プロローグ ―茶屋の娘(下)―
夜魔の首が転がった先に、血塗れで寝ているあの子どもがいた。
子どもは静かにまぶたを開いて言う。
「もう~。せっかく良い気分で寝てたのに、台無しだよぉ! リゼルぅ~~~!」
夜魔の首を無視した子どもは立ち上がり、面倒くさそうに俺の方に寄ってきて、俺の手足の枷を素手で叩き割る。俺が右目に魔力を集中させると、子どもは俺の“影”の中に吸い込まれるように消えていった。
首から下の夜魔の身体が、ボロボロと朽ち果てていく。
頭だけになった夜魔は、震えた声で言った。
「…………《
どうやら、ようやく己の惨状を認識したらしい。
俺は立ち上がって首だけになった夜魔を見下ろす。先ほどまで傷だらけだったはずの黒い髪の女は、今はもう傷一つないしなやかな身体を晒しながら、傍らで俺の服の汚れを払っていた。俺はそれを鬱陶しく思いながら話す。
「冒険者や旅人がこの辺りで神隠しに遭う事件は知っていた。夜魔の仕業だろうと見当を付けたが、上手く隠れていて見つからない。そこで目を付けたのがこの茶屋だ。夜魔が現れた地域で祖母を殺されながら、それでも呑気に店を続ける『本物の馬鹿』がいるのか確認に来たわけだが……予想通り夜魔に支配されていたようだな」
「貴様……貴様貴様貴様ァァァァッ! 探っていたな!? ワタシがこの店を乗っ取っていること! ワタシを油断させるためにあえてこの女たちと家族のフリを――!」
「お前の“完璧な擬態”にも、こいつらを偽の家族にするのにも反吐が出そうだった。だが、まぁいい。見事に騙されてくれたおかげで夜まで時間を稼ぎ、こうして目的を達成した。ああ、言っておくが俺に毒は効かない。効いたフリをして夜まで眠っていただけだ。今の子どもは夢の中に他者を誘う力を持っているからな。……まぁ、あいつは本当にただ寝ていただけだが」
見下す俺に、夜魔は怒りのこもった目を向けてくる。その頭部は既に崩壊が始まっていた。
「ふざけるなっ! ワタシは夜魔だぞ! 進化した魔族だ! このワタシがお前たち人間ごときにやられるわけが――」
「まだわからないか。この女もお前と同じ夜魔だ。だから夜まで待ってやった」
「ッ!?」
「困ります、リゼル様。私をこのような塵芥と同じにするなんて……。私は、リゼル様に魂を捧ぐ誇りある『アルヴィースの夜魔』なのですから」
「俺からすれば同じだ。さっさと離れろエリザベート」
「はい」
「ッッ!?」
俺たちの会話を聞いて、夜魔だけが驚愕に打ち震える。
「……『アルヴィースの夜魔』!? まさか……お前は……ぜ、『絶望の夜魔エリザベート』ッ! ならばそこの男はっ! アッ、ア、アルヴィース家の当主……! その目……やはり! 『アウロラの魔王』ッ!!」
狼狽える夜魔が叫ぶ。
もう何度目かのこのくだらないやりとりにも辟易していた俺は、何も答えるつもりはなかった。そんな俺を気遣ったのか、斜め後ろに控えていた『絶望の夜魔』――黒き糸で作った新たなドレスを纏うエリザベートが代わりに口を開いた。
「ひれ伏しなさい。この方はリゼル・ガウ・リッヒ・アルヴィース様。『魔眼』を受け継ぐアルヴィース家の当主にして、歴代最強の魔術師。『アルヴィースの夜魔』十二人を従える、すべての夜魔を統べられる夜の王。あなたごときが口を訊くのもおこがましいお方なのですよ」
「っ!!」
夜魔の表情がさらに歪む。
俺の瞳――夜を支配する『アウロラの魔眼』が強大な魔力を発し、魔力灯に照らされる俺の影から現れた十一のシルエットが地下室の壁に並んだ。エリザベートを加えて十二人。
――『アルヴィースの夜魔』。
この世で俺だけが扱える、凶悪で危険で最低な連中だ。
「あ、あ、あっ、あ、ああああああ……!!」
困惑、恐怖、そして絶望。
俺が今までに殺してきた夜魔たちも皆、最期には同じ顔をしていた。そして、そんな顔をこの黒い女は何よりも喜びに感じている。
エリザベートは自分の顔に触れながら恍惚の表情を浮かべた。
「素晴らしい。驕り、侮り、自らが屠るだけと思っていた相手に無惨に殺される……なんと濃厚で愛らしい絶望の味でしょう。リゼル様の慈悲でこのような最期を迎えられること、心より感謝して死を享受なさい」
エリザベートの言葉に、既に滅びを待つだけの夜魔はわなないた。
その目から涙がこぼれる。
「なんで……なんでだよぉ! なんでなんで! なんでお前らがこんなところにいるんだッ! こんな! アルヴィースの領地からも離れた僻地になんでっ! お前らさえ来なければワタシはずっとここで美味い女だけを食えたのに! 哀れな人間を楽しく殺し続けられたのに! なんでなんでなんでなんで!」
やかましく雑音をまき散らし泣き続ける夜魔に、俺は最後にこう告げた。
「お前を殺すために決まっている。やれ、エリザベート」
「
エリザベートの操る魔力の糸がしゅるしゅると夜魔の頭部に巻き付く。
そしてエリザベートがくいっと指を引くだけで。
夜魔の頭部は細切れになり、すぐに煙となって霧散していった。
「行くぞ」
「はい」
俺たちは地下室を後にし、外に出た後で、店を丸ごと燃やした。
◇◆◇◆◇◆◇
夜はまだ、終わらない。
店が燃え尽きたのを確認した後、すぐに馬車で出発した。後ろを振り返ることはない。空が白んでくる前に、次の街へ向かっておきたかった。
「やはり、リゼル様はお優しいですね」
馬車の中でエリザベートが言った。
「……何の話だ」
俺がそっけなく返しても、エリザベートは綺麗な笑みを浮かべる。彼女の膝の上では相変わらず寝てばかりの幼女――モカが気持ちよさそうに寝息を立てていた。こいつは本当にろくに仕事をしないが、今回は囮として使うことが出来た。せめて御者台で馬を慣らすエイムくらいは役に立ってほしいものだが。
エリザベートが続けて話す。
「この時間に店へ向かったのは、一番客が少ない時間だと知っていたから。わざわざ店を燃やしたのは、死者を弔い、遺族に真実を知らせないため」
「…………」
「何よりも、あのような小物は一瞬で殺せました。それをしなかったのは、『彼女』が、夜魔に操られている可能性を考えたからなのでしょう。そのために、わざわざあのような戯れをして真実を探る必要があった」
「…………」
「そんなお優しいリゼル様を、このエリザベートは誰よりも敬愛し、お慕いしております。今回は一時でもリゼル様のご家族になれて、大変な悦びを味わうことが出来ました。きっとアルヴィース家の皆さまと、あのめしつ――」
「黙れ」
『アウロラの魔眼』が魔力を放つ。
『アルヴィースの夜魔』は、『
身動きの取れなくなったエリザベートに、俺はこれ以上ない憎しみを込めて言った。
「忘れるな。夜魔はすべて殺す。俺に利用され尽くした後、最後にお前も死ね。エリザベート」
拘束を解く。
エリザベートは蕩けた顔で俺にひれ伏した。
「
この世界の夜魔を――殺し尽くす。
すべてを失った俺は、そのためだけに生きている。
『アウロラの王』として――12人の夜魔を従えながら。
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