アルヴィース家の当主Ⅳ

 先ほどの地下とは比べものにならないほど、そこは冷たい空気が流れていた。寒気と恐怖で震えそうになる身体を叱咤しながら走る。


「気をつけてくれ、アミカっ。ここからはいつ夜魔が出てきてもおかしくない。それに、ひょっとしたら屋敷を襲ったヤツが追いかけてくるかもしれない」

「はい! この命に代えても、リゼル様をお守り致します!」


 『魔力灯カンテラ』の弱々しい灯りを頼りに進んでいく。


 ――アルヴィースのダンジョン。


 それは、古くからこの地に存在する夜魔たちの住処だと云われている。中は迷路のようになっていて、一体どこに繋がっていて、どこまで長いダンジョンなのかも未だに把握されていないらしい。

 試練に使われている今は弱い夜魔しかいないみたいだけど、アルヴィースの歴史はここから始まり、歴代当主たちはここで己の勇気を試したという。父上も、剣を取り戦った。そして、ダンジョンのどこかにある“家宝”に認められることで当主になれるんだ。そして、当主になればアルヴィースの司る強大な力が手に入るらしい。


 剣を握る手に力がこもった。

 僕も、必ず試練を乗り越える。

 当主の力を手にして、地上へ戻り、父上と母上を――ミリアを殺した夜魔をこの手で倒す!


 そう決意を改めたとき――


「リゼル様っ!!」

「っ!?」


 突然後ろからアミカに突き飛ばされる。

 前のめりに転んだ僕は、手放してしまった『魔力灯』を拾い、そちらを見た。すると通路の脇から飛び出してきた黒い影のような固まりが馬乗りになってアミカを襲っている。


「アミカッ!」

「ぐうっ……やあっ!」


 アミカは黒い影を蹴り飛ばし、素早く身を起こすと影に飛びかかり、左手に持っていたナイフで突き刺した。すると影はシュワアア……と霧散して消えていく。


「アミカ! 大丈夫かっ!?」

「私は平気です! リゼル様はっ?」

「ぼ、僕も平気だ。それより、今のが……夜魔なのか……」


 僕が見るのは初めてだった。暗くてよくは見えなかったが、間違いなく人ではない。獣でもない。異質な怪物だった。

 屋敷を襲ってきたのは、きっと今のヤツとは比べものにならないほど強いはずだ。そんな得体の知れない悪魔への恐怖が実感となって僕を襲ってきたとき、アミカがその目を光らせて僕の方へ走ってきた。


「伏せてくださいっ!」

「!!」


 アミカの声に従い、身を屈む。すると何かが僕の頭上を通り抜け、アミカへと飛びかかっていった。

 別の夜魔だ!


「アミカ!」


 僕は剣を握ってアミカの加勢をしようとしたが、夜魔と対峙するアミカはナイフで攻撃を防ぎながら叫んだ。


「私のことはいいです! 先へ向かってください!」

「アミカ……け、けど!」

「私のお仕事はリゼル様をお守りすること! すぐに追いついて、ダンジョンの夜魔なんてみんな倒してやります! 伊達にアルヴィース家で鍛えられていません!」


 アミカは戦いながら、それでも苦しげな顔を見せず僕に笑いかけた。

 彼女は僕を守るために、いつも頑張ってきてくれた。どれだけ辛い訓練でも、泣き言を言わず耐えてきた。そして――僕には常に笑顔を見せてくれた。


 そうだ。何のためにここへ来たんだ。

 僕は前に進まなきゃいけない。アミカのためにも。必ず、試練を乗り越える!


「――わかった! 必ず追いついてきてくれ! アミカ!」

「お任せ下さい!」


 その返事を背中で聞き、僕は走った。



 一体どれくらいの時間が経っただろう。

 何度か夜魔と遭遇し、必死になって戦った。傷を負っても走り続けた。呼吸を整えきれなくなり、脚が重くなって、『魔力灯』の灯りがとうとう消えかけた頃に、僕はようやくそこへ辿り着いた。


「――ッ!」


 入り組んだ通路ばかりのダンジョンで、突然開けた空間が現れたのだ。

 中へ進むと、中央に棺のようなものが置かれていた。そして、棺にはアルヴィースの紋章が刻まれている。


 間違いない。あれが、アルヴィースの家宝だ!


 駆け寄った僕は近くの床に『魔力灯』を置き、棺をそっと開ける。



 すると――その中にあったものは小さな“手鏡”だった。



「……これが、アルヴィースの……家宝……?」



 手鏡を取り出す。

 どうみても、ただの鏡だ。装飾が派手ということもなく、ツヤのある黒い素材で作られた、一般的な手鏡のように見える。高級そうではあるが、別段変わったところはない。


「これに……認められたら、いいのか……?」


 手鏡で自分を見てみる。

 そこには、当然ながら僕が映っているだけだ。ここにも特に変わったことはない。身体に変化が起きた様子もない。

 なんだか拍子抜けな結果に、僕は少し気が抜けてしまった。


 そんなとき、後ろから声が掛かった。


「――リゼル様!」

「! アミカっ!」


 追いついてきてくれたんだ!

 アミカは汚れたエプロンドレス姿で、ボロボロになりながら僕の元へ駆け寄ってくる。お互いに無事を喜び合った後、僕は手鏡のことを話した。


「アミカはどう思う? この手鏡が僕を認めてくれたら当主になれるらしいけど……よく意味がわからないんだ」

「んっと、そうですね。もう鏡は覗かれてみましたか?」

「ああ。けど何も起きなかった。アルヴィースの家宝というくらいなのだから、ただの鏡じゃないんだろうけど、結局、これはどういう道具なんだろうか……。何かの魔術を込めた魔導具なのかな……」


 改めて手鏡を見つめてみる僕。

 アミカがそんな僕を見て胸をなで下ろした。


「何も……そうですか、よかったぁ。ホッとしました」

「え?」

「聞いたことがあります。アルヴィースの家宝は己を――自分の心を映し出すものだと。さらけ出したその心を認められたとき、強大な『王』の力を授かるそうです。ですが、認められなかった場合には鏡に呑み込まれてしまうのだとか」

「吞み込まれ……!? そ、そうだったのか。じゃあ、呑み込まれなかった僕は……」

「はいっ、おめでとうございますリゼル様! リゼル様は、アルヴィース家の現当主となられたんです!」

「僕が……当主に……」

「やりましたね! リゼル様っ!」


 アミカの優しい笑顔と祝福の言葉を受けて、じわじわと胸に熱いもの込み上げてきた。


 そうか。僕はなれたのか。試練を乗り越えられたのか。

 いや――きっと一人じゃ無理だった。

 アミカがいてくれたからだ。

 彼女がずっと僕を支えてきてくれたから、


 だから僕は、改めて感謝の言葉を伝えたかった。



「ありがとうアミカ! 僕はずっと、ずっと君の――――――」


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