一般将兵の場合

琵琶湖の遊底部

夜哨飛行

 重低音のうなり。発動機と風がもたらす振動。防弾ガラスの窓からは、星のまたたき以外の光は見えない。操縦席内もまた、計器の蛍光塗料だけが、ぼんやりとした曖昧な明かりを放っている。

「間もなく変針。方位二-四-〇へ」

 伝声管から相方の声がする。ぶっきらぼうで、素っ気ない女の声。だが、それはお互い様のこと。

「了解。変針、方位二-四-〇。用意よし」

「三〇秒前」

 相方の秒読み。少し、耳心地が良いと思う。しかし、変針に備えて気を引き締める。

「五、四、三、二、一、……変針」

「変針する。方位二-四-〇」

 操縦桿を傾け、指示通りの方位へと機体を変針させる。夜の飛行では、操縦士にとっては計器が頼みの綱だ。まして、新月の夜では、一瞬で方位を図る指標がほとんど無い。方位計の表示を信じられなくなったら、終わりだ。

「マナス=レイヨ諸島付近です……」

 今回の夜間飛行の目的地が近づいてきたらしい。だが、膝のほぼ真下にある下方偵察窓からは、墨を流したような海面しか見えない。

「……旋回する。島はどちらか」

「右旋回でマナス島が見えます」

「了解した。右旋回する。後席は右方監視」

「了解。右方監視」

 むろん、航法が間違っていれば、島など見えない。はたして、暗闇の中に、黒々とした塊が鎮座している様子が分かった。

「海岸線の特徴から、マナス島と判断します」

 相方の言葉に何も返さず、目を凝らしてマナス島を見る。




 ここ一ヶ月、アスリー大陸南の沿岸航路を航行する船に細々とした被害が出ている。夜間、航行中に雷撃と思しき攻撃を受ける事例が、全部で一〇件ほど起きていた。

 最大の被害は、海軍の給油艦が被雷した件だ。搭載重油への引火で、乗員が艦を放棄した後も沈まずに一昼夜燃え続け、雷撃処分に至ったという。だが、それ以外は大破──水線下に破孔ができて浸水──し、やむなく座礁というものばかりである。

 被害の原因究明が進められ、当初は機雷によるものではないかと考えられた。当該海域は大陸棚の張り出した遠浅の海で、潜水艦の活動は困難である。だが、掃海活動を行っても一つたりとも機雷は発見されず、その掃海艇も被雷するに至って連合王国海軍の潜水艦が策動している可能性が急速に現実味を帯びた。

 遠浅の海であるため、大型潜水艦の活動は困難であり、中型または小型潜水艦という推測がなされた。だが、航続距離の関係から、中型より小さい潜水艦がアスリー大陸にある連合王国の軍港を拠点に活動することは現実的ではない。そうすると、連合王国が秘密裡に根拠地を作り上げた以外に、腑に落ちる説明はできなかった。

 根拠地があるとすれば、それは恒久的なものではなく、あくまでも応急的かつ使い捨ての、簡易なものだろう。南ガルディア海に浮かぶ、マナス=レイヨ諸島を始めとする“南方小島群”は、距離的にも規模的にも、中途半端だからだ。しかし、海洋遊撃隊をかくまうには、これほど適した場所も無い。要は、時流が海洋での遊撃作戦を求めるか否か、そこにかかっている。

 帝国と連合王国の間で始まった、否、再開された幾度目ともつかない戦争行動は、外交筋の努力虚しく、もう一年続いている。双方とも正攻法で行き詰まり、奇手に走る頃合いであった。




「なにか……いる……」

 口から零れた、と形容するのが正しい呟きが、相方からもたらされた。次いで、変針時に聞いたような芯のある声で報告が飛んでくる。

「四時下方、島の沿岸に艦影らしきもの……数、一」

 機体配置の関係上、操縦席から四時方向は見えづらい。それでも、報告から感覚的に概略を掴むことはできる。

「反転し、上空を航過する。……吊光弾用意!」

「了解! 吊光弾用意」

 こちらの秒読みは、相方にとって耳心地が良いものだろうか。機体を操りながら、ふと、そんな他愛のないことを思い付く。しかし、投下の時期を計るのは相方の方が適切だろう。

 相方が床下の投下窓を開けたのか、機内に冷たい空気が流れ込んでくる。

「投下準備よろしい」

「了解。投下時期は任せる。針路指示頼む」

「了解。宜候」

 相方は秒読み宣告をしなかった。当然と思うが、同時に残念にも思う。

「投下、投下!」

 発動機の音と風切音に負けないよう気を張った声が、機内に響く。吊光弾投下時は、その光を直視しないように注意が必要だ。下手をすると計器すら読めなくなり、機体の下降も把握できずに墜落する。だから、利き目である左目を閉じ、少しの間、右目だけで世の中を見ることにした。

 相方の声から五秒後、機体の後下方から明かりが差したことが分かった。経験に従い、照らし出された対象が見えやすく、かつ、光源を直視しづらい位置に機体を持っていく。

「どうか」

「……! 潜水艦発見! スコンベル級と思われる」

 スコンベル級は、連合王国海軍の中型潜水艦だ。但し、あまり新しいものではない。諜報活動によって、ある程度の性能が把握されているほどだ。それだけに信頼性が高く、不具合が出づらい──もしくは出ても直しやすい──ので、こんなところまで来て秘密裡に作戦行動が取れたのだろう。

「甲板上に多数の人員、物資を確認」

 どうやら出港間際だったらしい。こちらは招かれざる客ということだ。

「攻撃をかける。状況を打電せよ」

 宣言すると、一時マナス島から距離を取る。あまり時間は無い。潜水艦は発動機で航行できるから、立ち上がりが早い。潜航されてしまうと、この墨を流したような海から見つけ出すことはできないだろう。可能な限り早く攻撃をかけなければいけない。

 冷静に現状を確認していく。

 高度約二〇〇〇メートル、時速約四〇〇キロメートルで東へ向けて飛行中。マナス島は海岸線延長一〇キロメートルほどの小さな島だ。その島の、崖だらけで樹木が張り出している南岸の一部に、対象のスコンベル級がいて、隠れ蓑にしていた樹木の張り出しから、その艦体を出そうと東進しかけているところだ。潜水するには深度が足りないのか今は水上航行をしているが、状況的にいつ潜航を開始するとも限らない。

 手持ちの得物は両翼に下げた六〇キロ爆弾二発、そして両主翼内蔵の二〇ミリ機関砲。潜水艦は船殻に穴が開くだけで潜航できなくなるから、時間が無いこともあり、機関砲で掃射をかけることにする。ただ、相手も黙って撃たれてくれる訳ではない。

「機銃掃射をかける」

「識別表では、備砲のほか、重機二挺、軽機二挺を装備しています。接近時は注意して下さい」

「了解した」

 この際、備砲は怖くない。ろくな照準装置も無い潜水艦の単装砲だ。航空機にはほとんど命中しない。だが、機銃が多いのは難点だ。連合王国の重機は低伸性が良いから、こちらの射程外から当ててくるかもしれない。

 襲撃方向を考えてみる。

 照明弾は、スコンベル級の艦尾方向、つまりマナス島の南西側の海上で未だ光を放ちつつ空中にある。照明弾の方向から進入するのは、こちらの目が幻惑される可能性が高いことに加えて、敵からは機体が見やすくなり、論外だ。艦首から接近すれば、照明弾は敵艦の背後に位置することになり、闇夜に艦影が浮かび上がって撃ちやすくなるが、それだけに敵も予想しやすい襲撃方向である。加えて、細長い船体に対して撃ち掛けることになるため、命中を期しがたい。敵艦の左舷側は島があるため、銃撃の間合いが取れない。

「敵艦の右舷側から掃射をかける」

 色々と考えを巡らせた挙げ句、常識的な行動に出るにした。よくある事だ。

 東に向けていた機首を南に向け、大回りをしてマナス島の南海上から北上する。東進するスコンベル級は潜行深度が確保できないのか、浮上したままだ。速度が遅いため、島からも充分に離れていない。スコンベル級の艦尾に浮いていた吊光弾は海に着水し、しばし海上から明るさを放っていたものの、はかなく消えた。

 緩降下をかけながら、閉じていた左目を開く。右目の暗順応は失われてしまったが、閉じていた左目は新月の夜に慣れた視界そのものだ。

 真っ暗な世界しか見えない右目に、ぼんやりとした左目の視界が重なり、コラージュでもしたかのようにスコンベル級が闇に浮かんで見えた。

 そのスコンベル級の中央部から、いくつか火線が伸びた。断続的な曳光弾の明かりが、線香花火のように闇夜に散る。

「きれいだな……」

「冗談ではありません」

 思わず口から漏れたつぶやきに、後席が非難の声を上げてきた。軽く笑って謝罪して、口を真一文字に結び直す。

 二〇ミリ機関砲の間合いは、近くて遠い。航空機から放つ機関銃は、あたかも刀で斬り付けるかのようだ。飛び道具とはいえ、間合いに入るのは一瞬の出来事で、地上の機関銃射撃とは趣が異なる。

 近づくにつれて、スコンベル級から放たれる火線がこちらに収束してくるのが分かる。曳光弾が光を放ちながら近くをかすめ、銃弾が放つ殺気をかすかに感じる。だが、致命的なものではないと割り切り、重くなっていく操縦桿を押さえつける。

 動力降下するため緩降下は急降下よりも速度が出る。高速域では、補助翼の動きが操縦桿に跳ね返ってくるため、制御が難しいのだ。鍛え上げた自らの体に自信があるとはいえ、女は女だ、ということを否が応でも認識させられた。

 連合王国では、帝国と違って女は軍人になれないと聞く。なぜなのだろうか。彼らを殺そうとしている自分は、紛れもなく女で、このように軍人として戦っている。

「生きていたら、聞かせてもらえるかな」

 吐き出した言葉と同時に、機関砲の射撃を行う。重量級の弾丸が飛翔する様が、コマ送りしたフィルムのように見えた。曳光弾の明るさが、うとましく思ったほどだ。

 砲口から放たれた獰猛な式神達は、潜水艦の艦橋付近に集中して食いついた。艦橋上に居た人間を破裂させ、機関銃をねじ曲げ、外殻に穴を穿孔する。遠くのはずの光景が、左目を通してはっきりと見えた、気がした。

「機首を上げて!」

 後席の、珍しく慌てた言葉にハッとして操縦桿を引く。その一言が無ければ、スコンベル級に突っ込んでいたかもしれない。ゾッとしない話だ。

 掃射をかけると後追いの射撃が怖いものだが、はたして見えたものが幻覚では無いということか、スコンベル級からの射撃は止んでいた。

「……戦果確認頼む」

 機首上げが遅れた事の気恥ずかしさから、ややぶっきらぼうな口調で後席に伝える。それでも彼女は、仕事は仕事として割り切って、冷静な口調で返してきた。

「艦橋付近に集弾した模様。外殻損傷状況は不明なれども、艦橋およびその周囲の銃座、損傷は確定したものと認む。……どうしますか」

「発光信号用意。降伏勧告を行う」

「降伏勧告……ですか」

「生け捕りにしたら、大戦果になる」

 普段なら、思い付かない事だった。気まぐれに後席を付き合わせるのは悪い気がしたが、それでも、スコンベル級の面々と話をしてみたくなった気持ちを、抑える事はできなかった。それが実現できるかどうかは、別として。

「……分かりました。機長の判断を尊重します」

 後席は、渋々という様子で信号灯の用意を始めた。

 その間、機体を操ってスコンベル級の上空で示威的な飛行をする。主翼に吊った爆弾は、新月の夜とはいえ、機体をつぶさに観察すればすぐに分かるだろう。

「文面は『降伏せよ、さもなくば撃沈す』……で、よろしいですね」

「それで任せる。……送信が終わったら、現状の報告も頼む。平文でいい」

「分かりました。貧乏暇無しですね」

 後席のぼやきを受け流しながら、長い夜に備えて眠気覚ましの薬草錠剤を噛み込んだ。舌を刺すような鮮烈な感覚に、目尻に涙が溜まる。

 夜はまだまだ、長かった。

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