第30話
店内に四枚、入り口のガラス戸に一枚チラシを貼りつけた。仙造は真っ新の前掛けの紐をきりりと締めて開店に備えた。ふっと二十年前に店を出したときのことを思い出す。新鮮な気持になった自分が少し気恥ずかしく思えた。
しかし世の中はそれほど甘くはなく、夫婦の意気込みとは裏腹に、珍湯麺が厨房に通されたのは、わずかに十杯だけだった。
開店時間の間はそうでもなかったが、店の灯りを消したとき、仙造もとみ子も抜けると思われるほど肩の力を落とした。
さすがにきょうばかりはとみ子に気を遣った仙造は車のエンジンをかけながら、
「なあ、とみ子、どこかで何か食べて帰ろうか?」
と、慰めを込めて優しく声をかける。
「いいけどォ」――心なしか声に艶がない。
「元気を出せよ。勝負はこれからじゃないか。確かに俺も気が抜けたのは事実だ。でもこれからが勝負だ。もっと前向きに行こう――明日がないわけじゃない」
仙造たちは家の近くで遅くまでやっている居酒屋の暖簾をくぐる。ふたりはたまにこの店に顔を覗かせる。家に近いこともあって、アルコールを口にすることができた。ここからならとみ子に運転を任せても大丈夫だからだ。
とりあえず仙造はビールと戻りカツオの刺し身を、とみ子はアジの干物と野菜の煮物を注文する。
仙造は旨そうにビールを流し込んだ。とみ子は運転があるので控えている。
「元気を出せよ」
とみ子の憔悴した顔色にたまらず口から出た。
「うん、わかってはいるんだけど――」口ごもるように呟いた。
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