シディアー2

「戻りました」


 シディアを連れてカウンター裏へ行き、テンは、そこで選択肢を捨てた。店の奥から、聴き慣れた音色が聞こえる。


 リタは、ホールに出たり戻ってきたりしながら、愛想よく客の相手をしていた。レジ横のクッキーは、すでに売り切れている。


 テンは、買ってきたフルーツをシンク脇に置くと、1人、店の奥へと歩み寄っていった。日の当たる、いつもの席で、忙しさを他所にギターを爪弾く店主の元へ。


 タバコをくわえ、紫煙を燻らす口元は、楽しげに弧を描いていた。


「店の状況、見えてるか?店長?」


 怒りたっぷりに見下ろしても、店主は、明るい笑みでのんびり見上げてくる。


「おかえりィ」


「おかえりって……だから、何サボってんの?ギター弾いてるヒマあるなら、デザートのひとつでも作れよっ!」


「作ったよ。客のリクエストにお応えして。お前が戻った時に、たまたま売り切れたの」


「シディアにメシ。サボった罰!」


「罰って、俺の話聞いてたか?」


「さっさと作れよ?時間がないんだから。サンドイッチだってさ」


 言うだけ言って、テンは、カウンター裏に戻って行った。


「ハイハイ、分かりました。サンドイッチね」


 ギター片手に立ち上がる店主の口元は、まだ、楽しげに弧を描いていた。


 2人のやり取りをカウンターから眺めていたリタとシディアは、感心したように息をついた。


「店長に命令してるし……」


 シディアの独り言に黙って頷いた後で、リタも、口を開いた。


「親子げんかって言うより、兄弟げんか?」


 2人は、揃って吹き出した。


 不機嫌顔のテンは、笑い転げる2人チラリと視線をやって、果物と共に、厨房へ入っていった。


「無愛想なウェイター」


 笑いを含ませて、シディアは、テンが入っていった厨房の扉を見つめた。


「いてっ」


 直後、後頭部を叩かれ、シディアは、さすりながら振り返った。店主が、意地悪な笑みで立っていた。


「お前、また本買って、メシ代削ったのか?」


「店長ならわかるでしょ?」


 カウンター裏へ入っていく店主を目で追いながら、同意を求めた。


「まぁ、多少な。本で得た知識は、残るから」


「でしょう?!」


 言い合った当人はいないにも関わらず、シディアは勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべていた。


「良かったなぁ、テンがいいヤツで」


 店主は、サンドイッチを作り始めていた。


「えぇ。いい店長のとこで働いてくれて、ホントに助かってます」


「出世したら、しっかり返せよ?」


「覚えておきまーす」


 店の中に、コーヒーとは別の芳ばしさが広がる。カウンターの向こうで作られているのは、カツサンドだ。


「早く戻るって言ったわりに、時間がかかってたのは、お前と会ってたせいか?」


 油の中へと視線を落とし、僅かに目を伏せている店主には、妙な色気があった。少し真面目な表情になるだけで、店主は、本当に絵になった。店が地味なせいか、それほど有名ではないのが、おしいくらいだ。


「店長、ホント、モデルみたい……」


 噛み合わなかったやり取りに、店主は、訝しげに眉を寄せて顔を上げた。


「お前ら……人の話聞けよ?」


「聞いてます、聞いてます。買い出しの時間がかかったわけですよね?俺のせいじゃないですよ」


 シディアは、慌てて笑みを浮かべた。


 店主は、ため息をついた後で、再び手元に目を落とす。


「前にほら、話を聞いたギターの人見つけて、っていうか、あいつの買い物をする露店の前にいて、向こうに見つけられちゃって」


「そーなの?」


 客を送り出したリタが、扉を閉めて振り返る。


「改めて、自己紹介とかして。あの曲を知ってる人、捜してるんだって?俺、思わず言いそうになっちゃって、テンに怒られた」


「そーなの?!」


 カウンターに戻ってきたリタが、驚きの声をあげた。てっきり、知っているものだと思っていたシディアは、顔を引きつらせた。言ってもいい情報だったのか。


「え?あれ?」


「そっかぁ。やっぱり、そーなんだ」


 リタはそれで納得がいったらしく、スッキリした顔をしていた。


「最初にあの人と話したとき、ギターのことが一番反応良かったから、あの曲を調べてるか、あの曲を知ってる人を調べてるか、どっちかだとは思ったんだよなぁ。やっぱり、そっちかぁ~」


「リタ、なんで人捜しが目的かもって思ったの?」


「曲を解明するためだけに、わざわざ旅しないでしょ?普通。しかも、旅してまで捜し出したいなんて、そうとう好きか、そうとう恨んでるかのどっちかだろうし」


 シディアがリタに感心している間に、注文のサンドイッチは出来上がっていた。耐油性の厚紙で作られた箱に、カツサンドとトマトとレタスのサンドイッチが入っている。


「ほい。ありがたく食べろよ?」


 店主は、それを、店のロゴが入った紙の手提げ袋に入れて、カウンター越しにシディアに手渡した。


「ありがとうございます!助かりました、ホントに」


 シディアが、受け取って席を立つ。


「そんじゃ、またな、リタ。テンにもありがとうって言っといて」


「あぁ。また、情報が入ったら教えるよ」


 扉の鈴が、リンと鳴る。

 きちんと店の正面から出ていったシディアと入れ代わるように、厨房の扉が開いた。捲っていた袖を元に戻しながら、テンが、姿を現す。


「シディア、今、帰ったとこ」


 リタに気のない返事をして、テンは、カウンターから店内を見回した。忙しくなる前の、一時の静けさのように客が引いた店内は、店主がギターを弾いていないせいで、余計に静かに感じた。


「店長……」


 テンの声は真剣な色を含んでいて、瞳はいつになく鋭い。


「ん~?」


 店主は、相変わらず、のんびりと応えた。


「暫く、あの曲は弾くなよ?」


「どの曲?」


 店主が意地悪に訊いた。


「俺が嫌いな、あの曲!……あの、ギター男が、町からいなくなるまでは弾くな」



*   *   *   *   *



 潮風が、長い髪を梳いていく。


 堤防に座り、男が1人、海を眺めていた。僅かに波打つ髪は、西の空に沈む日の光を受けて、オレンジの輪郭を象る。


 男の口は、ゆるく弧を描いていた。


「……海辺の町かぁ……」


 呟く男の琥珀の瞳が映すのは、美しいオレンジの欠片を集めたような海。


 しかし、男の瞳は、闇よりずっと暗い色を宿していた。


「ギターの音色……こげ茶の外観、コーヒー店……」


 口元の笑みが、ゆっくりと深くなる。


「今日も、持ち歩いていればよかった」


 呟いて、足下に視線をやる。


 男は、小さく笑って、すぐに顔を上げた。


「こんばんは、リタ君」


 ジャリっと音をさせて、こちらへ近づいてきていた足音が止まったのを確認して、顔を向ける。人の良さげな笑みを。


 リタは、紙袋を片手に抱えて、男を驚きの表情で見つめていた。しかし、驚きはすぐに、愛想のいい笑みに変わり、軽い足取りで近づいてくる。


「こんばんは~」


 身軽に堤防に飛び乗り、顔を覗き込むように身を屈めた。


「今日は、ギターないんですね?」


 ニッコリ笑って、男もリタを見上げた。


「今、俺も同じこと思ってた。持ってくるんだったなぁって」


「まぁ、夕日に向かってギターなんて弾いてたら、見つけた時点で引き返しますけどね」


 体を起こして、笑みはそのままに見下ろし、軽く毒ついてくる。


「ひどいなぁ」


 男は、困ったように笑った。


 リタが、夕日で輝く海を見つめる。


「店から、ずいぶん遠くまで来たねェ?やっぱり、ヒマなの?」


「あ~、ひどぉ。ヒマじゃないですよ。俺は今日、もう上がりなの!」


 頬を膨らませて、口を尖らせている。


 男は、小さく声をたてて笑った。


「ごめん、ごめん。周りの店と違って、控えめな店だから」


「大きなお世話です!」


 男はまた、声をたてて笑った。


「同じことを、テン君にも言われたよ。この町で、最初にギターを弾いた日に」


「当たり前じゃないですか。あの店で働いてるんだから」


「座る?」


 促すと、リタは、素直に隣に座った。


 まっすぐ海を見つめるリタの顔に、笑みはない。


「いつになったら、飲みに来てくれるの?レオンさん」


 男は、観念したように深く息をついた。リタと同じように、目の前の、オレンジ色の海を見つめる。口元には笑みが浮かんでいる。しかし、琥珀色の瞳に滲むのは、闇の色。


「テン君から聞いたんだ?」


「俺も、ラスティがホントの名前だなんて、マジで思ってはなかったけどさ」


 男は、驚きに、僅かに目を見開いた。


「どうして?」


「だって、あれ……」


 リタは、笑みを含ませ応えた。得意げに笑って男を見る。


「あん時、あんたが呑んでた酒の名前でしょ?ラスティ・ネイル」


 男は天を仰ぎ、声を響かせて笑った。


「まだまだ酒を呑む年じゃないのに、よくわかったねェ?」


 男は、そう言って、また喉の奥で笑った。


「まぁね。本当は、なんて名前なんですか?」


 リタの問いに、男は、口元にだけ笑みを残して彼を見た。


「あれ?レオンって聞いたんじゃないの?」


「それは、いつも行く果物屋の隣に露店出してる店の名前。テンとシディアが、Rufellvia側からあんたに近づいたなら、自然と視界に入る場所に書いてありますからね」


「参ったな。バレバレなんだ?」


 困ったように笑っておくと、リタは、にこりと愛想よく笑った。


「バカじゃないんで」


「テン君の方が、警戒心強いし、頭いいと思ったんだけど……違ってたかな」


「違ってませんよ?」


「じゃ、テン君もわかってるんだ?偽名だって」


「さぁ?名前とか年とか、興味ないかもしれないし、あいつは」


 リタが、堤防の上に立ち上がる。


 男は、同じ表情のまま、彼を見上げた。


「他人にあんまり興味ないから。さすがに、常連客とムカつく客の顔だけは、覚えるみたいだけど。俺も、実際、あんたの名前が、レオンでもラスティでもいいんです」


「そうなの?」


「秘密なのは、別に構わないんですよ?俺が嫌なのは、ウ・ソ・ツ・キ」


 リタは、男を見下ろして、明るい笑みを浮かべた。


「それじゃ、マジで飲みに来てくださいよ?」


 言い残して、リタが、堤防を飛び降りる。


「うん、そうする」


 リタの背中に返事をして、彼を見送る。口元の深い笑みと、闇を宿した琥珀の瞳で。


「おもしろい町だなぁ……」


 男は、海に向かって、あのメロディを口ずさみ始めた。この町で、知る者のいないメロディを。

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