3:魔術師
意識が浮上して、アクアは、ぼんやりと目を覚ました。
部屋の中は、程よく明るく、雪は降っていないことが分かった。
カーテンを通る日の光を感じて、晴れかもしれないと、ベッドを降りて窓へ駆け寄る。
二重に掛けられたカーテンを、勢いよく開けて―――。
「なんだ」
アクアは、ため息を吐いた。
キレイな青空を覆う、見事に広がった白い雲。
しかし、昨日のような雪を降らせる重々しい雲ではないらしく、光を十分に通していた。
「ま、いっか。雪も、これなら解けないし」
朝食の匂いが、部屋の中にまで届いている。
アクアは、急いで制服に着替えた。
昨日、生徒指導は終わったから、指定のシャツは着ない。ネクタイも締めず、寒いから、赤というよりは臙脂に近いニットを着て、上着はまだ、ハンガーに掛けたまま。
扉を開けて、リビングに入ると、アクアはそこで足を止めた。
「おはよう、アクア。顔を洗って来いよ」
いつものように笑みを浮かべて、タスクが朝の挨拶をしてくれた。
しかし、アクアの目に映る光景は、いつもと違った。
「うん」
タスクは、ダイニングテーブルの、リビングとキッチンを横に見る席について、のんびり紅茶を飲んでいる。
彼の代わりにキッチンに立っているのは、クロキだった。
「クロが、朝ごはん作ってる……」
呟くと、タスクが困ったように笑った。
「俺が起きたら、もう作り始めてて……」
両手に、卵料理とサラダの乗ったプレートを持って、クロキが振り返った。
「泊めてもらった上に、ギターまでもらったから。せめて、朝ごはんくらいは」
芳ばしく焼けたベーコンが一緒に添えられていて、空っぽのお腹を刺激する。テーブルには、フレンチトーストにメイプルシロップ。
「顔洗ってくるから、俺が戻るまで食べないでね!」
アクアは、急いで顔を洗った。
晴れてはないけど、今日の空は明るくて、雪で遊ぶにはちょうどいい。朝ごはんは、フレンチトーストで、大好きなメイプルシロップがたっぷりかけられる。学校に行くのは、あんまり気が進まないけど、そこは目を瞑ろう。
今日のスタートは、まずまず。
アクアが席に着いてから、約束どおりに朝食が始まった。
「クロ、今日はどうするの?行くとことか、会う人とかある?」
「別に……。適当に、この町を見てまわろうと思ってる」
「どれくらいいてくれるの?」
「決めてない。たぶん、二、三日だ」
クロキの答えを聞いて、タスクは食事の手を止めた。
「ウチに泊まっていきませんか?この通りの田舎ですから、宿もないですし」
クロキも、食事の手を止めていた。
「相変わらず宿がないのか、この町は……」
一体、いつ頃の事を言っているのか、呆れを含む彼の口調に、タスクは、申し訳なさげに目を逸らした。
「クロ、この家にいるの?!」
弾んだような声で、アクアは訊いた。
少し考えるような仕草の後、クロキは、食事を再開した。
「しばらくは。好意に甘えようと思う」
「やった!ギター教えて、ギター!」
クロキは、何も答えなかった。
アクアは、それでも上機嫌だった。
朝食の後、仕事のあるタスクが先に家を出、その後、アクアは、町を見るというクロキと一緒に家を出た。
「クロ、ずっと一人で旅をしてるの?」
「まぁな」
「……いいなぁ」
「一人旅が?たぶん、アクアが考えるよりずっと孤独だぞ?」
「変わんないもん、今とあんまり」
クロキは、隣を歩くアクアを見下ろした。
アクアは、時折、表情を無くす。
「友達、いないのか?」
「いるよ。いるけど、よくわかんないんだもん。一緒にいて楽しいのか、楽しまなきゃって、がんばってるのか」
「そうか」
「めんどくさい時もあるしさ……。俺は、父さんも母さんもいなくて、叔父さんと暮してるから、気を遣われたり、珍しがられたり、からかわれたり……あと、まぁ、いろいろ」
「その年で、人付き合いに疲れてるのか……」
十一歳のわりに、時折、妙に大人びていることがある。クロキには、理由は分からないが、どこか妙に冷めている。それを気にする自分に、クロキは、少し途惑っていた。これまで、他人に対してそんなことがあっただろうか、と。
「でも、なんでかな?クロとは疲れないよ」
それまでと違う、明るいアクアの声。
アクアは、笑顔でクロキを見上げた。
「……そうか」
「クロは、おじいちゃんに会いに来たの?」
「それが目的というわけじゃない。会えるなら、会おうと思ってはいたけどな。期待はしてなかった」
アクアは、興味津々にクロキを見つめていた。
「クロの会ったおじいちゃんって、どんなだった?タバコ吸ってた?」
「タバコは吸っていた。でも、おじいちゃん、ではなかったな」
「クロ、子どものころのタスクには会ってないの?」
「まだ、生まれてないからな。タスクの母親と、出会ってすらない」
「え~?クロ、何才なんだよぉ?」
やっぱり訳が分からなくて、アクアは、眉間に皺を寄せた。
「昨日言っただろう。途中からカウントしてない。考えるだけ無駄だ」
学校に近づくにつれて、増えていくアクアと同じ服を着た子どもたち。
アクアに声をかけていく者も、そうでない者も、一様に、隣を歩くクロキをちらりと見ていく。
「一緒に歩かない方が良かったか?」
視線に気付いたクロキが尋ねると、アクアは、何でもないように微笑んでいた。
「慣れてるから平気」
やがて、鉄製の柵に囲まれた敷地と、歴史あるであろう荘厳な建物が見えてきた。
「アクア……」
躊躇いを含むクロキの声に、アクアは不思議そうに彼を見上げた。
「名前……。何で、クロキなんだ?」
アクアは、小さく笑って答えた。
「頭から靴まで、全身真っ黒だから」
クロキの納得した顔を見て、アクアは、また笑った。
クロキとは、門の前で別れた。家の鍵を置いた場所を忘れないよう、念押ししてから。
玄関へと歩くアクアの目に映る、ひらひらと舞う雪。
見上げて、アクアは、一つため息をついた。
この町で暮して、七年。
アクアには、両親がいない。
父は、アクアにとても優しく、明るくて面白くて、よく遊んでくれた。
しかし、父は、母に刺されて死んでしまった。
母は、とてもあたたかで、やはり、アクアに優しかった。
しかし、母は、自らの手で死を選んだ。
その時、アクアは、まだ四才だった。
すべて、アクアの目の前で、あっという間に起きた出来事だった。
父のことも母のことも、アクアは大好きなのに。
何が何だか、訳がわからなかった。
二人に、裏切られたような気持ちだけが、残っていた―――大好きだという気持ちと綯い交ぜになって。
それから、隣りの町の父の実家に住んでいたタスクが、アクアを引き取ってくれた。
もちろん、この町では、よくしてくれる人のほうが、断然多かった。
しかし、隣の町で起きた事件だったにも関わらず、決して大きくはないこの田舎町にまで、両親のことが知れ渡るのに、大した時間もかからなかった。
アクアは、越してきてからも、暫くは、好奇な視線に晒された。
変わらない穏かさが続く町に、そんな事件は、極めて珍しいのだ。
そして、今回の旅人の滞在も、長閑な町にとっては、それと同じだった。
好奇な目に、晒されるかもしれない。
「慣れてるから、平気だもん」
言い聞かせるような呟きは、白い大地に吸い込まれていった。
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