Rufellvia-ルフェルビア
久下ハル
コーヒー店・ルフェルビア
この町は、上から見ると、朔から数えて9日目の月の形をしている。膨らみかけの丸の形。北には、白い砂浜があって海へ続き、南へ向かうほど町は賑わい、やがて街道へと続いていた。町を走る石畳の道は、まるで、迷路のように入り組んている。
この国の中心地――――町の名は、アルア。
海から街道までを、蛇のようにくねりながら繋ぐメインストリートを歩けば、丁度、町の中央に、大きく複雑な構造の建物が、道を挟んで2つそびえていた。歴史ある、古く美しい建物だ。ひとつは、基礎教育から専門知識までが学べる、スクール及び専科。もうひとつは、国を統治するための場所だ。
そこから、海の方へと10分ほど、これまた迷路のような道を行くと、噴水を中心にした小さな広場がある。歪な丸の形で縁取るように色とりどりの賑やかな店が並ぶ、そのひとつに、ひっそりと控えめに建つ店があった。
店の名前は「
濃い茶色の厚い木の扉を開けて鼻をつく、香ばしいコーヒーの匂い。
「おはようございまぁす」
店のスタッフルームから、カフェエプロンを着けつつ現れたのは、16歳の少年。
耳まで覆うサラサラな少々長めのショートカット。優しい雰囲気を抱く栗色の瞳。無駄な肉のない体つき。身長も、特別高くはないが、そこそこあって、男女共に人気があるだろう容姿と雰囲気を持っている。
名前は、リタ。コーヒー専門店、Rufellviaの店員。悩みといえば、周囲からは美点だと言われる大きな瞳。目尻が若干、垂れている。
「おー、おはよう」
カウンター席の向こうで、壁に備え付けられた棚にきれいに並ぶカップを、一つ一つ丁寧に磨き上げるのは、Rufellviaの店主。
細身の長身。ふわふわの髪は、伸びかけで少し癖のあるショート。一重で切れ長の目は、楽しげに、カップを見つめていた。髪は、栗色。瞳は、綺麗な琥珀色。紫煙を燻らすタバコをくわえる口元には、無精髭。まるで、モデル並みの容姿を持つ男だった。
「おはよ」
リタに視線もやらず、カウンターの真ん中の席に座り、片ひじをついて応えたのは、17歳の少年、テン。
全身から醸し出すクールな雰囲気。強い意思を示す大きな瞳。栗色のショートヘア。見事に整った顔立ちも、無愛想なせいで、クールを通り越して冷たいと近所で評判だ。
テンには、特別な才能があった。
この大陸には、まだ、魔術が生きている。土地によって現存の差はあるが、魔術を扱うことができる者は、どの国に於いても、表向き、「保護」の対象とされていた。しかし、民衆にとってそれは、伝説かお伽噺。架空の生き物としての認識しかない。
この国で、もう見ることができなくなってしまった魔術――――テンはそれを、当たり前のように扱うことができた。日常の些細なことから、国を揺るがすほどの危険な術まで。
しかし、それを知っているのは店主とリタの2人だけだった。
つまらなそうに眺めていた雑誌を閉じると、テンは、クルリとイスを回転させ、カウンターに両肘をついて寄りかかった。
「おはよ~、テン。うわぁ、相変わらず、面倒くさそうな顔ぉ」
一度、軽く顔を覗き込んだ後で、リタは、テンの隣に座った。
「起きて30分経ってないからなぁ~、テンは」
店主の言葉に、リタは、カウンターから向こう側を覗き込んだ。
シンク、置いたままの食器がある。
「ホントだ……」
「仕事の前に一杯飲むか?」
店主が、ようやく、2人を振り返った。楽しげに口元を、緩めたままで。
「お願いしまぁす」
リタが、笑顔を返す。
テンは、カウンターに両肘をついた形のまま、考え込んでいた。
「テン、お前は?コーヒー、もういいのか?」
リタの分のコーヒーを注ぎながら、店主がテンの背中に尋ねた。
「ん~……もう一杯、欲しい」
「テン~、そろそろ目ェ覚ませよ?」
淹れたてのコーヒーを受け取って、リタは、立ち上がる湯気から香る、独特の匂いを楽しんでいた。
「起きてるってば……」
背中を向けていたカウンターに、クルリとイスを回転させて向き直る。
同時に、店主がコーヒーを差し出した。
「テン、それ飲んだら、エプロン着けてこい」
「はぁ~い……」
やる気なさげに店主に応えて、テンは、早速コーヒーを口に含んだ。
「テン、今日は、何を作る?準備しとくよ?」
隣で、同じコーヒーを味わうリタは、変わらず楽しげに笑みを浮かべていた。
テンとは対照的に、リタは仕事が楽しくて仕方がないといった様子だ。
「んーと……シフォンケーキ、フォンダンショコラ……あと、クッキー」
「了解。でも、足りる?」
「ここは、コーヒー豆を売るのが本業。お前がヘンにサービスしなきゃ、足りてんの」
テンの嫌味も、リタは余裕の笑みを返した。
「テンが愛想よく笑ってくれたら、ヘンにサービスしなくても、お客さん来るんだけどなぁ?」
「……ロールケーキも追加で」
テンは、悔しげに眉間に皺を寄せた。
「了解」
カップに残るコーヒーを飲み干し、リタはイスを降りた。
「店長、ごちそうさまぁ」
礼を言った後、カウンター裏でカップを洗う。リタはもう、仕事を始めようとしていた。
仕方なくテンも、カップの中のコーヒーを飲み干すと、長い間座っていた席を離れた。奥にあるスタッフルームの扉を開ける。テンは着ていた薄手のコートを脱いで、ロッカーにかけ、カフェエプロンをしっかりと腰に巻き付けた。面倒だが、これから8時間はお仕事だ。短く息をついて、リタが準備をしているカウンター奥の厨房へ向かった。
ここRufellviaは、コーヒー専門店。
コーヒー豆から、ドリッパー、コーヒーポット、コーヒーミルなどの小物類を売るのが本業だ。
しかし、店の隅には、テーブルが3つと、入ってすぐにはカウンター席が設けてあった。ここで売っている豆を使って、カフェもしているのだ。
リタとテンは、カフェで出すお菓子の製造及び、ウェイターとして働いていた。
レジ横のかごに、透明な袋に小分けしたクッキーをセットしたら、開店準備は完了。
外にある、濃い茶色の扉のすぐ脇につけられたランプに、オレンジの明かりが灯る。周囲に賑やかな店ばかりが並ぶ町の、小さな広場の中で、Rufellviaの開店の印は、この控えめなオレンジの明かりだけだった。
明かりが灯ってすぐに、入り口の扉につけられた2つの鈴が、来客を知らせてリンと涼やかな音をたてた。
3人の視線は、開店早々に入ってきた小さなお客に集中する。
「いらっしゃいませ」
リタが、優しい笑みで、小さなお客に声をかけた。
入り口で、店の中をキョロキョロと見回すのは、Rufellviaの近所に住む少年だった。もうすぐ誕生日で、6歳になる。
リタは少年を見つめて、彼の父親が、店長と知り合いだったことを思い出していた。大通りでクルールというカフェを営んでいる。
「どうした?レイ、お使いか?」
小さなお客、レイと目線を合わせるために、リタは、彼の前にしゃがみこんだ。
レイは、黙って頷いた。
「パパが風邪引いててね……」
「ママが看病してるから、代わりに来たのか?」
今度は、首を横に振る。
「あのね!パパが風邪だから、コーヒー淹れてあげるの!元気になりますようにって」
リタが、レイの頭を優しく撫でた。
「そうか、そうか。偉いな~、レイ」
レイは、恥ずかしそうに笑った。
「これで、足りる?」
ズボンのポケットから、財布を取り出す。青い色をした、小さな丸い形の小銭入れを両手に乗せて、レイはリタに差し出した。
ジッパーを開けてみると、紙幣が2枚と高額の硬貨が数枚入っていた。
「お?レイ、金持ちだなぁ」
リタがびっくりして言った。お世辞ではなく、本心だ。
レイは、それを聞いて得意気に笑った。
「おこづかい使ってないもん。ねえ、足りる?」
「うん、お金は十分足りるけど、ママは?ここに来たこと、知ってんの?」
「内緒だもん。ママにも淹れてあげるんだよ。僕1人じゃ、買えない?」
「そんなことないよ~?向こうのテーブルで待ってな?今、店長がイイの選んでくれるから」
嬉しそうに頷いて、レイは、リタに言われた通りにテーブルへ駆けていった。
カウンター裏から、店主が豆を選びに姿を現す。
「風邪にコーヒーねぇ……」
店主が、クスクスと喉の奥で笑う。
「いーじゃないですかぁ。子どもの精一杯の気遣いですよ」
「犬も喰わないって言うけど、子どもにしてみりゃ、一大事だからなぁ」
2人の会話を他人事のように聞きながら、テンは、カウンター裏からレイを見やった。嬉しそうに、店内をキョロキョロと見回す、小さな少年。
「健気だよなぁ?」
いつの間にか、店主は挽き終えた豆と共にテンのすぐ横にいた。カウンター席から、リタもテンをじっとみつめていた。
「パパとママの夫婦ゲンカの仲直りを密かに計画するなんて、なかなかできないですよねぇ~?」
意味深な2人の笑みが、テンに突き刺さる。
彼らの意図を察して、テンは、顔をしかめた。
「そうですね……」
「ほら、見てみろ?」
店主が、テンの肩に手を回して、レイを指差す。
「何でしょう?」
「何かこう……哀愁漂ってるよなぁ、あの横顔」
わざとらしい店主の口調を、テンは、軽く流した。
「気のせいですよ、店長」
「なぁ、テン~」
情けないリタの声に、テンが目を向けると、両手を祈りの形に組んで、こちらへ懇願の視線を送っている。
「一生のお願いっ!な?」
「お前、何回一生送る気だよ……」
今まで飽きるほど聞いたこの台詞。テンは、呆れてため息をついた。
「な?テン~。痛めた小さな心を癒してあげたいだろ?な?な?」
「俺には、使命感に燃える少年にしか見えない」
「えー?」
情けなく眉尻を下げるリタから、テンは目をそらした。
「仕方ないな」
ため息と共に吐き出された、店主の呟き。今までの経験から、テンにもリタにも、続く言葉は簡単に予想できた。
「あっ……」
テンの非難の声が続く前に、店主は告げた。
「店長命令」
「……店長、ずるい」
挽きたての豆が入った袋を受け取って、テンは、邪魔された台詞を続けた。
店主は、さっさと自分の仕事に戻っていく。
「ほら、お客さんが待ってるぞ?」
「ハーイ……」
渋々、テンは、まだ口を開けたままの袋に手をかざした。短く息を吐いたあと――――。
「なんて、そう毎回毎回言うこと聞くと思う?」
クールな瞳に不機嫌を滲ませて、テンは、二人を見遣った。そして、手早く袋の口を閉じる。
「え~?!」
リタの非難の眼差しを気にすることなく、電波高専前てきぱきと作業を進めた。
「コーヒーに細工なんかしなくても、仲直りしてるだろ?」
「そうだけどぉ~……ってテン?何やってんの?」
リタが、カウンターから小さな体にキッチンを覗くと、いつの間にか、丸い皿にロールケーキがひと切れ乗せられていた。
「どうせ、おまけするんだろ?」
ロールケーキの脇に、生クリームとフルーツが添えられている。
「ホラ」
クールな表情のまま、突き出されたロールケーキ。リタはそれを、笑顔で受け取った。
「サーンキュ」
リタがレンのいるテーブルへ向かうのを、テンは、ため息と共に見送った。
「結局、言うこと聞いてくれるんだな、テン」
意地悪な笑みで、店主がテンを見下ろしていた。ロールケーキに特別な細工をしたことを、店主は見抜いていた。
「別にっ……」
テンは、照れを隠すようにフイッと顔を背けた。
テンには、特別な才能があった。
この大陸には、まだ、魔術が生きている。土地によって現存の差はあるが、魔術を扱うことができる者は、どの国に於いても、表向き、「保護」の対象とされていた。しかし、民衆にとってそれは、伝説かお伽噺。架空の生き物としての認識しかない。
この国で、もう見ることができなくなってしまった魔術――――テンはそれを、当たり前のように扱うことができた。日常の些細なことから、国を揺るがすほどの危険な術まで。
しかし、それを知っているのは店主とリタの2人だけだった。
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