シディア

リタが、例のギター男のことを、嬉々として話してから2日たった。


今日は、「本日のケーキセット」につくお菓子に、ベリーのパイを作った。


パイ生地とカスタードクリームに、数種類のベリーの組み合わせが、テンは昔から気に入っていた。小さい頃は店主と一緒によく作っていたことを、今朝、ぼんやりと思い出し、久しぶりに作ってみた。すると、意外と好評で、おやつタイムを前にパイは売り切れてしまった。仕方なく、追加のケーキを作るために厨房へ入り、華やかに見えるフルーツタルトでも、と思ったら、頭に描いていたフルーツが足りない。


「店長!買い出し行ってくる。材料足んない」


厨房を出て、店主に断りながらスタッフルルームに向かう。


「お~、早く帰って来いよ」


コーヒーを入れながら、店主が応えた。


「店長がサボらなきゃ、早く帰るよ」


ドアノブに手をかけて、テンは、カウンター裏を振り返った。店主は、他人事のように呑気に笑っていた。それに呆れた視線を向けて、テンは愛用のコートを羽織り、勝手口から外へ出た。


この時間は、店が忙しいため、市場へ向かうことは滅多にない。久しぶりに歩く真っ昼間の広場は、朝や夕方とはまた違った賑やかさだ。


広場や通りを行く人々にも華やかな店にも目もくれず、テンは、まっすぐに目的の店へ向かった。


今日の店主は、珍しくギターに触っていない。だからだろうか、余計に、今、サボってるような気がならないのは。


「あ……」


果物を並べた目的の露天は、数メートル先。そこで、テンは、思わず足を止めた。


僅かに波打つ髪を、時折吹く風に遊ばせ、笑みを浮かべて色とりどりの果物を眺める男が1人。間違いなく、先日のギター男。


「テン」


どうしたものか思案していたテンに、横から声がかかった。よく知った声に振り向くと、シディアがこちらへ歩いてくるところだった。


「シディア……何してんの?今、空き?」


「そう。少し前に、本日の講義が終わったところ。今日、夕方まで俺の担当の先生いないし、メシ買って来ようと思ってさ。お前こそ、何してんの?そろそろ、店が忙しいんじゃない?」


テンの背丈は、シディアの首ほどしかない。立ち話するときは、いつもシディアを見上げる形になる。同い年なのに、すらりとしたスタイルのいいシディアは、テンには昔から大人びて見えていた。


「材料の買い足し。朝作った分じゃ足りそうになくて」


 羨ましいのと悔しいのとで、テンは、シディアから目を逸らした。


 そんなテンの気持ちを知ってか、知らずか、シディアは「忙しいな」と笑っている。


「まぁな。店長が、ギターで遊ぶヒマないくらいだから」


 どうしても見上げる気になれなくて、逸らした視線を前へと移す。すると、あのギター男が、果物屋のおじさんとおばさんと、談笑している。


「あの果物屋の客が、何かあんの?」


 シディアも、テンがじっと見つめる先を追っていた。


「この前、リタが話してたギターの人」


「この前……って」


 呟いて、シディアは記憶を探る。


「あぁ!人当たりはいいけど、胡散臭いって人?あの曲を弾いてるっていう」


「そう。……まだ、いたんだ」


 2人して眺めていると、向こうがこちらに気がついた。顔だけこちらに向けて手を振っている。


 テンは、会釈だけを返した。


「店には?来たことあるの?」


 シディアも、テンに遅れて会釈する。


「ない。リタには、今度行くって言ったらしいけど」


 テンは、仕方なく、男のいる果物屋に向かって歩き出した。興味はあるが、あまり関わりたくはない。しかし、買い物をするのは、あの店なのだ。


「何で、ついて来てんだよ。シディア」


 振り向きもせず、テンは、隣に並んで歩いているシディアへ苛立ちをぶつけた。


「俺、この前、あの人のこと図書館で見かけたかも」


「え?!」


 思わず声を上げて、テンは、シディアの方を振り向いた。


「うん。あの時、あれぇって、ヘンな感じしたから覚えてる」


 シディアは、真っ直ぐに男を見つめていた。


 その高さがあれば、もう少し自分が誇らしく思えるのだろう――――テンは、男とは全く違うことに思考を奪われていた。


 シディアが、言葉を続ける。


「見たことないのに、見たことあるような?今、やっとわかった。リタが話してた雰囲気のまんまだからだ。……って、聞いてます?テン?」


 シディアは、身を屈めてテンを覗き込んでいた。


 それで我に返ったテンは、慌てて視線を逸らした。


「聞いてるよ」


「目付き。悪くなってる」


「悪くねぇよ」


「そんなコンプレックスになるほど、小さくないだろ?まだ、高くなんじゃねぇの?」


 フォローの言葉に笑いがのって、テンを更に苛立たせた。


「面白がってるだろ?」


「テンが、まだ伸びるかどうかなんて、わかんないもん、俺~」


 シディアが笑えば笑うほど、テンの機嫌は下降していく。


「こんにちは」


 果物屋の店先で、シディアが先に声をかけた。


 男は、穏やかに笑っていた。


「こんにちは。君も、あの店の店員?」


「いえ、俺は、まだ学生です。こいつの友達で、そこで会ったから」


「そうなんだ」


 シディアは、もう、男と打ち解けていた。


「久しぶり。……えっと」


 捜しているのは、名前だと、テンはすぐに気がついた。


「あれ?こいつと会ってるんですよね?」


 黙ったままのテンに代わって、シディアが尋ねた。


「うん。この町に来た次の日に、お店の前の噴水で。少し話したんだよね?」


 男は、テンへ笑顔を向けて、同意を求めた。


「少し……」


 短く答えると、男は、困ったように笑う。あくまで、男は人当たりのいい態度だ。なのに、なぜか、どこか胡散臭い。


「えっと……ごめん、あの時、名前聞いてたかな?」


「いえ……」


 男は、ホッと息をついた。


「よかったぁ。ど忘れしたのかと思って、どうしようかと思った。それじゃ、改めて」


 男が、ひとつ息をつき、姿勢を正して口元にゆるく弧を描き微笑む。


「俺は、レオン。暫くの間だけど、よろしく」


「俺は、シディアです。よろしく」


 シディアは、何の躊躇いもなく名乗っていた。


「……おいっ」


 シディアに肘でつつかれて促され、テンは、仕方なしに口を開いた。


「テンっていいます」


 よろしくする気になれず、言葉は続けなかった。すると、シディアに後頭部を叩かれた。テンが非難の目を向けると、シディアは、男に苦笑いを向けていた。


「こいつの無愛想は、いつものことなんで、気にしないでくださいね。あなたのことが嫌い、とかじゃないんで。愛想よく笑ってる方が、気持ち悪いし」


 男は、声をたてて、腹を抱えて笑い出した。


 2人とも、ポカンと男を見つめた。


 やがて、男は目尻の涙を拭い、喉の奥に笑いを収めた。


「そっか。いーよ、いーよ。気にしてないし。ある意味、素直でいいんじゃないかな」


「これを素直って言ったの、初めて聞いた気がする」


 茫然としたシディアの呟きを聞いて、男は、また、声をたてて笑った。


「捜してた人」


 これ以上自分のことをネタにされるのが嫌で、テンは、無理矢理に口を挟んだ。


「この前言ってた、捜してた人、見つかったの?」


 男は、テンの問いに、大きくためいきをついた。そこに、続くであろう言葉が含まれているように、2人には感じた。


「全然。町の色んなとこで弾くんだけど、知ってる人いないし、図書館行ったらわかるかもって行ってみたけど、結局、何も分からないまんま」


 店主が弾くあの曲は、この町の誰も知らない、謎の曲だ。分かる方がおかしい。


「あぁ、でも……」


 シディアが、思いついたように口を開いた。テンは、慌ててそれを遮る。


「俺、早く店に戻らないといけないんで。おまえも、のんびり喋ってる場合なのかよ」


「あ、そっか。夕飯、夕飯」


「それじゃ、また」


 無愛想に告げても、男は、人のいい笑みを返してくる。


「うん、またね。今度、ホントに店に寄らせてもらうから」


 男は、通りに並んだ露天を見て回りながら、2人から遠ざかっていく。テンは、声が届かない距離まで遠く離れたことを確認してから、シディアに向き直った。


「喋んなよ?」


 見上げたくない身長差を、今度は、しっかり睨み上げて。


「なぁんで?」


 前々から睨まれているように感じていたらしいシディアには、全く効き目がなかった。


 シディアは、訳がわからないという顔をして、テンを見下ろしていた。


「あの男は、店長が弾いてるあの曲弾いてたって話、リタから聞いただろ?」


「聞いたけど?」


「あいつ、人を捜してるって言ってたんだ。あの曲を知ってる人を捜してるんだって」


「なら、教えてやんないと」 


 ますますわからないと、シディアは、眉を寄せている。


「捜してどうするか、わかんないだろ?礼を言うって雰囲気じゃないと思うし。胡散臭いんだって。それが思い違いならいいけど、そうじゃなかったら、店長が危ないだろうが 」


 納得がいったと、シディアは、今更に、自分の発言の危うさに息を呑んだ。


「……お前が、そんな思いやりの深い奴だと思わなかったけど……それもそっか」


「だから、喋んなよ?あの男と話すときは、気を付けろ」


「わかった」


 状況を理解したシディアに、安堵の息をついて、テンは、果物屋に向き直った。


 シディアは、その背中を見つめていた。


「なんで、専科じゃなくてRufellviaなわけ?」


 スクールでの成績は、テンの方がよかった。


「お前もリタも、その切れる頭をなーんで、カフェで使うかなぁ?」


「何回同じことを言わせんの?」


 テンの言うとおり、この話題は、Rufellviaで働くことになったときから、繰り返している。


「だってさぁ~」


「しつこい」


 テンに一刀両断され、シディアは渋々口を閉じた。

 

 呆れたように息をついて、テンは、店へと歩き始めた。


「あ~、ちょっと!」


 シディアが、テンの二の腕を掴んで引き留める。


「うわぁ!」


 バランスを崩した体を、踏ん張って何とか留まると、テンは、シディアを睨み上げた。


「何?」


「キレイな顔が本気で睨むと怖いなぁ」


 シディアは、余裕で笑っていた。


「何だよ?」


「サンドイッチ作って。もう、あの話題出さないから、サンドイッチ作って~」


 上から見下ろすほどの背丈で、甘えた口調。


「俺よりデカイくせして、何その言い方。かわいくねぇし、心動かねぇし」


「え~?今月あんま余裕ないんだって。な?お願いっ」


「はぁ……」


 情けないと、テンは、ため息をついた。


「何冊何だよ?今月は」


「え?記録更新しそうな勢い。図書館のも入れると、もう、更新してるけど」


「メシ代削って買うなよ、本を……」


「だって、テン。メシは食ったらなくなるけど、本は残るんだから、どう考えたって、メシより本を選ぶだろぉ?」


「俺は、メシを選ぶ。行くぞ」


 捕まれたままだった腕を、今度は、テンが引っ張った。


「作ってくれんの?!」


 嬉しそうな、少し意外そうな声に、テンは、振り向かずに応えた。


「俺は、ケーキで忙しいの。店長に頼め」


「えー?!店長に頼んだら、代金払わなきゃいけなくなるだろぉ?意味ないし!」


「俺、追加分のケーキの材料を買いに来たんだけど?」


「テンからも、店長に頼んでよ~」


「あ~!もう……分かったから、んな情けない声出すな」


「はーい」


 シディアの嬉々として声に、テンは小さくため息をついた。ケーキの前に、サンドイッチか。ケーキの前に、説得か。


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