第7話

 とみ子が入り口の戸を開けて暖簾を仕舞う。

 今夜の客は、寂しいことにたったのふたりきりだった。

 言葉もないまま駐車場まで歩いたふたりは、ドアを開けて車に乗り込もうとしている。

 初秋の匂いを湛えた冷ややかな空気に包まれた。車の中でもお互いに頭の中に思い浮かべていることは充分わかっているだけに、それがふたりを必要以上に寡黙にさせる。


 仙造ととみ子の間にはふたりの子供があり、娘はすでに嫁いでいるが、息子の方は京都の私立大学の学生で、少なくともあと二年は仕送りを欠かすことはできない。

 しかしふたりとも手元から離れているために、母親のとみ子は仙造を手伝って気兼ねなくこの時間まで働くことができる。子供が傍にいたらそうはいかないであろう。それはそれで不必要な出費を避けるためには都合がよかった。


 仙造の家は、店から北西の方角に車で三十分ほどのところにある新興住宅地にあった。

 十五年ほど前にとみ子がどうしても欲しいと必要以上にせがんだために、三十年のローンを組んで購入した。

 正直なところ、仙造は同じ形の代り映えのしない建売りに気が向かなかったが、とみ子がその気になってしまって後戻りができなくなったのと、自分の収入からしてそこらあたりが分相応と諦めて購入を決心した。

 新居に移り住んだ頃のとみ子は、水を得た魚のようにいきいきとして嬉しそうな顔をして、店に出ることもなくまだ小さかった子供たちを育てるのに専念した。

 いまから考えると、それもまるで夢のような時代で、満天軒も使用人が三人ほどいて経営状態もけして悪くなかった――。


自宅駐車場に車を停めると、とみ子はいち早く車を降りた。

蒼く冷たい闇に包まれた夜気の中から途切れ途切れに聞こえる虫の音が、もの寂しい季節が近付いたのを報せる。

四、五段の階段を駆け上がるようにすると、灯りのない家の玄関を開けた。家の中の必要な灯りをすべて点け、真っ先に風呂の用意にかかる。毎日のことなので自然と躰が勝手に動いた。


仙造は早々とパジャマに着替えると、冷蔵庫からビールを取り出し、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。

仕事が済んで家に帰って飲むビールを何よりの楽しみにしている。仙造は、グラスに注いだビールを一気に咽喉の奥に流し込んだあと、一日の仕事に区切りをつけるように大きく息を吐いた。

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