……それで、アクアがあんな顔してたんですね」
納得がいったと、タスクは、ため息をつきながら、微笑んだ。
「人間はつまらない、と言っていた」
「そのことだけで、つまらないと言ったんじゃないと思いますよ?アクアは、両親を目の前で亡くしてるんです。それも、母親が父親を刺すなんて、見たくもないだろう光景を。二人とも、アクアには優しかったんですけど、お互いには、そうでもなかったみたいで。その事件のせいで、どうしても、普通とは違う接し方をされてますからね」
「それで、どこか冷めてるのか……」
「……期待をしてないんです、あの子。他人というものに対して。……信じられない、というのではなく……疑ってしまうみたいです。それでも、少しずつ、変わってきたと思っていたんですけど……」
「……よく似てるな、俺と。俺も、他人に期待なんてしないし、こんな力を持っているせいか、どんな善人でも、疑ってしまう」
タスクは、返す言葉が見つからず、ただ、クロキを見つめていた。
「ゼンが生きてたら、違ったんだろうな」
クロキの脳裏に、カウンターの端で紫煙を燻らせてギターを掻き鳴らす、懐かしい彼の姿が、はっきりと浮んでいた。
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