第3話

 コーヒーがくるまでのあいだ新聞を読もうとして拡げたものの、活字を拾うことができない。まだ店のこれからのことを引き摺っている。

「はーい、お待ちどうさま」

 ママはどこまでも陽気に振舞っている。

「ねえ、ねえ、満天さん、またラーメン屋ができるんですってね」

「そうらしいな」

 仙造は新聞を畳むと、カップに砂糖を三杯入れ、掻き廻さないままひと口啜った。

「店の名前は『偉龍如』っていうらしいの」

「イリュウジョ? また変わった名前をつけたもんだな」

「そうよね。だからあたしも気になって、工事の人に訊いたら、イリュージョンをもじってつけたって言ってたわ」

 ママは得意げな顔になって店の名前の由来を説明した。

「ふうん」

「このあたりも益々競争が厳しくなるわね。満天さんも他所に負けないように頑張ってもらわないとね」

「どうせ本気で言ってないだろ?」

「そんなことないわ、満天さんはうちの古いお客さんだから、本当に気にかけてるのよ」

 ママはトレーを胸のところで抱えたまま、真剣な顔付きになって弁解した。

 仙造は黙ったままテーブルに視線を落し、何かを考えるように冷めたコーヒーを口に搬んだ――。

 一時間ほどで仙造は店に戻ると、とみ子は顔を上げることもなく開店前の掃き掃除をしていた。平日の昼間はパートの主婦をひとり、土日祝日はアルバイトの学生をふたり雇っているので、掃除をするのは彼らに任せておけばいいのだが、平日の夜は夫婦ふたりだけで切り盛りしているために当然店の雑用はとみ子の役廻りとなっている。

 店の経営が思わしくないのを充分承知しているとみ子は、掃除をするくらいのことは苦労とも思っていない。それより少しでも亭主のちからになって、一日でも早く銀行からの借入を返済したいという気持が先に立った。


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