アルヴィース家の当主Ⅱ


「!?」


 思わず身構える。

 控え室の扉に、何か重たいものが衝突した。そんな大きな衝撃音がした。またミリアの悪戯かとも思ったが、さすがに先ほど怒られたばかりでそれはないだろう。


「……なんだろう?」


 疑問に思いながらそちらへ向かう。

 衝突の影響か、扉はもうわずかに開いていた。


 キィ、と軋んだ音がする。



 扉の向こうから――濃厚な血の臭いがした。



 扉を開く。



 そこで――血だらけのミリアが倒れていた。



「――ミリアッ!?」



 すぐに抱きかかえる。すると僕の手にべっとりと熱いものが付いた。

 血だ。

 ミリアの腹部に空いた穴からこぼれだすドロドロとした鮮血が、妹の綺麗なドレスを真っ赤に染めている。

 意味がわからない。

 血が出ている。大量に。どうみたって致命傷だ。なんだこれは。何が起きた? 何が起きてる?

 わからない。わからないっ!


「ミリア……ミリア! ミリアッッッ!」


 必死に名前を呼び続ける。

 すると、ミリアが生気のないうつろな瞳で僕を探した。


「……お…………さ、ま…………?」

「ミリア!」


 ふらふらとした、ミリアの小さな手が彷徨うように上がる。僕はそれを強く掴んだ。


「ア……………………に…………げ、て…………くだ…………」

「喋るなミリア! すぐに医者を呼ぶ! 今日は優秀な医者が何人も来てくれているからすぐに助かる! 待ってろミリア!」

「お……い…………さ、ま………………り、っぱ……な………………やく、そく…………」


 ミリアは弱々しく微笑み、一筋の涙をこぼした。

 それを最後に、ミリアの全身からぐったりと力が抜けたのがわかった。


「……ミリア?」


 僕はすぐに理解した。

 この手の中で、一つの命が消えたことを。


「ミリア…………みり、あ……」


 でも信じられなかった。

 信じたくなかった。

 彼女が産まれたときは嬉しかった。

 そのときに誓った。

 兄として、必ず妹を守る。

 ミリアを守る。

 そう、誓ったのに。


「あ…………あっ、うあ、う、ああああああああああああああああああっ!!!!」


 僕は泣きながら絶叫し、ミリアを何度も抱きしめた。

 もう妹が応えてくれることはない。

 僕に悪戯をして、甘えてくることもない。

 それでもまだ、まだ、どうにかなるかもしれない。

 僕はかすかな希望にすがり、ミリアを残して走った。ミリアの血の後が残る廊下を全力で走った。


 そして、大広間の扉を開く。


「父上! 母上! ミリアが――――――」


 僕の声はそこで止まった。

 そして、自分の目を疑った。


 地獄だった。


 血だらけの広間で、皆が倒れていた。

 壁や天井は燃えさかり、バチバチと家が焼かれる音がする。

 起きているものは、僕を除いて一人もいない。

 母は入り口のすぐそばでうつ伏せに倒れていた。叔父も叔母も、医者も、先ほど僕に声を掛けてくれた多くの人も、皆、倒れ伏していた。身体中のいろんなところに穴が空いていた。


「…………あ、ぁ、あっ…………」


 死んでいる。

 数百名いた客人が、皆、血を流して絶命していた。燃えていた。溢れ出す死の臭いを取り込んだとき、僕はその場で嘔吐した。あまりの凄惨な光景に立っていることも出来ず膝が崩れたた。現実が現実であると認識することも出来なかった。


「ぐっ、げほっ、はっ、はぁ、はぁ、はぁ……!」


 必死に呼吸を整えようとする。そのたびに血と煙の臭いが鼻をつく。

 それでも僕は立ち上がった。

 そして、壇上に父がいるのが見えた。

 父の身体は――わずかにまだ動いているように見える。


「……父上。父上っ!」


 僕は百数十の死体を抜けて父の元へ駆け寄った。

 壇上へ上がり、倒れ伏す父を起こす。


「父上っ!」

「………………リ、ゼル」


 やはり父にはまだ息があった。


「ミリアが……母上が! 父上! 父上! なぜこんなっ!」


 父の口から、弱々しい呼吸音が漏れる。

 それでも、父の目は変わらない力強さで僕を見つめていた。

 そのときわかった。

 父は、今、僕に何かを伝えようとしている。


「よく、聞きなさい……リゼル……」

「ち、父上……」

「地下の……『アルヴィースの石碑』に…………いけ。そこに……紋章を、かざせば、扉が……開く……」

「父上……それは、試練の? い、今はそんな話をしている場合では!」

「聞きなさい!」


 叫んだ父がげぼっと吐血する。僕は言葉を失って震えた。


「夜魔が……現れた……」

「……!?」


 信じられない言葉だった。


 ――夜魔。


 それは『悪魔』の総称。人を食らう危険な魔族である。いつしかこの世界に紛れ込み、夜になると人を襲う怪物だ。人語を解し、知能が高く魔術さえ扱える。通常の魔物なんか比べものにならないほど凶悪な、“人類の敵”だ。


「夜魔が……この家にっ!? それで父上も……皆もっ!?」

「ずっと……見張られて……いた……。“異名”持ちの……夜魔、だ……。よもや、この、アルヴィースの、領地に…………ぐほっ」


 父は血を流しながら、それでも懸命に口を動かす。

 だから僕は、一言も聞き漏らさぬよう耳をそばだてる。


「いいか……リゼル。夜魔は……夜魔にしか……殺せない……。だから……アルヴィースの、当主は……途絶えては、ならない……。私、には…………『王』の、才が、なかった…………。しかし、おまえ、には……ある……」

「王の……才?」

「おまえが…………おまえたち、が……夜魔を…………たおす、のだ。それは……アルヴィースの、当主に、定められた…………宿命……」

「僕が、夜魔を……倒す? 宿命?」

「ヤツの……目的は…………おそらく……お前だ。アルヴィースの、血を…………まも……ぐっ」

「父上!」


 父の目が焦点を失い、身体から力が抜けていくのがわかった。ミリアの時と同じ、どうしようもない死の臭いがつきまとう。


 それでも父は、強く僕の腕を掴んだ。


「いっこくも……はやく……とうしゅ、に…………。いけ……りぜる……!」

「父上……父上!」

「たのむ…………りぜる……。おまえなら…………きっと……やみに…………うちかて……………………」


 その言葉を最後に。


 父は――事切れた。

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