スノウ・コード
1:少年
望みを叶えてやろう。
その命と引き換えに
それでも 望むか ?
まだ、この大陸には魔術が残っていた。伝説でしか残っていない国、まだ、探せば見つかる国。土地によって差はあったが、魔術を扱うことができる者というのは、希少種であり、表向きは、保護の対象とされていた。
ここは国も町も、魔術とは縁遠い場所だった。
山々に囲まれた、小さな町。町の東側を川が流れ、下流へ向かって町は広がり、上流に向かってしぼんでいく、風船の形をした町だった。背の高い建物は数えるほどで、同じほどの背丈の、オレンジ色をした三角屋根が、悠々と並んでいる。
しかし、そのオレンジ色は今、真っ白に染められていた。町に巡らされた石畳も、芝生の庭も、公園も、何もかもが。
昨晩降り出した雪は止むことも知らず、降り続いている。今年一番の積雪らしい。
除雪された道に新しく降り積もった雪を踏みしめながら、少年が一人、傘もささずに歩いていた。
名前はアクア。十一歳の少年。
少々伸びてしまった栗色のショートの髪と、琥珀の瞳。
転ばないように、ずっと雪の道を見つめている。真っ白な町によく映える赤のニットと、紺色のコート、エンブレムがついた黒のマフラー。
全部、学校の制服。
ニットの下のクリーム色のシャツも、学校指定のものだ。今は、ラフに緩めて結んだ黒のネクタイも、マフラーと同じエンブレムがついている。
本当は、ネクタイをするのも、指定のマフラーもシャツも好きじゃない。普段は、マフラーは全く違う市販のものを使っているし、ネクタイなんて締めて行かないし、学校指定のシャツを着ることも珍しい。
しかし、今日は、生徒指導でチェックが入る日だったし、起きてみたら雪が積もっていて、朝からテンションが上がったから特別だった。
空は、白よりもずっと濁った灰色で、積もった雪で歩きにくいことこの上ない。
しかし、彼の足取りは軽かった。
顔は白く冷たくて、頬だけが赤く、吐く息は白く、儚く消える。
だけど、降り積もった雪が、口元を緩ませ、琥珀色の瞳は楽しげに輝いていた。
アクアの家は、この商店街を抜けた先にある。
もう、10分もかからない。
アクアの口元が緩むには、もう一つ理由があった。
今日は、「ただいま」と帰ったら、「おかえり」と声が返ってくる。寒く冷えた部屋ではなく、充分に温まった明るい部屋がある。
アクアの紺色のコートの裾が、冷たい空気を含ませて、ふわりと舞った。
「あーちゃん!」
前方からの声に、足下に落としていた視線を上げて、足を止めた。
一つ年下の少女・カナが、同じコートを着、同じマフラーを巻いて、必死に手を振っている。
アクアの顔から、スッと輝きが消えた。
こちらへ駆けて来るカナの傍らには、彼女の母親がいる。学校帰りに買い物をしているらしく、母親の腕に、買い物袋が抱えられていた。
「あーちゃん、今日遊べる?」
頭一つ分小さいカナが、アクアを正面から見上げた。
雪が降って嬉しいのは、カナも同じらしい。外で遊びたいと、顔に出ている。
「今日はタスクがいるから、ダメ」
「え~」
ふて腐れるカナの横で、彼女の母親が、安堵の笑みを浮かべていた。少し勝ち誇ったようにも見える。
それを見て、アクアは気付かれないように、そっと、小さなため息をついた。おそらく、自分が「いいよ」と言ったら、外へ遊びに出てもいいと言われていたのだろう。
「ばいばい、カナ」
笑顔を見せて手を振って、母親にお辞儀をして、アクアはまた、雪の道に視線を落として歩き出した。力なく、ゆっくりと。
カナに、別れ際、見せた笑顔は、二人に背を向けた時には早くも消えていた。面白くない、という色が、無表情の中に覗いている。
真っ白になった町のお陰で上がっていたテンションは、すっかり下がってしまった。素敵に見えていた雪景色が、重く映る。
アクアの表情を曇らせていたのは、カナ自身ではなく、カナとカナの母。
アクアは、家族を亡くしている。
普段、それをなんとも思ってない筈で、タスクという、自分を育ててくれている人もいるから、別に他人と変わらない、そう思っている筈だった。
「せっかくの雪なのに」
ポツリと呟いた独りごとが、雪に吸い込まれていく。
他人の家族の、何ということのない姿に思い知らされる―――自分には、「それ」がない。自覚して、多少なりとも傷ついている自分も、アクアは好きじゃなかった。
しゃがみ込み、足元の雪を両手でかき集めて雪玉を作る。アクアは、それを、胸の内のモヤモヤを消し去るように、思い切り遠くへと投げた。
そして、大きく息を吐く。
「よしっ。かぁえろ」
家まではもう少し。今日は、せっかく「おかえり」を言ってくれる人が待っているのだから。それから、作りたてのおやつも。
アクアの足取りは、再び軽くなった。
商店街から続く住宅の密集区。その中に、アクアの家もある。
周りと同じオレンジの屋根、クリーム色の外壁、周囲とは違う、紺色の玄関扉。通りに面していて、扉の上には、大きく張り出した軒がある。どの家にも、似たような長さの軒があり、途切れ途切れに続いていた。
アクアは、家を目の前にして、再び足を止めた。
訝しげに眉を寄せるアクアの視線の先に、二十代前半か、十代後半くらいの男が一人。アクアの家の軒下で、どうやら、一休みをしているらしい。黒く短い髪に、黒っぽい服装。両手は上着のポケットの中だ。肌は、透き通るような白さ。瞳の色は、この位置からでは確認できない。
「(邪魔だなぁ)」
男がいるのは、玄関扉のすぐ隣。
自分の家はすぐそこで、早く入りたいのに、入りにくいことこの上ない。
いつまでも立ち尽しているわけにもいかないので、アクアは、口を一文字に結んで、男を気にしながらも、視線は下にやり足を進めた。
傍までいくと、それまで、ぼんやりと斜め下を見つめていた男が、アクアのほうを振り向いた。
視界に入った男の体の動きに、アクアも、彼のほうへと視線を上げる。
黒い瞳が、アクアを捕えていた。
アクアは、立ち止まり、体を硬くして身構えた。
相手は何も言わない。
「何か、ウチに用ですか?」
警戒心丸出しの声にも、男は、表情一つ変えず、歩き出した。上着のポケットに手を入れたまま、何も言わずにアクアの方へ歩いてきたかと思うと、すぐ横を、静かに通り過ぎていった。
アクアは、自分が歩いてきた方へと遠ざかっていく男を振り返り、後ろ姿を呆然と見つめた。
「何あれ……?」
独りごちて、玄関へ向かう。
男が先ほどまで立っていた軒先で、雪を払い、木の扉を開けた。
「ただいまぁ」
中へ響いた声が、今のアクアの不快を良く表わしていた。
途中までは、もっと楽しかった筈なのに、と、アクアは軽く口を尖らせた。
「おかえりぃ」
キッチンダイニングの方から聞こえてきた声。
アクアは、楽しみにしていたこと思い出して、パッと顔を輝かせた。
コートもマフラーもつけたままで、キッチンへ走る。甘い甘い匂いのする、キッチンへ。
入って左奥の、扉のない部屋が、リビングだった。
左手側にキッチンダイニングが広がる。そこで、二十歳の男がケーキを作っていた。
「タスク、ただいまっ!」
嬉しそうに頬を緩めて、アクアは、キッチンに立つ同居人・タスクに抱きついた。
「おっと……」
タスクは、腕に抱えていたクリームの入ったボールを、庇うように上げた。
アクアと同じ琥珀の瞳と、同色のツンツン立った短い髪。無駄な肉のない、引き締まった体をし、そこそこ背丈もある。
タスクは、アクアにとって叔父に当たる。
「あ、ちょっ、アクア!びしょ濡れ……?傘は?持っていったろ?」
「あるよ、ここ」
アクアは、持っていたカバンをタスクに見せるように顔の高さに掲げた。
カバンの隅から、折りたたみ傘の持ち手が覗いていた。
「あるなら差して帰って来いよ。それから、とりあえず離れろ」
「やだ。ねぇ、今日のおやつ何ぃ?」
「ショートケーキ。食べたかったら、着替えて来いよ?」
「うん」
素直に頷いて、タスクから離れる。
アクアは、自室へ向かいながら、マフラーを外した。
アクアの部屋は、リビングのすぐ隣。
リビングから直接通じる部屋の扉を開ける前に、アクアはタスクを振り返った。
「タスク、今日お客さんあったの?」
「ねぇよ。何?」
「玄関のとこに、人がいたよ?」
「どんな?」
「えっとねぇ……」
男の姿を説明しようとして、アクアは、眉を潜めた。
「あれ?」
全く思い出せない。
つい数分前に見かけた人なのに、欠片も覚えてなかった。
「忘れたみたい……。でも、いたんだよ、ホントに」
「なんだ、そりゃ」
タスクは、わけがわからないと、アクアを見つめた。
「あれ~?」
呟きながら、アクアは自室へ入った。
カバンをベッドへ放り投げて、扉の右にあるラックに、上着をかける。制服を着替えながら、アクアは、もう一度、男の事を思い出してみた。
「玄関のことにいて、邪魔だなぁ、って思ったのに」
やはり、思い出せることはなかった。
リビングに戻ると、タスクの作ったケーキが、テーブルの上で甘い匂いを漂わせていた。
「紅茶はミルク?」
タスクが、ポットとカップを運びながら訊いた。
「うん。手を洗ってくる」
窓の外は、まだ、雪が降り続いている。
キッチンで手を洗うアクアは、さっと済ませてタオルを取った。水が凍るように冷たかった。
「アクア、早過ぎ。ちゃんと洗わなきゃダメだろ?」
「冷たいんだもん」
すぐ後ろにいたタスクを見上げて、誤魔化すように笑う。
「もう一回洗ってから」
「はーい」
叱られても、ニコニコと笑っているアクア。
タスクは、自分に言われた通りに手を洗い直してからテーブルにつくアクアを、目で追った。
「(甘えてる?)」
原因なら、確信はないが、すぐに思いつく。
「アクア、遊びに出る前に、課題を少しは片してけよ?」
遠回りに答えを探る。
「遊びに行かないよ。課題、リビングでしてもいい?」
アクアの意識は、甘い甘いケーキに向いている。
「いいけど……。朝、雪が積もってるって騒いでたから、遊びに行くんだと思ってた」
「ん~。カナと遊ぼうかと思ったけど、たまには、タスクと一緒にのんびりしようかなぁって」
十一歳らしからぬ口調に、タスクの口元に笑みがこぼれる。
「たまにはって、お前……」
「あ、でも、裏庭で雪だるま作ろう?」
「カナちゃんと作らないのか?」
「今日は、カナはいいの」
怒ったような、アクアの口調。
「ケンカしたのか?」
やっぱりという顔をアクアに見られる前に、笑顔で塗りつぶす。
「してないよぉ。帰る途中、ちょっと話しただけだし」
「学校から一緒?まさか、二人で傘も差さないで帰ってきたのか?」
ケンカではなく、アクアが甘えてくる理由。
「カナと一緒じゃないもん。帰るときに会っただけ。おばさんと買い物してたみたい」
「なんだ」
理由に行き着いて、タスクは、小さく笑った。
「カナちゃんまで、びしょ濡れかと思ったよ」
アクアにとって、「家族」は苦手な言葉だった。
アクアには、それがない。他人にとっての当たり前が、アクアにはない。特に、仲のよい親子連れをアクアは、いつも、寂しげに見つめていた。
母親と一緒のカナを見て、アクアのテンションは、一気に下がったのだろう。
甘えている原因は、おそらくそれだ。
「タスク、課題終わったら、一緒に雪だるま作ろう?ね?」
アクアは、カップを両手で包み、冷たくなった手を温めていた。
「買い物も行きたいから、課題、買い物、雪だるまな」
「うん」
弾むような声で、アクアが答えた。
タスクは、窓の外へ目をやった。
まだ、降り続く雪。寒い中、外へ出るなんて腰が引ける。
しかし、アクアの気が晴れるなら、自分も嬉しい。
「ごちそーさまぁ」
紅茶を飲み干して、アクアは、急いで食器を片付けると、課題を取りに、自室へと駆けていった。
時計を見れば、4時前。
「(雪だるまの前に、夕食になりそうだな)」
さっそくリビングで課題を始めたアクアへ目をやって、タスクは、少し困ったように笑った。
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