理由−2

*   *   *   *   *



「戻りましたぁ~」


 店の勝手口から、盛大なため息が聞こえた。


「おかえりぃ。ごくろうさん」


 配達から帰って来たリタに、店主は、丸イスに座ったままで、いつもの優しい笑みを向けた。テンは、何も言わず、カウンター裏から視線だけリタに向けた。


 丁度、客はいなかった。店の中は、異常なほどに静かだ。


 肩から下げたカバンを、シンク下の収納棚に片付けて、リタが、誰にともなく聞いた。


「……あの人は?」


 どこか強張ったリタの声に、何があったのか、とテンがリタを見下ろした。


「さっき帰った」


 落ち着いた声で、テンは答えた。誰のことなのかは、問わなくてもわかる。


 リタは、収納棚の前にしゃがんだまま、入ってきたときと同じに、大きなため息をついた。


「バレてるみたい。あの人……」


 応えるように、テンは、呆れた顔を丸イスに座った店主へ向け、口を開いた。


「しかも、店長と知り合いみたい」


「うっそ?!」


 立ち上がり、リタが、目を丸くして店主を振り返った。


「店長、マジで忘れてたんですか?!……ひどい……。っていうか、かわいそ~……」


 男への同情の声を上げたリタに、店主は、苦笑いを向けた。どっちの味方だと問いたくなる、2人の非難の視線。


「リタも帰って来たんだから、洗い浚い話せよ。何者だ?あの曲を何で知ってる? 」


 店主は、困ったように頭を掻いた。タバコに火をつけ、ため息と一緒に煙を吐き出す。


 リタもテンも、店主の言葉を待っていた。2人とも、真剣な表情の中に、心配の色を滲ませている。


「洗い浚いったってなぁ……。何者なんて知らないし。俺が、この町に落ち着く前、どこかの町の公園で会ったんだ。ホント、少し話しただけだし。20年以上前のことだ」


「あの曲のことは?」


 テンが続けて尋ねた。


「たしか、俺がお前らくらいの年だな。公園のベンチで、ギターの練習してて……気づいたら、周りに人が集まってて、その聴衆の1人が、あいつだ。最後にあいつだけが残ってて、あの曲を覚えたいって、暫く俺の前から離れなかったんだ。……ホントに、それだけ」


「目的に、心当たりは?」


 もう一度、テンが訊いた。


「……さぁな……」


 タバコを吸いながら、天井を見上げる。店主の思考は、男の残していった言葉に支配されていた。


――もう1つ、忘れてること、ありません?


「いいんですか?店長ぉ。そんな悠長に構えてて」


 リタが、ヒップバックを外して、シンクの上で中身を片付け始める。


「思い出す前に殺されるとか、笑えないですよ?」


 集金した売り上げと、領収書と請求書の束を両手に持って、店主の前を通り過ぎていく。レジ下の引き出しへ片付けていたリタは、そこで、思い出したように声を上げた。


「そーだ。店長、これ、どこの店ですか?新規?」


 請求書だけを取って、引き出しを閉める。


 リタが、見せてくれた請求書には、店名が記されていなかった。


 店主は、眉をひそめて請求書を受け取る。テンも一緒になって、上から覗き込んできた。


「店長の字じゃないの?日付入ってんのに、覚えてないのかよ?」


「ん~……」


「っていうか、配達済みの印入ってるし」


「ん~……」


 空返事をして、店主は、請求書を遡った。


「……ん?」


 すると、そこよりも前のものにも、店名のない請求書がいくつか綴じられていた。どれも、同じ豆、同じ量で、定期的に届けられているらしかった。


店主の口から、ポトリとタバコが零れ落ちた。請求書に釘付けにされた目は、大きく見開いている。


 忘れてること――――店主は悔しげに奥歯を噛み締めると、請求書を放り投げ、慌てて勝手口から店を飛び出して行った。


 残されたタバコが、床で煙を上げている。


 テンが、店主の残していったタバコを足で揉み消した。


「何かひと言、言ってけよ」


「……まだ訊きたいことあったのに」


 閉まった扉を見つめて、それぞれに呟く。


 リタが、足元に落ちたままの請求書を拾い上げ、引き出しに片付けた。


 それを目で追って、テンは、リタに尋ねる。


「訊きたいことって?配達で、まだ何かあったのか?」


 先ほどまで店主が座っていた丸イスに、テンが腰かける。


「うん、ちょっと」


 リタはテンの正面に立ち、話を続けた。


「大通り歩いてたら、何か……変な感じがしてさぁ。いつもの、普通の賑やかな店が並んでるとこなんだけど……ホラ、専科の近くの。でも、違和感が、ずっと残ってて。帰る前に、もっかい同じ道を逆に辿ったら、あぁ、そっかぁ、ってわかったんだけど、やっぱり、何か変なんだよなぁ……」


 語尾にため息を混じらせて、締めくくる。


 テンには、リタの違和感が結局何だったのかがわからない。


「何がわかって、どう変なんだよ?」


 眉間に皺を寄せて、リタの不思議顔を見上げる。


「大通りにさ、1軒だけ、空き店舗があるだろ?」


「空き店舗……」


 訊くでもなく、テンは、繰り返した。


「そう。周りが賑やかなだけに浮いててさぁ。いつも行くのに、今日は、何かそこが妙に気になっちゃってさ。……でも、変だろ? 」


「変って、何が?」


「だって、大通りの結構いい場所に店を構えてて、何したら閉店すんの?店を畳むにしたって、すぐに次が入りそうなもんだろ?なのに、ずいぶん前から空きになったままって感じだから。それで、変だなぁって思ったわけ」


「空き店舗……忘却……?」


 テンの頭の中で、霧が晴れていくように少しずつ思い出されていく事柄。同時に思い至る、あの男の正体に関する可能性。


「忘却?何の話?」


 今度は、リタの方が眉を寄せていた。


 リタの問いに答える前に、テンは、レジ下の引き出しから、請求書と領収書を取り出した。


「忘れさせられたって話。俺の記憶じゃ、大通りに空き店舗はない」


 調理台に並べて、例の店名のないページを開く。領収書にも、同じに、店名のないものがある。店控えだけを残したものが。


「もしかして、これが空き店舗の正体?でも、これ……」


「あぁ、先月に集金してて、今月の頭に注文をもらってる。しかも、配達済み」


 忘れてることがある。自分を除く、みんなが。テンは、領収書と請求書に、右手を翳した。


「(元に戻すなら)……回復」


 呟いて、翳した右の手に力を込め、意識を集中させる。手と、2つの冊子の間で、風か小さく渦を巻いた。ゆっくりと、少しずつ、無記名だった宛名に文字が浮かび上がってくる。


「クルール?」


 店名を見て首を傾げるリタの後頭部へ、テンは右手を回した。同じように力を込めて、今度は、リタへ術をかける。


「お前も、いい加減思い出せ」


 ことのついでに、一発軽く頭を叩くと、リタが、恨めしそうにテンを見やった。


「何だよ、叩かなくても……」


「クルールは、店長の知り合いがやってた店だ。レイの親父さんの店!このタイミングで空きになってるなんて、確かに変だな。嫌な感じがする……」


「何で店長じゃなくて、店長の知り合い何かが。だって、目的は……(あれ?狙ってるのは、店長だけど、店長自身の命じゃなくて……。魔術師で、もしかして、)」


 辿り着いた結論に、鼓動が早くなる。胸がざわついて、リタは、それを押さえようと胸に手を当てた。


「リタ、俺、店長捜してくる。入れ違いになるかもしれないから、お前はここにいてくれ」


「……テンっ」


 引き止めようと思っているのに、焦るばかりで、言葉が出てこない。


「帰ったら、店から出すなよ?」


「違う、テンっ……!」


「大丈夫。あの男に会っても、大通りでバカな真似はしないから」


 ポンと肩を叩いて、テンは勝手口から走り出していった。


 残されたリタは、よろよろと、力なく丸イスに座った。


「どうか……」


 身を屈め、両手を額に当てる。


「俺の予想が外れていますように……」


 小さな祈りは、静かすぎる店内に漂い消えた。

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