ギター

 Rufellviaの灯りが目立ち始める頃、広場は、仕事帰りの人や、夕食の買い物をする人で賑わっていた。


 Rufellviaも、ひっきりなしに客が出入りしている。


 店主は、午前中から変わらず、奥のテーブルにいた。その腕に抱えるのはギター。


 リタとテンが客を送り出す声に、扉につけられた鈴の音が重なる。


 客が引き、静かになった店内に、小さく聞こえるメロディ。


「……あ……」


 店主は、窓の外に視線をやった。朝いた男が、ギターを弾いている。昼間、一時いなかった彼が、朝と同じ曲を同じ場所に座って奏でていた。


 広場をいく人々が、時折立ち止まって、男の奏でる音色を聴いていた。


「また、弾いてる……」


 直後――――。


「まだ、弾いてる」


 怒りを含んだテンの声と共に、小さく鈍い痛みが降ってきた。


「何だよ」


 頭を抑え、傍らに立つテンに、店主は非難の目を向ける。


 テンは、トレー片手に、苛立ちたっぷりに見下ろしていた。


「何、じゃないだろ」


「店長、今日1日、そこで弾いてたでしょ?」


 カウンター席に座り、片肘ついて、リタは悪戯な笑みを向けていた。


「仕事しろよな、店長なんだから」


 文句をつけながら、テンは、カウンターへ戻った。


 店主が、ギターへと視線を落とす。ぽろりと、零れ落ちた音。


「ん~?どこかで会ったかなぁって思い出してみようかと思って」


「え?思い出したんですか?」


 リタは思わず、体を起こした。


「いーや、全然」


「知らないんじゃないですかぁ、も~」


「あぁ、あの男は明らかに見たことないんだけど、でも、朝と同じ場所に座って、こっちに向かって弾いてるからさ。ウチに何か用でもあるのかなぁって思って。で、もしかして、前に何か約束したりとか?そーいうの、あったっけなぁって」


「……っていうか、何か約束してたとして、忘れてるって最悪じゃないですか」


「だよなぁ?」


 他人事のようにケラケラ笑う店主へ、2人とも呆れた眼差しを送る。


「ホント、店長、刺されたりとかしても知らないからな?」


 ため息をついた後で、テンは、エプロンを外した。


「もうあの男はいいから、仕事しろよ、店長。俺、買い物してくる」


 スタッフルームで、ロッカーにしまっていた薄手のコートを羽織り、勝手口から外に出る。


 西の空はオレンジの光を、東の空は、闇に落ちる前の濃紺を広げていた。


 賑わう店の灯りがと街灯で、広場は明るい。


 朝の男は、まだ、同じ場所にいて、今は違う曲を弾いていた。それを横目に、夕食の買い出しをする。いつものことだが、コミュニケーションは必要最低限だ。野菜とパンと卵が少し。それから、牛乳を買って、テンは広場に戻った。


 ギターの音はまだ、響いていた。


 変わらず、Rufellviaを正面にして座る男は、聞き覚えのあるような、ないような曲ばかりを演奏している。まるで、店に向かって弾いているようで、気になって仕方がない。


 食材が入ったビニール袋を片手に下げて、テンは、男の正面に立った。男と店とを遮るようにして。


 曲は、朝のあの曲に変わっていた。


 物も言わずに見下ろして、テンは、何と声をかけるべきかを考えていた。とりあえずは、一曲終わるまで待とうと、そのまま彼の手元を見つめる。


 ふと、男の口元が、ふわりと弧を描いた。


「僕に用?」


 程よい低さで響く声。柔らかな声音。


 テンは、僅かに目を見開いて、ギターから彼の顔へと視線を少しだけ上げた。


 曲は、ゆっくりと、途中で止まった。


 ギターを抱えて、男は顔を上げた。


 通った鼻筋、真っ直ぐに見つめてくる大きな琥珀の目、形の良い額、小さくて端正な顔立ち。


「……えっと……」


 テンは、言葉を探した。


 広場を流れる風が、男の、僅かに波打つ髪を乱す。


 男は、風上の方へ顔を向けて、頬にかかる髪をかきあげた。


「何か用なのかな?」


 いつも、テンのコミュニケーションは必要最低限。こういう時、何を言っていいのかわからない。じっと男を見ていて思い付くこと――――そもそも、この男は。


「……あの、あんた、何歳?」


 テンは、眉間にシワを寄せて聞いた。


「え?」


 ぽかんと、男は小首を傾げて聞き返した。


「僕?いくつかって?」


「あの……まぁ、そう……」


「君は?いくつ?」


「俺?17」


 男は、また、穏やかに笑った。


「それよりは、上」


 見ればわかる、という言葉は、ぐっと飲み込んだ。


「あぁ、そう……」


「謎は解けた?」


「全然」


 男が、端正な顔を笑顔に崩す。


「それじゃあ、他に何か、僕に用があるのかな?」


「用っていうか」


「うん?」


「この町の人?じゃ、ないよね?」


「うん、違うよ。昨日の夜、この町に入ったんだ。旅人……かな?立ってないで、座ったら?」


 男は、自分の左隣を指差して促した。


 素直に従って腰を下ろすと、テンは、膝の間に置いた手元に目を落とした。


「……あのさ……」


「ん?」


「最後の……っていうか、あの、さっきの曲、何ていう名前の曲?」


「あぁ」


 声をあげた後、男は考え始めた。


 テンが顔を上げて見れば、眉間に皺を寄せて首を傾げている。


「何ていう曲なんだろ……。知らないんだよね~」


「は?」


「子どもの頃に聴いたのかなぁ?何か、ずーっと耳に残ってて。気に入った?」


「耳に残るから……気になって」


「あぁ、朝も弾いてたから?君、確か、そこから顔出してくれてたっけ?」


 男が、Rufellviaを指差した。


「うん、朝から、ここでそれ弾いてる人、見たことないし」


「ん~……」


 男は、じっと店を眺めた。


「渋い店だよね~。……流行ってんの?」


「大きなお世話っ」


 ムキになって返すと、声に出して笑われた。


 笑いながら謝る男を、テンは、むくれ顔で軽く睨んだ。


「なんかあんた胡散臭い。年齢不詳だし。この町には、何しに来たんだよ?観光?」


 刺々しく追求しても、男は、穏やかに微笑んでいた。


「人捜し」


「人?」


「そう。名前も顔も分かんない。あ、顔はたぶん、見たらわかる、かな?」


「どうやって捜すわけ?それ」


「曲で。ギターで?」


 分からないと彼を見ると、男は、ギターをポロポロと爪弾き始めた。


「この曲を知ってる人、捜してる」


 流れたメロディは、テンがよく知る、昔を思い出すあの曲だった。


「とりあえず、君じゃないみたいだね」

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