護る

大通り沿いに並ぶ華やかな店のうちのひとつ。空き店舗となって久しい様子の店内に、Rufellviaの店主はいた。埃まみれの室内に、汚れるのも構わず、カウンターを背にして床に座り込んでいる。


裏口から入っていって愕然とした。


幾つかあったテーブルも、並んでいたイスもない。そこにあるのは、埃の積もった床と、薄汚れた壁、火の気のないカウンター裏の調理スペース、やはり、埃で汚れた作り付けの棚。賑やかな大通りは、汚れて曇ったガラスの向こうだ。


ぼんやりと、何を見るでもなく眺める。




―― かわいそーに……




テンとリタが警戒し続けていた、例の客の大げさな言いようが、ふと、頭に浮かんだ。


「……ホントだよな」


小さく呟いた言葉で、自分を責める。


この店のオーナーとは同い年で、店主がこの町に来た頃からの付き合いだ。力は弱いらしいが、魔術師で、テンのことなど、いろいろと話を聞いてくれた。気を許せる友人だった。それを、今の今まで忘れていたなんて。


居なくなったことに、気づきもしなかった。情けなくて仕方なかった。


何が起きたのか、わかっている――――あの男だ。


何故こうなったのか、わかっている――――『保護』されたのだ。


何故――――――――。


店主は、ふらりと立ち上がり、鍵のかかった表の扉を開けて、大通りに出た。


扉を閉めて、主のいない店を見つめる。


「ごめんな……」


そっと言葉をかけて、踵を返す。


大通りは、相も変わらず賑やかで、その音が、今の店主にはひどく耳障りだった。


苛立ちが募る。自分に、そして、訳のわからないあの客に。


あの客に会ったのは、今度で2度目。


店主は、生まれた町を出て、旅をしていた。遠く、落ち着ける場所を探していた。そのときは、1人ではなかった。叔父と、それから、仲の良かった、訳ありの魔術師が一緒だった。


それは、立ち寄っただけの町で、一休みしているときだった。


叔父は、旅に必要なものを買いに行き、魔術師と店主とが公園のベンチに残された。せっかくだからと、若かりしころの店主が、鳴らし始めたギターの音色。気付けば人の輪ができていて、そしていつの間にか、一緒にいたはずの魔術師は、そこからそっと距離をおいていた。


暫く弾いた後、残っていたのがあの男だけだったのだ。あのときも、今日と同じセリフを、あの男は自分に吐いた。




―― ねェ、あの人って、魔術師でしょ?



匂いでわかるのだと、確か言っていた。


狙いは、自分か、あの時一緒だった魔術師か。


しかし、あの人はもう――――。


店主は、いつもとは違い、人の多い通りを選んで歩いていた。もし、相手が魔術師なら、目立つところでの争いは避けるだろう。ここアルアは、国の都。すぐさま、保護対象として捕まってしまう。もし、彼が何の力もない者で、自分を襲ってきたとしても、すぐに店にもそれが伝わるだろう。


勝手口に通じる裏道は、今歩く道よりも狭く、人通りも少ない。万一襲われたら、誰かに気付かれる前に、命を落とすことにもなりかねない。


テンを、独りにはできない。


小さな噴水広場が見えた。明るい色の華やかな店の中に、1軒だけ浮いている、チョコレート色の外観の我が家。


通りから広場へ出て、店主は、一度、足を止めた。


あの客がいる。


広場には、建ち並ぶ店に前に、誰のものでもない、ベンチやテーブルが幾つか置かれている。


男は、その一つに座っていた。


店主から見て左側、比較的広い道が伸びる脇に、噴水に向けて置かれたベンチに、ゆったりと座っている。口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。広場を行き来する人々を眺めながら、日向ぼっこをしているように見える。


店主は、男に近づいた。


「思い出せました?店長さん」


噴水の方を向いたまま、男が先に声をかけてきた。あくまで、口調は明るい。


「あぁ……」


込み上げる怒りと後悔を、店主は必死に押さえ込む。クルールの店主にも、その家族にも、恐らくはもう二度と会えない。


「そっか。なら、よかった」


「何がだ……」


怒りに、声が震える。笑みを湛えて立ち上がる男を、店主は、鋭く睨み付けた。


男は、店主に向き直り、穏やかな笑みに目を細める。満足そうな笑みだった。


「ヒントを残しておいてよかった。やった甲斐があったよ」


「……お前っ……」


店主が、グッと右の拳を握りしめた。


と、その時――――。


「店長!!」


店から聞こえた声に、店主は、握り締めた拳を解く。そちらへ目を向けると、リタが飛び出してきたところだった。


珍しく慌てた様子のリタが、男を見つけて足を止める。


これだけ人がいる中で、騒ぎを起こすことはないだろう。店主は、その時、多寡をくくっていた。


「リタっ……!」


店に入ってろ、そういう前に、男の手がスッと横へ動く。


瞬間、リタの体は見えない力に後ろへ吹き飛ばされた。すぐ後ろの壁に背を強く打ちつけ、地に崩れ落ちるように座り込む。小さな呻き声は、噴水の音に消されていた。


すぐに、広場はざわめき立った。


男は、それを気にすることもなく、改めてリタに向き直る。


次を仕掛ける――――店主は、思うよりも先に駆け出していた。


「店長っ!」


身を案じる声がした時には、もう、拳を突き出した後だった。


リタに向けられるはずだった男の手が、店主の拳を掴む。男はそのまま、勢いを利用して体を倒そうと斜め下へと引くが、抵抗は、思った以上に強かった。


捕まれていた拳が、男の手首を捕らえる。


男は、苛立たしげに舌打ちをして、店主を突き飛ばした。直後、男の顔を、店主の長い足が掠めていく。


男は、店主から距離を取り、頬を拭った。


店主は、噴水を背に、男とリタとを横に見る形で立っていた。


「……て、店長ぉ……?」


戸惑いと驚きの混じった、リタの声が聞こえた。


魔術に、まさか、素手で向かっていくとは思いもしなかったのだろう。


店主が、チラリとリタの方へと視線をやる。そして、得意気に口の端を上げた。


「だから言ったろ?リタ。何があるかわかんないんだから、知識はつけとけって」


「……知識かなぁ?」


血の滲む二の腕を押さえ、リタが、ひきつった笑みを浮かべた。


「確かに、知識と経験、ですねェ。店長さん」


男の声がして、二人に緊張が走る。リタも店主も、鋭い視線を向けた。


「僕を魔術師だと思っていながら、殴りかかってくるなんて」


「あんたこそ。こんなとこで堂々と術を使うなんて、思いもしませんでしたよ。お客さん」


愉快だと、男が喉の奥で笑った。


「えぇ、使えますよぉ?堂々と」


男の手が動き出すと同時に、店主は、距離を縮めた。


再び、拳を放つ。


顔面めがけて突き出した拳は、やはり、男に掴まれた。今度は、鋭い、突き刺さる痛みを伴って。拳には、いくつもの赤いキズができる。


店主は、痛みに顔を歪めた。拳から、血が滴り落ちている。


しかし、すぐに、次の攻撃を仕掛けた。膝蹴りを腹へと喰らわせる。


それも、もう一方の手で止められた。


「恐いもの知らずですねェ、店長さんは。大人しく見ていればいいのに。そしたら、痛い思いをしなくても済みますよ?体はね」


男の妖しい笑みを、店主は、拳から腕にかけて走る痛みを堪え、グッと強く睨み付けた。


「言ったでしょ?『こいつらは、店の売りだ』って。傷つけられたら、困るんですよねぇ」


「売りモノかぁ……」


「誇りって意味だ、俺のね」


「そう、それは、傷つけ甲斐がある」


膝を押さえていた男の手が、離れる。


次の攻撃を――――思った瞬間、店主は全身に、拳に受けたのと同じ、刺すような痛みを感じた。衝撃に、体を後ろへ飛ばされる。体勢を立て直そうにも、足も腕も、動きそうになかった。


しかし、石畳の地面に叩きつけられるはずの体は、何かをクッションにして止まった。


受け止められたという感覚に、店主は、最初、リタが駆け寄ってきたのだと思っていた。


「……この、バカ店長……」


頭上から降る声には、愛想も心配の欠片もなかった。


「…………テン……」


出たのは、絞り出したような、自分で聞いても苦しげな声だった。


店主の体をゆっくりと横たえるのは、リタではない。男を、力強く見据えるテンだった。


「いくらなんでも無茶だろ。わかれよ、それくらい。……あんたに死なれたら…………どうすればいいんだよ……」


何か応えようとするが、口が開いただけで、声が出ない。


「待ってろ。すぐ片付けるから。……生きてろよ、店長」


「待て……テン……」


自分たちを中心に、人垣ができている。店主は、これ以上、騒ぎを大きくしたくなかった。テンのことが、周囲にバレてしまう。そうなれば――――。


「待てない。何かあの人、俺に相手してほしいみたいだし?」


テンは、引き留めようとする店主の手を、そっと離して、二人を背に立ち上がった。


「やめろ、テン!」


リタが、焦ったように呼び止めた。


「あいつは、もう国に保護されてる魔術師なんだよ!このままじゃ、マズイ!」


信じられない様子で、テンは、捲り上げられた男の左腕を見つめた。刻まれている模様がある。


男は、余裕の表情で、楽しそうに3人の様子を眺めている。


「これが、保護済みって印。さすが、察しがいいねェ、リタ君。一体、いつ気づいたの?」


「……魔術師ってことは、海辺であんたと会った時。保護済みってことは、ついさっき。クルールのことを思い出した時だよ。この町の、しかも、あんな目立つ場所で魔術を使ってるのに、あんたは、ウチの店に来た。保護済みなら、納得できるから……」


リタの説明を、男は、満足げに聞いていた。

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