魔術師−2
家に帰ると、ギターの音が聞こえた。
扉を開けたまま、少し思案してから、アクアは、一応、「ただいま」と中へ声をかけた。思っていたとおり、中から「おかえり」は返ってこなかった。
とぼとぼと、リビングへ向かう。
学校へ着いた時に降り始めた雪は、帰る頃にはやんでいたが、空は、強い灰色をしたままだった。
マフラーとコートを脱ぎながらリビングに入ると、ソファーでクロキが黙々とギターを弾いていた。
「おかえり」
ギターに目を落としたまま、クロキが声をかけた。
感情の篭らない声。それでも、まさか向こうから声をかけてくるとは思わなかった。
一瞬、返事に遅れる。
「……あ、ただいま」
「おかえり、が、そんなに嬉しいのか?」
クロキは、まだ、ギターを弾き続けている。
アクアは、脱いだコートとマフラーを手にしたまま、クロキの右横に座った。
「そんなに嬉しそうな声してた?」
「声じゃない。望んでたから」
「望む?」
尋ねると、クロキはギターの手を止め、アクアの方へ顔を向けた。
「そう。アクアが、今、何よりも強く望んでいた」
クロキの漆黒の瞳が、アクアを捕らえる。
「ただいまって言っただけなのに、何で分かるの?」
「玄関を入ったときから分かっていた。俺は、人が望むものが見えるんだ。見える、というより、分かる、と言うほうがいいかな」
「伝わってくる、って事?」
アクアが、目を丸くして訊いた。
「そう、そして、それがどんな望みであれ、叶える力がある。さっきは、アクアが『おかえり』が返ってくることを望んでいた。力を使う必要がないから、ただ、おかえりを言ったんだ」
「クロ、魔法使いなの?!」
アクアが、身を乗り出す。
「もしかして、不老不死ってやつ?だから、年もわかんないの?」
「近いものはある。でも、死なないわけじゃないし、他に何か魔術が使えるわけじゃない。望みを叶える力があるだけだ」
「何でも?」
「条件がある。一つ、それが、本当に何よりも望むものであること。それから、叶えた望みの分、そいつの命を頂く。俺は、その時に貰った命で生きてるんだ」
アクアは、茫然と口を開けたまま、クロキを見つめていた。
「それじゃ、何の願いも叶えなかったら、クロキは、死んじゃうってこと?」
アクアの言葉は、静かに部屋へ広がった。
しかし、クロキの反応は、あくまでも冷静で簡単なものだった。
「そうなるな。この町に来るまで、暫く願いは叶えてない。この町で力尽きるなら、それでもいい――――そう思ってたところを、お前たちに助けられたんだ」
アクアは、クロキを悲しげに見つめた。
「……死なないでよ?目の前で……」
「確かに、目の前で死なれるのは、イイ気分じゃないな」
アクアを見るクロキは、訝しげに眉を寄せた。
「何をそんなに強く思う?俺とお前は、昨日会ったばかりだ。別れを惜しむほど、親密じゃない」
「何かをなくすと、周りのヒトが変わるんだもん……」
それまで、クロキに向けられていたアクアの目の輝きは、すっかり消えていた。何を見るでもなく、ただ、前方を見つめている。
「なくした何かを取り戻すこともできるぞ?お前が、強く望むなら」
クロキの提案に、アクアは小さく笑った。
「いいよ。たぶん、またなくすだろうし。……そうなったら、余計に嫌だし」
「そうか」
クロキは、また、手元に視線を戻し、メロディーを奏で始めた。
「それも、おじいちゃんに教えてもらったの?」
アクアは、明るく尋ねたが、瞳の輝きは消えたままだった。
クロキは、アクアをチラリと見てから答えた。
「部屋に、楽譜が残ってた」
曲を止め、クロキは、アクアが座っているのとは反対側に置いていたノートを渡した。
それを受け取ったアクアは、再び流れ始めたメロディーを聴きながら、数ページ捲って、首を傾げた。
「どう見たらいいのかわかんない」
「今まで、楽器や音楽は?」
「学校でやってるくらいだよ。クロは、おじいちゃんに教えてもらうまで、なにかやってた?」
「してない」
「俺にも、弾けるかな?」
「俺より、不器用でなければな」
「教えて?」
言った後で、アクアは、ハッと気がついた。
恐る恐る、クロキを見上げる。
「……命取られる?」
「力を使う必要がなければ、命は貰わない。それに、貰うといっても、生きている時間が、少し短くなるだけだ。すぐに死ぬほど、取りはしない」
「よかったぁ」
ため息と共に、アクアは吐き出した。
「ギター弾けたら、死んじゃうのかと思った」
「割に合わないだろ」
クロキは、呆れ顔でアクアを見下ろした。
アクアが、声を立てて笑う。
瞳の輝きが、少しだけ戻った。
「クロ、イイ人なんだね」
「は?」
クロキは、眉を寄せた。
どこからその結論に至るのか、わからない。
思わず、ギターを弾く手が止まった。
「だって、人の願いを叶えてあげるんでしょ?代わりに生きる時間を取られちゃうけど、そのために力を使うなんて、イイ人じゃん」
「思い違いしてる……」
クロキは、不機嫌に顔を歪めた。
「え?何で?」
「例えば、出会った奴が今よりもっと、この町をこの国をより良くしたい。良い世の中にしたいと願ったとする。悪い望みじゃない。だから、俺は、そいつの望みを叶えてやる。しかし、そいつは、より良い世の中とやらを作るために、多くの罪なき命を奪い、多くの犠牲を払い、争いを起こした。俺のしたことは、善か?悪か?」
アクアは、困ったように眉尻を下げた。
「わかんない……」
「俺の力は、そういう力だ」
「でもっ……」
反論しようとするが、アクアには、適切な言葉が見つからなかった。
クロキは言葉を続けた。
「俺が、力を使った後、どういう行動に出るか、どんな人格に変化するか、俺にはわからない。望みを叶えるまでは、大抵、善人だからな」
話し振りは淡々としていたが、瞳はどこか寂しげだった。
「叶えたら……変わっちゃうの?」
「一回望みが叶って、ありがとう、さようなら、なんてことは一度もない。もっともっとって、要求は、エスカレートしていくんだ。……そして、死んでいく……。俺に命を吸い取られて」
「倒れるまで願いを叶えなかったって事は、もう、ずっと……?」
「叶えなくて済むように、なるべく人と接することなく過ごしてきたからな。親しくなれば、情がわく。そうなると、どうしても望みを叶えてしまう。親しくならず、信用せず。そうでもしないと、辛いだけだ」
クロキの言葉をかみ締めていたアクアは、少しの後、柔らかに微笑んだ。
「やっぱり、クロはいい人だよ」
自信たっぷりに、言ってのけた。
「どうしてそういう結論になるんだ……」
「ねぇ、弾き方教えて!」
諦めたように、クロキはため息を吐いた。
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