護るー2

 テンの怒りをたっぷりと含んだ声が、とても低く辺りへ響く。


「へぇ、そういうことか……」


 片方のつま先で、地を叩く。


「店長の目の前で、俺を捕まえようってワケだ……」


 テンは、男との距離を一気に詰めた。


 男の手が動き、口が、何か言葉を発する形に動いた。テンが、それに気づいた時には、男との間合いは、ほとんどなかった。もう、足も腕も届く距離だ。


 男が、ニヤリと笑う。


 放たれた術は、店主を傷つけたのと同じもの。テンは、身を低くしてそれを避ける。男への視線は外さずに。


 思惑が外れたのか、男の表情が、不機嫌に歪む。


 テンが、その体勢から男を蹴り上げると、男は慌てて後ろへ退いた。


 男の放った攻撃は、テンが、店主の周りに仕掛けていった術に阻まれ、空へと消えていく。


「上手いなぁ、テン君」


 男は、楽しそうに笑っている。


 テンは動きを止めず、踏み出して回し蹴りを放った。


 店主の時とは違い、男は、それを受け止めようとしない。テンの足には、術が仕掛けられていると、すぐに気づいたからだ。避けなければ、ダメージが大きい。テンの頭上を基盤にクルリと回転して、男は、彼の背後に、回った。


 テンが素早く振り返り、拳を突き出しーーーー。


「な、に……?」


 目を丸くして、当たる寸前で動きを止めた。


 騒ぎを傍観している人々も、思わず息を呑み、広場は一瞬、静かになった。男とテンの間を、遮るようにして立つ、見知った顔。現れた方も、訳が分からずに、辺りを見回していた。


「……シ、ディア……?」


 拳を突き出したまま、テンは名前を呼んだ。戸惑いが、そのまま声に表れていた。


 シディアが、ポカンとした顔で、抱えていた数冊の本を取り落とす。分厚い本が、踏み出していた足に直撃し、テンは、抗議の声を上げた。


「いってぇ~!何すんだよ、お前っ!」


「え?何?何で?」


 静かにざわめきたつ広場に、男の笑い声が響いた。


 テンもシディアも、そちらへ顔を向ける。男は、楽しくて仕方ないとでも言うように、腹を抱えて笑っていた。


 暫くの後、男は、目尻の涙を拭い、2人に笑顔を向けた。


 シディアは、まだ戸惑ったままで男を見つめている。


「やっぱりいいねェ、シディア君は」


「……レオンさん」


 呼ぶでもなく名前を口にして、シディアは、思い出したように、足元に散らばる本を拾い始める。


「ねェ、テン君。召喚、って知ってる?」


「術者と契約をしたものが、特定の印、または、言葉によって呼び出される……って、まさか……」


「そう、シディア君を呼び出したんだよ。彼を、殴ったり蹴ったりできる?その技で」


 テンは、まだ少し、訳がわからないでいた。召喚なら、特定の印がシディアに刻まれているなりするはずだ。


 しかし、そんな物を知らない間に付けられるなんて間抜けなことを、さすがの彼でも、しているはずがないし、説明を受けた後のことなら、店主と自分とを裏切る行為だ。裏切りでなくとも、危険だとわかるはず。


 テンは、チラリと、しゃがみこんで本を拾うシディアに、視線をやった。そして、訝しげに眉を寄せて、改めて再度、背を向けるシディアを見下ろす。露になった項に浮かぶ、黒い円形の模様。


「シディア……お前なぁ……」


 思わず、頭を抱えたくなった。いつの間に契約したのか、首筋に浮かぶそれは、召喚契約の印。


 何も知らないだろうシディアが、本の埃を払って立ち上がる。


 男は、これから、シディアを盾にするつもりだろう。


 しかし、速い動きなら、ついていけないはずだ。


 テンは、拳を握りしめた。


「やめようよ、こんなこと……」


 噴水の方を向いて、汚れを払っていたシディアが、落ち着いた口調で言った。


 ざわつく広場の中なのに、彼の声は、よく通った。


 目を丸くしたのは、テンだけではなかった。視線の先で、男も同じ様に目を丸くしている。先程までの、身構えた空気はない。


「レオンさん……やめない?」


「止めないんじゃなかったの?」


 男の顔に、笑みはない。苛ついている風にも見えない。ただ、静かにそこに立っている。表情が、消えていた。


「うん、そのつもりだったけど……俺がここに呼ばれたってことは、『普通』の俺でも、止められるんじゃないかって思って」


 シディアが、男に向き直る。


 声音から、彼の後ろにいるテンにも、シディアが笑みを浮かべているとわかった。


「……それで?」


 男が、先を促す。


「それに……」


 シディアの声が、真剣みを帯びる。


「レオンさん、それ、楽しいの?」


「楽しいよ。何?正義でも語るつもり?」


「そうじゃなくて!……こいつみたいに、不機嫌そうな顔してても、心じゃ笑ってるっていうのなら、思う存分やれば?って思うんだろうけど、でも、レオンさんは逆だろ?楽しそうな顔してても、心じゃ泣いてる」


 男が、視線を落とす。


「あの時、この男が町に来なきゃ、僕は生まれた町を捨てずに済んだ。この男が魔術師なんて連れてなければ、僕のことが見つかることもなかった。その魔術師が、追われてさえなければ、僕が、家族をなくすこともなかった。……僕に……こんな力さえ……なかったら……」


 昔を思い返すように、男は石畳の地面を見つめている。怒りと悲しみとを持て余した、彼の記憶。


 広場は、シンと静まり返っていた。

 テンもリタも、何も言えなかった。


「だからさ、やっぱり、やめない?レオンさん」


 シディアが、遠慮なしに男へ歩み寄る。


 近づく足音に、男は顔を上げた。


 テンの立つ場所からも、彼の表情は見て取れた。確かに、シディアの言うとおり、泣きそうな顔をしている。


 男が、シディアを見上げた。シディアの顔には、微笑みが浮かんでいる。


「その気持ちをわかってる人が、こんなことするなんて……」

「……間違ってる?」


 表情もなく見上げる男に、シディアは、黙って首を横に振った。


「納得できない」


 シディアのセリフに、男は小さく笑った。


「そっか『納得できない』か……」


 テンは、茫然と、2人を見つめた。

「あ!」


 思い出したように、シディアが、眉を釣り上げて振り返った。


「それから、テン!お前もおまえだぞ!レオンさんに煽られてる場合かよ、先にすることあるだろ!」


「先?」


 眉を寄せて聞き返すと、シディアは、店の前を指差した。


「店長とリタ!」


「あっ……」


 小さく声を上げ、テンは、店主に駆け寄った。


「生きてるか?店長!」


 力なく薄目を開けた店主が、傍らに両膝をつくテンを見て、口の端を上げた。

 しかし、すぐに、苦痛に顔を歪める。

 テンは、店主の状態を見て、言葉をなくした。それを見て、リタが、慌てたように立ち上がる。

「医者呼んでくる」


 直後、苦しげに呻き声を上げたリタを見て、テンは、自分を落ち着けるように大きく息を吐いた。顔は上げずに、落ち着いた声で告げる。


「お前も大人しくしてろ、リタ」

「だけどっ……」

「医者が来るのを待ってたら、手遅れだ……」


 傷は、腹部を中心に全身に広がっている。出血も、尋常じゃない。テンは、左手を、赤を通り越して黒く染まった腹部へと翳した。


「よせ……何、する気だ……」


 苦しげな、消え入りそうな、店主の声。テンは、自分が今、ひどく情けない顔をしている気がして、視線を向けられなかった。


「何って、治すに決まってんだろ。大人しく治されてろ、この死に損ない」

「……よせ……」

「店長命令って言っても、聞かないからな?」

 掌に意識を集中させて、言葉をのせようと息を吸い込む。

「テン君……」

 名前を呼ばれるのと共に、肩に手を置かれる。振り向けば、男が、テンの横に膝をつくところだった。申し訳なさげに笑って、テンを見ている。

「彼の言うとおりだよ。君じゃまずい。……僕がやろう……」

 目を見張るテンを他所に、男は、店主の体に手を翳した。

「死なれちゃ、意地悪もできないし」

 男の掌から放たれる柔らかな風が、店主を包む。

 言葉もなく、治癒の術を扱う男から、テンは、無理矢理視線を引き剥がす。

「詫びのつもり?もしかして」

 テンが訊くと、男はテンを見て目を細め微笑んだ。

「そうかも」

「……ふーん」

 関心があるのか、ないのか、わからない呟きを返して、左手をそっと、石畳の地面につける。掌に、今度こそ意識を集中させて、言葉をのせた。

「……忘却」

 力を込めて、左の掌を大地に押し付ける。

 何かが、波紋のように辺り一帯に広がっていった。

 店主の治癒が終わる頃、広場にできた人垣は、それぞれに日常へ戻っていく。まるで、何もなかったように。

「……詫びのつもり?」

 男が、テンのセリフを繰り返す。

 テンは、リタの方へ向かいながら、男へ答えた。

「その人、まだろくに口聞けないだろうから。代理」

「ふーん」

 男の声に、笑いが混じる。

「え?なに?テン、何したの?」

 突然、日常に戻った広場を、シディアが訝しげに見回している。

「シディア、とりあえず、店長を、中に入れろ」

「えー?説明は?」

 不満を訴えるシディアを、男が、苦笑いを浮かべて宥めていた。

 何もなかったかのように。

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