魔術
アルアの町のほぼ中央にある、大きく複雑な構造をした立派な建物。スクール及び専科。テンが、ここを訪れるのは、おおよそ2年ぶりだった。
4年制の専科では、2年になると、希望をすれば、有料の上に狭小ではあるが、個別に勉強部屋が与えられる。今、テンが歩く廊下は、歴史科のそれが並ぶ棟の2階だった。午後の講義が始まってすぐの時間ということもあって、ひと気はない。
今日は、Rufellviaの定休日だ。それでも、昼食の時間より早く起きたテンを、店主は、かなり珍しがっていた。
朝と昼とをまとめて摂ってから、時間を見計らっての外出だ。そのことも、店主は、珍しがっていた。
テンは、シディアのネームプレートが嵌め込まれた扉の前で、立ち止まった。
茶色く塗られた木製の扉に、真鍮の丸いノブがついている。丁度、テンの目の高さに、20センチ四方のすりガラスが嵌めてある。中の様子が、多少は窺えることができるようになっていた。
人影が見えたので、テンは、躊躇なく扉を開けた。
「入るぞ、シディア」
シディアは、部屋の中央に置かれたソファーと小さな楕円のローテーブルで、本を数冊広げて勉強の真っ最中だった。入ってきて、入り口で立ち止まったテンを見て、項垂れながら盛大にため息をつく。
「あのさー、テン?普通は、ノックして、開ける前に『入るぞ』って言うんだと思うけど?開けながら言うなよ、開けながら」
「いきなり開けちゃマズイことでもあるのかよ、ここで」
所狭しと、詰め込むだけ詰め込まれたような本の山を、キョロキョロと見回しながら中へと進んでいく。
「あのさぁ?俺、17よ?男よ?そんて、ここ個室だよ?」
「それじゃあ、今度から」
思い直してくれたかと、シディアは安堵の息をついた――――が、続いた言葉は。
「その覗き窓に、カーテンでもつけるか、扉に鍵でもつけてもらうんだな」
「……だから、ノックして返事を待てってば」
言っても無駄だと思いつつボヤいてから、シディアは、ソファーの背に体を預けた。真剣に本を探すテンの背中を眺めていて、もう一度ボヤく。
「だいたいさぁ、何なワケ?いくら定休日だからって言ったって、入れ代わり立ち代わり……。どーせくるなら、俺の手伝いしてってくれりゃいいのに」
「何だよ、入れ代わり立ち代わりって」
肩越しに、テンは、シディアを振り返った。
「朝は、リタが来てたの。お前みたいに、本を探して持ってった」
テンは、本を探す手を止めて、体ごとシディアを振り返った。
「リタが?」
「そう」
「何の本?」
「魔術の関連書を、持てるだけ」
「魔術の?」
「あぁ、今頃、家で読み耽ってるんじゃねぇの?だから、同じの探しに来たんなら、リタのとこ行けよ?」
「違うっつーの」
目的の本を探すため、テンは再度、本の山に向き直る。
「探してやろうかぁ?」
意地悪に笑っているのが、背を向けていても声音でわかった。企みはわかっている。
「その代わり、それ手伝えって言うんだろ?結構です」
「ちぇ~。そもそも、お前もリタも、何で図書館行かないの?」
「マニアックな本なら、図書館よりここのが揃ってる」
「金取ろうかなぁ~。俺の大事な資料なのにぃ」
「サンドイッチの礼」
「そこにつけこむ?で?何探してんの?」
目につく限りの本を一つずつ見ていたテンは、息をついて体を戻した。
「この町とか、国とかの……」
「もしかしなくても、史書?」
訝しく眉を寄せて、シディアは、ソファーから立ち上がった。
「史書ねぇ~……」
テンの傍らに立ち、顎に手をやって、シディアは、天井まで高さのある本棚を見上げた。一点を見つめている。
それに気づいたテンは、シディアの視線を辿って、本棚を見上げた。
「……あ」
シディアが、じっと見上げる先にあるのは、正に、テンが探していた本だった。
「ここ、一応片付けてんだ。頭に入ってるのは、上で、まだまだ読み足りないのは、下の方」
シディアは、軽く見上げているが、テンにとっては遥か頭上。テンは口を尖らせて、目当ての本を睨み上げた。明らかに、手が届かない。踏み台は使いたくなかった。
棚に片手をかけて、できる限り手を伸ばす。
取りたい本は、必死に伸ばす手の数センチ先。
隣には、にやにやと意地悪な笑みを浮かべるシディアがいる。
「何か言うことあるんじゃないの?テン?」
「……ねぇよ、別に」
見上げているこの身長差が癪で、わかってはいたが、どうしても手が届かないことが、いつに増して悔しい。
「いい本だと思うけど?」
得意気で、勝ち誇ったような笑顔が憎たらしい。
しかし、本を借りに来たのは、暇つぶしではない。あの男のことを調べるためだ。
「貸して……」
不貞腐れたまま、テンが呟く。
「いいよ。……で?」
シディアの意地悪は続いた。
悔しさを通り越して、一瞬、怒りを感じたが、借りていきたいのも事実。
「その本、取って」
声に、しっかり怒りがこもっていた。
途端、シディアは、我慢できない風に吹き出して、ケラケラ笑い出した。テンに言われた本を2冊取って、彼に手渡すと、笑いながらソファーへ戻っていく。
「おもしれぇ~!もぉ、お前ら最高~!」
ソファーにどかっと腰を下ろし、笑い顔はそのままにテンを見上げる。
テンは、不機嫌に眉間に皺を寄せた。
「正反対すぎだって!リタなんて、俺が時間ないって言ってんのに、一緒に探させた上に、当然のように『それ取って』だってよ?」
「何、それ。リタの時は、素直に探して何も言わずに取ったのかよ」
「だって、お前……」
シディアの顔から、ふと、からかいの色が消える。
「俺がテンに勝るものって言ったら、本と背しかないんだもん。こういう時くらい、優越感味わっても、罰当たんないっしょ?」
ふざけるな、と返すはずが、テンを見上げるシディアの淋しさとも悲しみともつかない笑みに、口をつぐむほかなかった。詫びも礼も、適当じゃない。何を言っても、嫌味にしか聞こえない気がした。どんな顔をしたらいいかわからず、テンは、本2冊を脇に抱えて扉へ体を向けた。
「サンドイッチでいいのか?」
素直じゃない、不貞腐れたような声音しかでなかった。
「へ?」
シディアからは、間の抜けた声が返ってきた。
「本の礼。……サンドイッチでいいのか?」
何故かわからないが、顔が熱かった。
横から、シディアの笑い声が小さく聞こえた。
「あぁ、月末辺りに頼む」
「まいど」
本に手が届かないことも、適当な本をすぐに探し出されたことも「悔しい」ではなく、「羨ましい」。自分がシディアに抱くように。シディアも同じのだけ、もしかしたら、それ以上に抱いていた感情。
それは、知ったところで、今のテンでは、どうしようもないものだった。
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