第2話

「わかってるよ。そんなこと言ったって、店を出すななんていえねえだろ。俺だっていろんなことを考えてんだから、傍からゴチャゴチャ言うんじゃねえよ」

 何かに神経質になっている仙造は、いわれたくない言葉を聞かされて色をなす。これまでにこういった言い方はあまりしたことがない。

「だって、あんた……」

 とみ子はそこまで言って口を噤んだ。女房はわかっていた。これ以上話せば口げんかになることは間違いない。これまで亭主の呻吟を目の当たりにしていることもあって、あまり神経を逆撫でしないでおこうと思った。


 仙造は絶えず背中を押されるような焦燥感に見舞われている。大袈裟ではなく、店が増えはじめて以来ここ七、八年ずっとそんな調子だ。

 かろうじて昔から満天軒の味が好きだと通ってくれる常連客があるものの、それだけでは店は成り立っていかない。いくらラーメン造りがライフワークだといっても、これ以上借金を拵えてしまうことは、すべてを失うことに繋がる。そうしないためにも新規の客を呼び込んで売上の向上を計らなければならない。

 かといって急に店の味を変えることができないため、毎日のように店の今後に苦悶しつづけるのだが、こればかりは自分の領分だと心しているので、女房といえど一度も相談したことがない。

 仕事もさることながら、店や家族のことを思い、細かい部分まで気を配っている自分の気持を理解してくれているとは思えないということもあった。


 夕方五時の開店時間まで少し暇があった仙造は、白衣を脱ぐととみ子に店番を頼んで外に出た。胸ポケットからタバコの函を取り出して火を点けると、わざとゆっくりとした仕草で西に向かって歩き出した。

 新しく店のできる方向だ。仙造は女房の手前、ひたすら無関心を装っていたが、内心はやはり気になってしかたがない。


 五、六十メートル歩いて工事中の店の前まで来ると、自然と足が停まった。

 間口三間ほどの店は、ほとんど自分の店と同じくらいだった。店内は開店に向けて四人の作業員が急ピッチで内装工事をすすめている。

 若者や女性受けする流行の内装に少し目が行った。自分の店は開店した当初から一度も改装してないために、新しい店と較べると見劣りするのは当然である。そんな店と張り合うには、やはり借金して改装をしないと太刀打ちできないかもしれない、とタバコの烟を吐きながら考えた。

 頭の中ではわかっているのだが、思うようにならない苛立たしさが肩のちからを奪う。

 思わず見上げた空は、ひ弱な西日が脇目も振らずに帰り道を急いでいるように見えた。まるで自分の気持を映しているような夕景色だった。



 仙造はそのまま店の前を通り過ぎると、嫉妬と焦燥が綯い混じりになった胸のまま、その先にある行きつけの喫茶店に向かう。いつもこの時間は比較的空いているので、スポーツ新聞や週刊誌がゆっくり目を通すことができた。

「いらっしゃい、いつものでいい?」

 喫茶店のママは、仙造の複雑な心境を測ることもなく、いつもと変わりない明るい調子で訊く。

「ああ」

 仙造はスポーツ新聞を手にすると、ママを見ることもなくいつもの席に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る