コーヒー店・ルフェルビアー2

 テンは、テーブルで幸せそうに顔を緩めてロールケーキを頬張るレイと、彼を正面に見る席に座り、これまた嬉しそうにレイの相手をしているリタを見て口元を緩めた。


「めでたし、めでたし」


 ポンポンと、店主がテンの頭を撫でた。


 赤い顔をしてふてくされ、テンは、頭の上の大きな手を振り払った。


 その時、また、扉の鈴が音をたてた。


「いらっしゃいませ」


 にこりともせずに、テンは、接客に出た。


 愛想のいいリタと違って、テンは、客に近づきにくい印象を与える。愛想をよくして、下手に信頼関係でも築いてしまうと、魔術を扱えるということが知られてしまう危険があると、彼は考えていた。それが広まれば、もはや、伝説の生き物と化している自分が、どうなるかわからない。町の人たちが、どんな目で自分を見るのか。


 この能力を知って、自分をこの店に置き去りにした、両親のように。


「ありがとうございました」


 だからテンは、いつもクールに、なるだけ目立たないように暮らしていた。


「ほら、レイ。あのお兄ちゃんにもありがとう」


 リタに促され、レイが元気な笑みでテンを見上げた。


「ありがとう」


 テンは、レイの頭をくしゃくしゃと撫でた。やはり、にこりともせずに。


「どういたしまして」


 それでもレイは、満足そうな笑顔で店を後にした。


 扉が閉まり、鈴の音が鳴る。


 リタは奥のテーブルへ、テンは、カウンター裏に戻った。


「やっぱり嬉しいですね~、店長」


 リタの声が弾んでいる。


 店主は日当たりのいい、一番奥のテーブルにいた。


「ん~?」


「何かあった時に、ウチのコーヒーを思い付いてくれるなんて。レイの家だって、カフェしてるのに」


「そうだな」


 店主も、満足そうに笑っていた。


 午前中は、客が少ない。


 静かな店内に、ポロリと、零れ落ちるように響く弦を弾く音。


 食器を下げてきたリタからトレーを受け取り、片付けながら、テンは、店主の奏でる音を聴く。


 リタは、カウンター席に座り、片肘をついて店主を見つめていた。


 店の奥ので、穏やかに微笑みながら、木のイスにゆったりと座る店主。長い足を組んで、その膝の上にアコースティックギターを抱える。曲にはならないが、ポロポロと奏でられる音は、美しい曲のように聞こえる。


 素人だというわりに、妙にうまいその音に、なぜか不思議と客がやってくる。1人、2人、ポツリポツリと。


 扉の鈴がリンと鳴り、再び、店内に静けさとゆったりした時間が戻るまでの間に、気まぐれに爪弾いていた音は、いつの間にか、曲に変わっていた。


 テンがそちらを見やれば、店主は、ゆったりと凭れかけていた体を少しだけ前に屈めて、タバコをくわえたままで弾いている。伸びかけで癖のある髪が、彼の顔のほとんどを隠してしまっているが、僅かに覗く口元は、まっすぐに結ばれていた。


 流れゆくメロディが、町を渡る風のようで、遠くに聞こえる波音のようで、体に心地よく響いた。


 この曲は、よく知っている――――テンもリタも。この国で流行っている曲ではない。この町の誰に聞いても、知る人はいなかった。


 しかし店主は、この曲を、たまに、思い出したように弾いていた。


「俺、この曲好き~」


 客のいない店内で、リタは嬉しそうに笑みを浮かべて、店主の奏でる音色を聴いていた。


 テンは、食器を片付ける手を止めて、不機嫌な顔をして、宙をにらんでいた。


「俺はやだ」


「えー?何で~?」


 わからないと、こちらを見るリタに構わず、テンは、店主へ言葉を投げた。


「店長!仕事する気なくすから、別のにして!」


 僅かに覗く店主の口元が、弧を描く。弦を弾く手は止まらない。


「店長~?!」


 テンが、非難の声をあげる。


 店主が小さく笑ったのが、2人にも聞こえていた。


「ハイハイ。それじゃあ、何にするかなぁ~……」


 楽しげな声と共に、曲は途切れた。


 再び、ポロポロと音が零れていく。


「いい曲だと思うけどなぁ~」


 リタは、まだ、分からないという顔をしてテンを見ていた。


 テンは、無言のまま、止めていた作業を再開する。


 店主が、代わりに口を開いた。


「テンが、ここに来た頃に、よく弾いていた曲なんだよ。さっきの曲」


「へぇ~」


 興味津々に声を上げて、リタは、店主のいるテーブルへと移った。


「あの頃は、まだ小さくて表情豊かで、素直だったのになぁ?」


「育てたの、誰だよ」


 剥れて言い返すテンの顔が、僅かに赤く染まっていた。


「小さい頃は興味あったろ?」


 ポロポロと音を出しながら、店主が続けた。


「傍に来て、弾いてる俺の手元をじっと見つめて」


 テンは、店主に育てられた。しかし、血の繋がりはない。幼い頃に、親とこの店を訪れて、美味しいケーキに夢中になっている間に、親は、どこかへ出掛けていって、そして、帰ってこなかった。ここで待っているように言われたことを、頭の隅で覚えていて、素直にずっと待っていた。


 捨てられたのだと、置き去りにされたのだと店主に言われて、ようやく知った。


 その頃に、よく聴いていたのが、先程まで店主が弾いていた曲。


 魔術を使えることが、特別なことだと自覚する、前のこと。幼い自分の発した一言――――。


――ねぇ、それ、なんていうまじゅつ?


 そして、それに答えた店主の、


――あぁ、これか?これは、人を元気にしたり、心の傷を治したりする魔術だ


 この言葉を、鵜呑みにしていた自分が信じられない。


 あの頃を思い出す。だから、テンは、あの曲が嫌いだった。


 ポロリポロリと聞こえる、弦を弾く音。それが、ふと止まったかと思ったら、再び同じ曲が聞こえた。店の中ではない。この町で、誰も知らないはずの曲。店主は弾いていないのに、流れてくるメロディ。


「あ……店長、テン、あそこ」


 テーブル席にいたリタが、広場を指差して立ち上がり、窓へ歩み寄っていく。


 店主は、イスに座ったままで窓の外に視線をやり、暫く眺めた後、すぐにまた、ギターを弄り始めた。


 テンは、リタが見つめ続ける小さな噴水広場へ、店の扉を開けた。


 噴水の泉の縁に腰かけて、足を組み、ギターを弾いている男がいる。僅かに波打つ髪が、肩から零れ落ちている。店を正面にしてはいるが、少し身を屈めて弾いているせいで、顔はよく見えない。黒のジャケット、白のシャツ、黒のズボン、おそらくは革の靴。


 近所の人間ではない。たぶん、町の人間でもない。


 テンは、口をぽかんと開けて男を見ていた。


「店長の曲弾いている~」


 リタの声に我に返り、テンは、扉を閉めて奥のテーブルを振り向いた。


 リタはまだ、窓の外を興味深げに見つめている。


「俺の曲じゃないって」


「え~?でも、誰に聞いても、この曲知ってる人いないですよ?」


「知らないだけだろ?」


 話す2人に歩み寄り、テンは、共に窓の外を見つめた。


「店長」


 テンが、ぼんやりと声を投げた。


「あの人、知り合い?」


「さぁな。よく見えないけど、知らないやつだ」


「見てないのに、何でわかるの?」


 呆れた風に見下ろせば、店主は、声を立てて笑った。


「店長、ヘンな恨みとか買ってないよな?」


「さぁな?」


「知らないよ?命を狙われたりとか」


「夜は、気をつけないとな~」


 店主の態度は、まるで他人事だ。


 リタが、ニヤリと笑って振り返った。


「店長のファン、とか?」


「俺の?店の、の間違いじゃねェのか?」


「じゃあ、渋い感じのコーヒー店やってる、ギターの上手い店長のファン」


 店主は、豪快に笑った。


 広場からは、曲が流れ続けていた。


 まるで、何かを呼ぶように。

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