ギター2
* * * * *
「起きろ、テン~!」
カーテンを閉めていても差し込む日の光にも負けず、二度寝中のテンは、元気よすぎる音をさせて入ってきたリタに、顔をしかめた。
「……やだ」
リタに背を向けようとすると、朝日が顔を照らすので、仕方なく彼に体を向けたまま。
「お前、今、何時だと思ってんの?そろそろ起きないと、開店準備までに体が起きないだろぉ?」
「リタこそ、今、何時だと思ってんの?早すぎじゃないか?来るの……」
テンは、シーツに包まって目を硬く閉じたまま、もごもごと抗議した。
リタはベッドの端に腰掛けて、テンの体をバシバシと叩いた。
「聞いてよ!俺、帰りにさぁ、昨日のあのギター男見て!」
興奮気味に話し出したリタの言葉に反応して、テンは、眠そうに目を開けた。それでも、しっかりシーツはかぶったまま。
「ギター男って、お前」
呆れて返してから、テンは、そういえば、と昨日の事を思い出していた。あの曲で人を捜すと言っていた。自分より年上らしい、あの男。
名前を聞くのを忘れていた。
「それで、それで!後をつけてみたの!」
テンがまた半覚醒なのも構わずに、リタは話を続ける。
「この辺の住民じゃないことなら、俺、知ってる」
言い出しそうなことを、先に言っておく。
「そうじゃなくて!」
「……なに?」
「ギター男が入った宿が、ここと近いんだよ。町の中心に、近いって言った方がいいのかなぁ?」
「そのことのために、お前、俺を起こしたのか?」
迷惑だと、テンは、リタを睨んだ。
「違うって」
「もぉ……起きてから聞くから。俺は寝直す!」
テンはシーツをかぶり直して、もう一度、目を閉じた。
「聞けよ。っていうか、起きろって!そろそろ」
バシバシと、リタがシーツを叩く。
本当に、話終えるまで眠らせてはくれないらしい。仕方なく、テンは、のろのろとベッドに半身を起こした。
「分かった……。店で聞くから、先に行ってろ……」
テンが、ゆっくりとベッドから出てくる。
それを見届けた後で、リタは、早く来るように念押ししてから店へ降りていった。
テンは、とりあえずカーテンを開けて部屋のなかに光を取り込み、窓を開けて、自分の体と室内に新鮮な空気を送り込む。
「……すげぇ、イイ天気」
遠くの空を眺めた後で、ベッドを直す。
下でリタが、店主へテンが起きた事を告げたのだろう。朝ごはんのいい香りが、ここまで漂ってきた。
しかし、まだ、目が覚めきっていないテンのお腹には、まるで響かない。のんびりと、パジャマを着替える。
リタの言っていたことが、気にならない訳ではなかった。テンと違って社交的なリタなら、自分より多くの情報を、持っているかもしれない。
身支度を整え、いつものコートを羽織り、下に降りた。
店へは、一度、家をでなければ入ることができない。玄関を出て、すぐ横の勝手口から店へ入る。
「おはよ~」
眠気たっぷりに、声をかけた。
「早かったな」
カウンター裏で、店主は、テンの朝食の準備をしている。自分で選び、自分で挽いて自分で淹れたコーヒーを飲みながら。
リタも、カウンター席の真ん中で、コーヒーを飲んでいた。
「リタに起こされたから」
店主の後ろを通って、ホールに出ると、リタの隣に座った。
「店長の差し金?」
眠そうな顔に、僅かに滲む不機嫌の色。
店主は、テンに朝食の乗ったプレートを差し出して、豪快に笑った。
「どうせ起きなきゃいけない時間だったろ?いつもが遅いんだよ、テンは」
「眠いの、俺は。いただきます」
「すっかり、朝メシはここで食べるようになっちゃって」
白いカップに注がれるコーヒーが、カウンターの向こうのテンとリタに、独特の香りを届ける。
ソーサーには乗せずに、テンへ手渡される。
「あれぇ?テンって、昔からここで食事してるんじゃないの?」
リタの言葉に、店主は、失礼だと視線を向ける。
「リタ?ウチにも、ダイニングとかキッチンとかあるんだぞ?」
「そーですけど、テンって、開店準備の時間ギリギリに降りてきてる印象があるじゃないですかぁ」
「働くようになってからな。昔からこんなだと、学校に遅刻するだろ」
「よく起きましたねぇ?っていうか、よく起こせましたね」
すぐ傍で好きなことを言うリタに反論もせず、テンは、黙々と食事を進めていた。
「そんで?早く来て、俺を起こしてまで喋りたかったネタって?」
聞くのも面倒だと、テンの声音が語っていた。
「あぁ!そうそう」
リタは、カウンターに片肘を乗せて、テンの方へと体を向けた。
リタが話したがっていたのは、昨日、店の前の広場でギターを弾いていた男のことだ。
「あの人が入っていったやどって、下にレストラン入ってて、食事時だったし、すぐに降りに来るかなぁって待ってたら、思った通りに降りてきて」
「ヒマだな、お前……」
感情も込めずに、テンが口を挟んだ。
「だって、気になるじゃんか。あの恰好で黙々とギター弾かれたら」
「そりゃ、まぁ。弾いてた曲も曲だったし」
「だろぉ?あの曲の謎が解明される時が、ついに来たんだよ!」
「曲の謎を解明するために、来たのかもしれないんじゃないか?」
興奮気味に話すリタを落ち着かせるように、クールに指摘するも、リタの満面の笑みは消えない。
「解明してくれたら、ラッキーだろ?」
「曲の解明が、あの人の目的なわけ?」
違うと知りながら、敢えて訊いてみた。
「さぁ?」
「そこは知らないのかよ」
「あ、でも、話はした」
「え?」
テンは、手を止めてリタを見やった。
「何かさぁ……何ていうか……すげぇ、不思議な雰囲気の人でさぁ。穏やかなカンジするけど、それも違うし……」
リタも、昨日、テンが感じたのと同じに思っているらしかった。
「優しそうに見えるけど、胡散臭い気もして。年は俺より上って言ってた。何歳かは教えてくれなかったんだけど」
リタの言葉に、テンは、昨晩の男との会話を思い出していた。リタも、自分と同じやり取りをしたらしい。
「話をしたって、話しかけたの?」
「あ、そうそう。レストランのカウンター席の端で食事してたの、俺。ギター男は、真ん中辺りで食べてて、ウェイターのコーザさんと話してたから、そっと、聞き耳立ててたら、Rufellviaの名前が出てきたから、俺が呼ばれて」
「この店の話、してたのか?」
「ん~…店のこととか、俺らのこととか、店長のこととか」
テンは、食べながら、リタの話を聞いていた。
「すごい、興味津々だったんだよなぁ。店長が、仕事しないでギター弾いてるとか言った時になんて、特に」
男は、昨日、人を捜していると言っていた。店主がたまに弾く、あの曲を知っている人を。
「それから、図書館のことも聞かれた」
「は?図書館?」
「うん。この辺りで、一番、資料が揃ってるのは、あの大きな図書館かって」
「図書館ねぇ」
「調べ物?って訊いたら、そんなとこって。今度、コーヒー飲みに来るってさ」
「マジで?」
「さっそく、今日あたり来たりして」
リタは、楽しげに笑っていた。
「ふ~ん」
興味なさげに返して、テンは、コーヒーに手を伸ばした。
男の目的が分からない。あの曲を知っている人を捜しだして、どうするつもりなのか。ただ、テンは、あまりいい感じはしていなかった。
とりあえず、のんびりと朝食をとる。早く起こされたおかげで、開店準備までにまだ余裕があった。
窓から見える外は、朝の賑わい。朝の市は、まだ、開いているし、スクールへ通う子の楽しげな姿も見える。
それとは対照的に、店内はひどく静かだ。開店前で客もいないから、コーヒーを挽く音もない。ポットに湯を沸かす音もない。開店準備もしていないから、調理の音もない。聞こえてくるのは、食事の音と、たまにするリタのお喋り。BGMにしたり、適当に答えたりしながら、テンは、のんびりと食べた。
その時、店の奥で、勝手口の戸がカタンと音をたてた。
「おはようございまぁす」
少し疲れた声が、大きく聞こえた。3人が、音のした方へ顔を向けると、そこにいたのは、声と同じに疲れた顔をした、リタとテンの友人だった。
「シディア、まだ、開店前なんだけど?」
リタの文句に答えず、シディアと呼ばれた少年は、全身の疲れを口から吐き出してフロアに出てくると、テンの隣へ座った。
「朝メシ、食べてくる時間なくてさぁ。開店前なのはわかってるけど、コーヒーください」
「普通に、勝手口から入って来たな、お前」
文句をつけてから、店主は、おとしてあったコーヒーをカップに注いだ。コーヒーの香りが、ふわりとシディアの鼻を刺激する。
彼の細身の体は、テンやリタより頭一つ分高い。漆黒の短い髪は、あっちこっち好きな方を向いてツンツン立っていた。一重で切れ長の瞳は、髪の毛と同じに色をしていた。
「だって、テンの部屋行ったら、珍しくいなかったから」
隣から、ずっと漂っている、彼の空腹に響くベーコンエッグの香り。シディアは、ボーっと食べているテンに断りもせず、ベーコンエッグを素手でつまみ上げた。
「あ……」
テンが小さく声を上げる中、シディアは天井をあおぐようにして、上手く手に入れた食料を口へ放り込む。摘まんでいた指をなめてから、テンを見て得意気に笑った。
「時間はいいのか?」
店主が、カウンターの向こうからカップを差し出してきた。
「飲む時間はありますけど、ゆっくりしていく時間はないです」
舌を火傷しないよう、最初の一口を、シディアは慎重に口に入れた。
テンは、仕方なくサラダをつつきながら、彼に尋ねた。
「講義、1限からなのか?」
「講義は2限から。資料整理が終わらないの」
「徹夜?」
「徹夜に近いかな?手伝ってよ、テン」
「面倒くさいから、いや」
シディアは、町の中央付近にある専科に通っている。
5歳から15歳までが通うスクールの高等教育にあたる4年制の専科は、研究機関の役割も備えていた。テンも、スクールを出てから、数ヶ月ほどは通っていた場所だった。
「テンが手伝ってくれると、すげー捗るのになぁ」
「自分の仕事だろ?」
表情も変えず、テンは、淡々と断った。
「まぁ、テンが素直に手伝うなんて、期待してないけどさ」
返ってくる言葉を予想してか、シディアは、笑みを浮かべてコーヒーを啜った。
「つーか、何で今日は早起きなんスか、コイツ。何かあんの?」
何か特別なことがないと、テンは起きない、という彼の解釈に、店主もリタも納得できた。
「意外そうな顔すんな」
テンだけが、失礼だと眉をよせている。
「起こしに行っても、ウダウダ言って起きなかった奴が言うセリフ?」
リタの意地悪な笑みに、テンは、返す言葉もない。
大人しくなったテンを確認した後、リタはカウンターに乗り出すようにして、テンの向こうにいるシディアに、目を輝かせて説明を始めた。
「昨日、そこの広場にギター弾いてる男の人いてさぁ、何か、すげぇ不思議な感じなの!服装ちゃんとしてるし、顔もカッコいいし、人当たりもいいし。でも、どっか胡散臭くって!しかも、店長が時々弾く、あの誰も名前知らない曲を弾いてんの!仕事帰りに見かけたから、その報告しようと思ってさ」
話を聞いて、シディアは、納得がいった。
「起こされたわけか、テン」
「叩き起こされた」
不機嫌な顔で、テンがコーヒーを啜る。
「テンは、そのギターの人に興味ないわけか?」
シディアに答えたのは、テンではなくリタだった。
「なくないって、絶対!」
「何で?」
「起きたから」
当人は不本意だが、周囲には十分納得できる理由だった。
Rufellviaに、3人分の笑い声が響いた。テンを除く、3人の笑い声が。
「あ~、笑って目ぇ覚めた」
シディアが席を立つ。すらりとしたシディアの体は、立ち上がると、カウンター席のリタとテンを見下ろすほど高い。
「ま、その胡散臭いギター男のこと、何か分かったら教えろよ。ごちそうさま~」
カウンターにコーヒーの代金を置いて、シディアは勝手口から出ていった。
「店長、コーヒー、もう一杯ちょうだい」
ぼんやりしたテンの顔は、降りてきたときよりも、だいぶすっきりしていた。
「目は覚めたか?」
コーヒーのお代わりを注ぐ店主の口元が、笑みの形をとる。
「だいぶ?」
頭は相変わらずぼんやりしていたが、そろそろ働かせてみる。
昨日のあの男は、この店に、少なからず興味を持っているらしい。そして、この町で知る者のいない、あの曲を知る者を捜している。店主のことかもしれないし、そうではないかもしれない。
「店長があの曲を弾いてるから、いけないんだ」
「何で、俺だよ」
あの曲を弾いていたのが店主ではなく他の誰かなら、あのギター男のことも、こんなに気になることもなかったのに。
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