レクイエム
店は、異様な空気に包まれていた。外は、もうすっかり暗くなっている。店内には、男ばかりが5人。
騒ぎの後、すぐに閉めた店内で、店主は、いつもの場所でギターを弾いていて、テンとリタは、カウンター裏でコーヒーを準備中。その様子を、カウンター席からシディアと、そして例の男が静かに眺めていた。
店主は、あれからずっと、口を利かない。黙ったまま、延々とギターを弾いている。
店の中に響くのは、ギターの音とコーヒーを淹れる音。
誰も、口を利かなかった。
テンが喋らないのは、いつものことだ。
しかし、リタもシディアもこうして大人しくしているのは珍しい。
テンは、店の奥にいる店主にへチラリと視線をやってから、こっそりため息をついた。5人分のコーヒーを淹れて、カップ2つを手に、店主のいるテーブルへ向かう。リタもシディアも、普段見ない機嫌の悪い店主の姿に、どうしたらいいのか戸惑っているのだ。
今、彼に声をかけられるのは、自分しかいない。テンは、店主の前に、黙ってカップを置いた。そして、自分も同じテーブルに席を取る。
店主が、ギターを弾くのをやめてコーヒーに手をつけたのを見た後で、テンは、自分もコーヒーを口にする。
「いつまで拗ねてんだよ」
いい加減にしろという口調で、テンが説明を求める。
「勝手にあの人の保護までなかったことにしたのは、悪かったって」
何を言っても、店主は答えない。
「あんたのことだから、今度のこと、詫びるより他の手を使うだろ?何だよ、何かしたいとか思ってたくせに」
店主は、それでもへそを曲げたままだ。
「ムカつくのはわかるけど、話をしろよ」
騒ぎの原因は、店主とあの男だ。広場で起きたことは、テンの術で何とかなったとはいえ、これでは、なんの解決にもならない。
「俺に話すことはない」
「じゃあ、俺から質問」
仕方なしに、テンが尋ねる。
「昔一緒だった魔術師って?追われてたって、何したの?」
店主は、少しの間を置いて、渋々口を開いた。
「小さいときに友だちになったっていうか……知り合った男で、俺のじいさんと友だちにだったやつだ。特別な力を持っていた。今はもう……いない」
余程話したくないのか、最後は、吐き捨てるように締めくくった。
しかし、それで終わらせるわけにはいかない。
「ちゃんと話せ。わかんねーよ、それじゃ」
「ある国じゃ、物語にもなってるらしい」
その店主の説明に、シディアが声を上げた。
「俺、その話読んだことあるかも!あれでしょ?願いを叶える代わりに、命をもらうっていうやつ。その人は、永遠の時を生きてるって。ただのお伽噺かとおもってた」
「正確には、代償は生きていられる時間だ。命のすべてを取られる訳じゃない。永い時を孤独に生きていた男の話さ。普通に人生を送ることを許されなかった、男の話。あの人はただ、普通に生きたかっただけ。人と心を通わせて、泣いたり笑ったりして過ごしたかっただけなんだ」
「初めて聞いた……」
驚いた様子で、テンは、誰ともなしに呟いた。
そして、今度は、のんびりコーヒーを味わっている男に尋ねた。
「あんたは?ホントのところ、何で店長を捜してたの?その魔術師じゃなくさ」
男の語ったことからすると、魔術師を追って町に来た誰かに、彼は捕まったことになる。それなら、店主ではなく、魔術師の方に怒りは向けられるのではないか。
男は、クルリと椅子を回して、店主とテンの方へと体を向けた。 元々、胡散臭い男だったが、騒ぎの後から穏やかな笑みがなくなったせいで、余計に腹の底が知れなくなったように見える。
男は、首を傾げてじっと店主を見ていた。
「最初は、あの時一緒にいた魔術師を捜したんだ。僕は、魔術師かどうかを判別できるから、それを利用して。僕だけが捕まるなんて、納得できなかったしね。でも、噂は聞くのに、行方は知れない。お陰さまで、いろんな町や国を回ったよ。そのうち、男のことは知らないけど、僕が弾く曲なら知ってるって人が出てきてね」
「店長が弾く、あの曲……」
「突然、生まれ育った家が廃墟になる。突然、たった一人にされる。自分を知る人がいなくなる。それが『保護される』ってことなんだ。理不尽だと思わない?頼んでもいないのに、『保護してくれる』なんて。僕は、そこで生きてただけなんだよ?」
男が、店主と同じ言葉を吐く。
生きてただけなのにーーーー。
生きてるだけなのにーーーー。
テンは、ため息をつきながら、イスの背にゆっくりと凭れた。
「あんたのおかげで、1つ学習したよ。自分のことがバレたらどうなるか……身にしみた……」
カップに目を落とすと、見慣れたコーヒーの色。息をつくテンは、微かに震えていた。
「あれは……キツイよな……」
カフェ・クルールの変わり果てた姿が、頭から離れない。お使いに来た幼い少年、レンも、もういない。
テンに魔術の力があると知られたら、周りから好奇の視線に晒されるーーーーそんな、生易しいものじゃない。そんな視線すら、向けられないのだ。そこに居たことも、この店も、世間から忘れ去られてしまう。なかったことになってしまう。店主も、下手をすると、リタをも巻き込むことになる。
それが、テンの持つモノ。
店の中に、重苦しい空気が満ちていく。
それを破ったのは、ジッポに火がつく音だった。
「誤魔化し続けてやるさ」
店主の軽い声が聞こえて、テンは顔を上げた。
タバコに火をつけて、紫煙を燻らせる店主の顔に、先程までの不機嫌は見られない。いつもの、飄々とした店主だった。
「そのための、知識と経験だ。お前を拾った時から、覚悟はしてるんだ。心配すんな」
「覚悟って……!」
慌てるテンに、店主は、ニヤリと笑った。
「ばーか。守る覚悟だよ。店がなくなるのも困るが、お前らがいなくなるのも、大いに困る。この生活を、守ってみせるさ」
挑戦的な声音と強気な眼差しは、まっすぐに男を捕らえていた。
テンは、ただ、その姿を茫然と見つめていた。
その時、カウンターにいたシディアが、盛大にため息をついた。
体の力が一気に抜けたようなため息に、隣にいた男が、苦笑いを浮かべる。
「レオンさんから話聞いてたけど、何か、マジですげぇことなんだなー……」
男は、シディアを振り返り、カウンターを背にする形で脱力している彼の肩を優しく叩いた。
「ごめんねェ?変なことに巻き込んじゃって」
笑いを含む声に、シディアは、とりあえず顔に笑みを浮かべた。
「いいえ~……」
男が、ニコニコしながら、シディアの頭を撫でている。
それを、カウンター越しに見ていたリタが、思い出したように抗議の声をあげた。
「あー!そうだ、レオンさん、シディアをストッパーにしたでしょ?!」
男は、楽しげに笑っていた。
「ハハハじゃないって!いくらコイツが騙されやすいからって、何するんですか!止めてほしいなら、素直に言えばいいでしょ。シディアまで怪我するとこですよ!」
シディアが呼ばれたのは、盾としてではない。彼ならば止めてくれるだろうという、男の希望、心の叫び。
「やだなぁ。怪我させない自信があったから、お願いしたんじゃない」
聞いていたシディアが、心外だと不満げな顔をしている。
「リタぁ~?何か今、サラッと酷いこと言わなかった?」
「事実だろぉ?」
「あのなぁ!俺は止めないって宣言してんだから、ストッパーも何もないだろ」
「お前が止めるかどうかは、どうでもいいの!止めてほしいかどうかの問題なんだよ。そもそもお前!あんだけ魔術の本を持ってて、何を素直に召喚の契約とかしてんの?信じらんねぇ」
「戦いじゃ使わないって言われたし、痛い目にも遭わないからって!」
「そーいうのを、騙されやすいって言うんだろ!」
言い合いを始めた2人を眺め、男は、楽しげに笑っている。
店主もテンも、その光景を、呆れたように見つめた。
ふと、店主が、笑みをこぼす。
ここにいる誰もが、傷を負っているーーーーそのことへの慰めのように、彼はギターを奏で始めた。
「店長……この曲」
テンの声に、店主は、ギターを弾く手を止めないで応える。
「これは、俺のじいさんが作った……希望の曲だ」
「希望?」
「悲しみの淵にいても、この曲の思い出が、歩き出す力をくれた。昔一緒だった魔術師も、俺も……」
「悲しいの?」
「……お前と同じだ」
失ったものに。
持ち合わせてしまったものに。
持ち得なかったものに。
羨ましいーーーーそれが、疎ましいに、変わらぬように。
希望という名の、レクイエムを。
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